目を見ればわかるなんて

27歳社会人のブログ。

You&Jのあった時代その②~NEWS編「破れた 未来予想図 握り締めた」

6/10にNEWSのLIVE NEVERLANDに行ってきました。

全体的な感想としては、NEWSはファンに寄り添っていくグループなのだな、と。ファンサに生きていくんだな、と。アイドルとしておとぎ話の登場人物として生きていくんだな、と感じました。ファンに対して一定の世界観を明確に打ち出して、コンサートでの非日常感を演じる感じは、なるほどジャニーズの王道を継承しているのだな、と納得もしました。

 

手越くんや小山くんがスキャンダルでちょっと色々言われている時期ということもありピリピリしているところもあるでしょうが、コンサートに来るぐらいのファンにはそんなのは関係ありません。何を言われようと自分たちの求められるキャラクターを演じる事をアイドルだというのであれば、非常なるプロ意識を感じました。

まぁそもそもスキャンダルで離れていくような人はコンサートには来ないでしょうし、後述しますがNEWSの古参ファンは女性問題ごときで動じるようなヤワな方々ではありません。

個人的には4人体制以前で好きなさくらガール、weeeekあたりが聞けたので満足度も高かったです。

 

NEWSは喪失と再生の物語を背負ったグループです。

こう言ってしまうと平成を風靡したセカイ系の文脈の一つとして取り込まれるような、社会学者の好きそうなテーマになってきますね。

もちろんどのグループの歴史にもいろいろな力学やベクトルが交差しているのは当たり前なのですが、NEWSの 場合は現行の四人体制に落ち着くまでに事務所と個人とグループが複雑に絡み合って、紆余曲折あった末に今の形となりました。

 

You&Jというファンクラブが過去にあったのは前回の記事で書いた通りです。

NEWSの歴史を語るうえではジュニアと4TOPSの事を書かないわけにはいきません。

 

ジュニアが人気コンテンツとなっていった経緯はそれだけで本が一冊書けるレベルになってくるので割愛しますが、剛健で芽吹いた人気が怪談トリオ+小原くん辺りを中心とした一大ムーブメントに成長し、ジュニアが単体でドーム公演が出来る時代になったことで、色んな弊害が生まれていました。

 

その後、かの有名な週刊誌でのジュニアスキャンダルと退所もあり、若くして人気を得てしまったことで調子に乗ってしまって問題を起こしたジュニアもいれば、円満に卒業した小原くんのような子もいたり、嵐とタキ翼がデビューしたり、東京ジュニアはある程度上の世代が卒業して一つの時代が終わりを告げました。関西ジュニアは未だデビューへの道は開かれておらず、事実上トップだった横山くん、すばるくん、村上くんの三人はまだデビューを待つことになります。NEWSがデビューした頃はそういう時代でした。

 

そしてもう一つのファクターが4TOPS(FOUR TOPSなど表記揺れあり)というグループ。ジュニア系の番組を見ていた人はご存知かもしれませんが、山下くん、生田斗真くん、風間俊介くん、長谷川純くんの四人によるユニットです。山下くん以外はみんな俳優専業となりましたが、もちろん最初から俳優だったわけではありません。

特に同期生で年も近い山下くんと斗真くんはシンメもやっていたし、ファンからは一緒にデビューすることを望まれていたようです。当時ジュニア史上最高ともいえる唯一無二の絶対的なスターでありリーダー、タッキーからバトンを受け取ったのは山下くんでした。(もっとも、タッキーはジュニアのお目付け役としてちょいちょい出てましたし舞台で後輩の面倒もよく見てたようですが)

 

さて、NEWSがお披露目イベントをしてCDデビューしたのは2003年の事です。この頃の時代性を振り返ってみます。

90年代終盤から00年くらいまでの時期はキンキがデビューの勢いそのままにミリオンを量産し、ジャニーズのCD売上トップを維持しつつ、SMAPも『夜空ノムコウ』『らいおんハート』などでミリオンを飛ばし、木村くんは相変わらず月9の王者に君臨していました。ただ、CDという媒体には陰りが見え、年間ミリオンが一作出るかどうかみたいな時代になっていました。

