目を見ればわかるなんて

27歳社会人のブログ。

You&Jのあった時代その③~KAT-TUN編「What You Worry About Will be All Right」

You&Jの末っ子で一番の問題児といえばKAT-TUNです。(違った意味で長男のNEWSも問題児グループですが…。)

 

KAT-TUNはデビュー前後の2005~2007頃にはジャニーズ史上でも類を見ないほどの人気を誇ったグループでした。

人気という指標は取り方が難しい面がありますが、シングル、アルバム、DVDという定量で測れる主要項目を総ナメしていたという意味で、最も勢いのあったグループの一つと言えます。もちろん売上がすべてではありませんが、測りやすい指標の一つです。

 

少年御三家の場合は光GENJIの爆発のあとは、男闘呼組がややヒット、忍者は今一つ、という結果を見れば尻すぼみな形になったわけですが、You&Jの場合はラストに控