キンキのブレイク以降、CD年間トップテンに毎年SMAPかキンキが入っていましたが、02年はとうとうトップテンからジャニーズ勢が消え去った年でした。*1

(ちなみに02年の最高位は嵐の『a day in our life』の21位、そう考えたら嵐はこの辺りからブレイクしていたとも言える。)

 

そんな、ジャニーズの音楽業界での立ち位置がどうなっていくのか、という不穏な雰囲気が漂っていたのが2003年でした。依然テレビではジャニーズが毎日出ていたけれども、CD売上という指標においてジャニーズの存在感が薄れていた時期でした。そこには、ジュニア人気の加熱による若い世代へのファンの流入もありましたし、そろそろジャニーズはいいんじゃないか?みたいな世間の風潮があったようにも思います。

その中で草彅くん主演『僕の生きる道』の主題歌となった『世界に一つだけの花』が21世紀に発売されたCDの中で最高売上となるダブルミリオンを達成し(16年にトリプルミリオン達成)、SMAPが名実ともに国民的アイドルへのし上がり、そしてジャニーズも息を吹き返した、そんな年でした。

 

そんな2003年、捲土重来を狙ったジャニーズが満を持してデビューさせたのがNEWSです。バレーユニットはV6、嵐に続いて三組目です。ていうかもう10年以上前になるんですか、そうですか…。

Jr.のトップグループであった4TOPSの中でもトップの人気であった山下くん、K.K.Kityから小山くん加藤くん草野くん、関西ジュニアから錦戸くん内くん、ジャニーズ伝統の金八出演組から増田くん。昭和歌謡界の大御所の御曹司である森内くん(のちのtaka)。隠し玉でオーディション組の手越くん。この9人が結成当時のNEWSでした。

 

しかし、前述のようにジュニアの番組を仕切っていた人気グループであった4TOPSとしてのデビューを望んでいたファンが多かったという事情から、山下くんを引き抜いてわざわざ違うグループを作ってまでデビューさせることに反発するファンが多かったのも事実です。*2

私も風間くん、斗真くん、ハセジュンくんの三人が俳優になって事務所の歴史的に新しい道を切り開いたのは素晴らしいことですが、アイドルとしての未来が見れなかったのは残念なようにも思います。そのぶん、ドラマの評判はどうあれ『純と愛』で風間くんが遊川脚本のエキセントリックなキャラを熱演するのには心を打たれましたが。

特に山下くんと斗真くん(通称やまとま)は二人でデビューすると信じていたファンが多かったので事務所に対して容赦ない批判が浴びせられた時期もありました。この辺はNEWSが当初は期間限定という名目であり、セブンイレブンで限定販売されたCDが売れた結果としてユニットが残ってしまったのは皮肉と言えます。

 

当時はメンバーが流動的なものも含めてユニットが乱立していて、有名なものでいえばやぶひかのいた幼い少年ユニット・Ya-Ya-yah、ジュニア史上最高人気の呼び声も高かったKAT-TUN、のちのデビュー組を多く擁したK.K.Kity、橋本くんの入る前のA.B.Cなどなど。その中で、やや入所からが長めの4TOPSの人気はどちらかというとジュニア黄金期の流れを汲むものでしたので、総体としてのジュニアが好きだった人にとても愛されていたイメージです。

 

NEWSは歴代バレーユニットの例に漏れることなく、何の物語性もなく集められたメンバーが、選抜されてユニットを組みました。V6も嵐もそうですが、集められた段階での必然性はない中で、そこからデビューし、物語が始まるタイプのグループです。

ここはジュニアを共に過ごして苦労の末にデビューした関ジャニKAT-TUNと違いました。売れなかったりデビューできなかった時期を共にしたという努力や友情を押し出すのではなく、ジャニーズ王道の選ばれた王子様としての在り方が求められました。これは仕方のないことです。王子様が王子様である理由は血統以外になく、血のにじむ努力でなれるものではないのです。内情がどうであれ、涼しい顔をして笑顔でいることを求められます。

 

話を戻しますが、そういった経緯から、YOU&Jの残り二つのグループがデビューまで非常に時間を費やしたのに対してNEWSは事務所主導のエリート集団という雰囲気がありました。

 

入所からの順番で言えば、

96年 山下くん

97年 錦戸くん

98年 増田くん

99年 加藤くん・内くん

01年 草野くん・小山くん・森内くん

02年 手越くん

 

年齢でいえば

84年度 小山くん・錦戸くん

85年度 山下くん 

86年度 増田くん・内くん

87年度 加藤くん・手越くん・草野くん

88年度 森内くん

 

という感じです。

なぜエリートか、といえば年長三人の経歴によるところが大きいでしょう。小山くんは最年長ですがオールドルーキーなので入所歴で言えば浅いですが、選抜されています。山下くんは前述のとおり、押しも押されぬジュニアのトップでした。錦戸くんは関西ジャニーズとしては先輩のおなじみ三人組よりも先にデビューをしている感じがエリート感を漂わせています。

 

これはジャニーさんのバランス感覚だと思うのですが、こういう選抜ユニットを組むときに歴の長い技術の確かな年長組と、歴は浅いけど光るもののある年少組というまとめ方をすることが多いです。光とGENJI、トニセンとカミセンみたいなもんです。そして、この光GENJIとV6の年長組はデビューするまでの下積みが長く、苦労した感じがありましたがNEWSの年長3人にはそういった悲壮感は皆無でした。ジュニアとしても楽しくやってる感じがあったし、何より全員未成年で若かった。

トニセンを例にとれば長野くんが後輩がどんどんデビューしていくのを見送っていたり、坂本くんがサラリーマンを経てデビューをしていたりするのを考えるとデビュー時の苦労を売り出すのは少し弱いです*3

 

話を戻すと、NEWSは実際に頭の良い高学歴エリート集団という側面もあります。

増田くんと関西二人以外はのちの経歴も含めて、私立中高→早慶MARCHみたいなメンバーばかりです。ガチで育ちの良いエリートである櫻井くん以降、こういう人材が増えていますがNEWSはグループの平均としては他と比べて段違いに高学歴です。ジャニーズは幼少期に入所する人がほとんどで、最終学歴が中卒高卒という人も珍しくないので、そういう意味でキャラ立ちはしています。

 

初期の活動を振り返ると、山下くん内くん小山くんの三人がトークで前面に出ていた事、草野くんがラップみたいなパートをもらっていて歌がうまかった事、小山くんが仕切ろうとするけどやりにくそうにしてた事、音楽番組で出た時にあまりグループの統一感が無かった事は覚えていますが、そのほかの事はあんまり覚えていません。森内くんとかジャケット写真以外の記憶がないです。

セブンイレブンで発売されたデビューシングルの『NEWSニッポン』はもともと『ピースのサイン』というジュニアの曲をベースにしているのですが、その関係で藪くんと松本くんが駆り出されていたのはとても記憶に残っています。藪くんほんとすげーな。

 

そんなこんなで色々な思惑が絡み合いながらデビューしたNEWSでしたが、最初の躓きとして挙げられるのは最初の活動休止となるでしょう。

残念なことですが、NEWSはデビュー後3年間で3人が不祥事絡みで脱退してしまい、06年から年内いっぱいの活動を自粛しました。ここでは多くは語りませんが、メディア露出はガンガンしてましたが9人という大所帯でありキャラがあまり浸透していなかった時期です。

私の記憶でもよくわからない間に森内くんが抜け、フロントにいた内くんが抜け、デビューシングルから目立つソロパートのあった歌の上手い草野くんが抜けて、キャラが浸透していく前に数が減っていった印象があります。内くんの脱退については付き合いの長さから関ジャニのメンバーの方がショックを受けたようですが、それは次の機会に。

 

事務所としては山下くんを売るために作ったグループであったNEWSが活動休止に陥ってしまったので売り時を逃さないために、結果的に山下くんはソロとして動き始めます。わざわざ4TOPSを解体してまで強行したのにこれでは本末転倒ですね。

そしてその時期に山下くんは修二と彰の記録的ヒットもあり、ソロでも売り、デビュー前の亀梨くんと共に時代のアイドルとしてスターダムを駆け上がっていくことになります。

山下くんはこの頃にタイ最大の芸能事務所に所属していた兄弟デュオであるGOLF&MIKEと三人でGYMというグループを組んだりもしました。北山くん・伊野尾くん・戸塚くん・八乙女くんの4人を加えたKitty GYMというユニットでシングルも出してます。なお、同時期にジャニーズWEST中間淳太くんがいた台湾jrも出来たりして、事務所的にもアジアとのコネクションを模索していた時期でもありました。 

のちの山下くんの発言を斟酌すると、この時期の活動に色々思う所があったのかもしれません。

 

2006年いっぱいの活動休止が明けた2007年初から、NEWSは6人での活動を始めます。

世間では仁亀人気が大爆発してKAT-TUNがジャニーズで一番勢いのあるグループになっていました。KAT-TUNについてはまた他の機会に書きたいですが、CDもDVDも何もかもものすごい勢いでトップグループへと羽ばたいていました。NEWSは他の同世代に比べてデビューで先んじていて、CDもオリコン週間1位は必ず取っていましたが今一つわかりやすくブレイクはしていませんでした。

それはスキャンダルのせいもあったでしょうが、グループの人数が多く、脱退が相次いだこともあってファン以外にはグループの全体像がつかめなかった事があるでしょう。前述のとおり山下くんは知名度が高い状況でしたので、残りの5人をどう覚えてもらうか、という勝負になっていました。

 

さて、6人時代が一番良かった、という声も時々聞きますが、その気持ちもわからなくはないです。9~7人時代と4人時代は王子様的なところで雰囲気が似ている所がありますが、6人時代はちょっと異質です。王子様でもなく、バラエティ枠でもなく、自然体の若い兄ちゃんという感じの雰囲気がありました。

 

この時期のライブDVDを見ていると、以前までの微妙な距離感が解消されたわけではないけども何年も一緒に活動をしてきた連帯感が感じられます。 

07年には『weeeek』がグループ結成後初めて、CD売上で年間トップ10に入りました。90年代とはCD売上という指標の捉え方が違うので賛否ある部分ではありますが、NEWSとして最初に結果を残したシングルと言えるでしょう。他のグループはもっと売っていましたし、ファンの思い入れがある曲はほかにあるかもしれないですが、NEWS6人時代を象徴する一曲といえばこれだという人は多いのではないでしょうか。

PVでサラリーマンに扮した6人が「毎日しんどいけど、まぁやってきましょーや」みたいな事を歌う姿は、『がんばりましょう』や『たぶんオーライ』を歌ってた頃のSMAPと被る雰囲気があって、若者と寄り添える兄ちゃん像を体現していました。大学生サークルみたいな絶妙なチャラさ、距離を取りながらも仲良さそうな雰囲気がありました。

その中で『さくらガール』のような文句なしの名曲も生まれましたし、ライブで盛り上がる『恋のABO』などもこの時期です。

奇しくも活動休止前に発売されていた『裸足のシンデレラボーイ』がとてもこの時期のNEWSを表していたような気がします。ジャニーズの復権を賭けた王子様ユニットが一度夢破れて、そこから這い上がろうとする姿を描いているこの曲は心を打たれます。

 

そんな感じで6人のNEWSは一見するとうまいバランスを取っているように見えていたのですが、2011年に山下くんと錦戸くんが脱退することが発表されました。この時、NEWSが解散するのではないかという風潮がありました。この頃は色んな憶測が飛びました。なぜ二人が抜ける必要があるのか。フロントメンバーを欠いたNEWSはこの後やっていけるのか。実際は不仲だったのか。などなど。

二つのグループを掛け持ちすることの難しさがわかりやすかった錦戸くんに比べて、単純にソロになりたい、という山下くんの想いはどうしても理解されづらかったのも事実です。4TOPSのままデビューしていたら違っていたのか、という問題も蒸し返されたり、色んなことがネットでもリアルでも噂されました。

 

これまで抜けた3人ももちろんメンバーとしてかけがえはなかったのでしょうが、安定していた6人体制からフロント2人が抜けるのは訳が違いました。ここでNEWSは悲劇の物語性を帯びたように思います。これはメディアも悪いんですが、当時「去る2人」「残された4人」という対立構造が目立ちました。被害者としての残った4人をクローズアップするような論調が目立ちました。

また、色んな人が言及していることですが、NEWSの脱退者に対するスタンスは重たかった。こういう事を言うと怒られるかもしれませんが、ヤンチャな問題児の集まっていたKAT-TUNと対比すれば、脱退者が多いのはちょっと嫌なスキャンダラスさが先行していた感があります。

 

小山くんと加藤くんが深く傷ついている感じも伝わってきましたし、実際に多数の人が残された側のコメントを聞きたがっていたのも事実です。ネット上でもソースの乏しい噂がいろいろ繰り広げられました。

ただある種、手越くんだけはこの状況をチャンスにして名前を売っていった感じがありました。手越くんは当時からかなり攻撃的なコメントを出していたし、「主力を抜かれた被害者」という扱いにかなり反発していました。

おそらく今のNEWSで一番世間で名前を知られているのは手越くんでしょう。そもそも手越くんは入所間もなくしてデビューしたせいもありジュニア時代は全くの無名であり、デビュー以後はハモ担当の歌唱枠を一手に担っていました。実際4人になるまであまりどんな人か知らなかった、という人も多いでしょう。スキャンダルをガンガン売っていくキャラクターでの賛否はありますが、当時の新生NEWSを売っていくのに打ってつけでした。

 

当時残された4人にも色々な想いがあったのでしょうが、のちにファンをパーナさんと呼ぶこととなる『チャンカパーナ』を皮切りに新生NEWSはスタートしました。

この曲は4人になったNEWSを応援するファンのアンセムとして長く愛される曲になります。こういう事を言うと怒られるかもしれませんが、この曲の歌詞自体に物語性があるわけではありません。深夜バスで見かけた女をナンパしてホテルに連れ込む、チャラさにあふれるワンナイトラブソングです。

NEWSは4人になってからは、手越くんのキャラを含めてこういうチャラ男路線の曲に舵を切ります。ちょっとベクトルは変わりましたが、チャラい王子様みたいな雰囲気になり、ある意味で原点回帰したような印象も受けます。楽曲面においてはこれまでも何曲か提供を受けていたヒロイズムと本格的に楽曲のイメージ作りをしていけたのも一つの分岐点となったのではないでしょうか。

 

また、この騒動が無ければ『愛言葉』というファンとメンバーをつなぐアンセムは生まれなかったわけです。復活コンサートやアニバーサリーコンサートがファンにとって涙無くして語れないような物語性を帯びたのは、他のどのグループより苦しい道のりを歩んできたNEWSならではといえるでしょう。

急に集められた選抜メンバー、活動が軌道に乗る前にスキャンダル連発、活動休止、山下くんのワンマングループという揶揄、色々な問題がありました。そしてここでグループとして最大の問題に直面して、それを乗り越えてのコンサート。脱退における気落ちを乗り越えたファンにだけ与えられたプレゼントとしての『愛言葉』だったわけですから。

 

だからこそ、最初の活動休止期と、4人体制初期の二回のグループ存続危機を下支えしてきた古参NEWSファンは強いでしょうね。

そうは言ってももう4人になってからの時期が一番長いんですよね。だから4人になってからのファンもたくさんいると思います。コンサートでも思った事ですが、ファン層が結構若かったので新規ファン層をかなり獲得できている所感がありました。

今回自分の中でこうしてまとめてみて、今のジャニーズでも屈指の物語性を背負っているグループだなぁ、と感じました。というか気付けば恐ろしい分量になってしまったのでこの辺で。

 

*1:97年『硝子の少年』98年『夜空ノムコウ』『愛されるより愛したい』『全部抱きしめて/青の時代』99年『フラワー』、00年『らいおんハート』、01年『ボクの背中には羽根がある』()

*2:もっとも、のちに4TOPSの面々が語ったところによればジャニーさんは元々この4人を組ませるつもりはなく、それぞれがソロで売っていけるからこのユニット名にしていたようです。

*3:昔は長野くん坂本くんはぶっちぎりでデビューまでの期間が長かったのですが、キスマイとえびをはじめ、今のジュニアは軒並み二人を越えてる子がいて戦慄します。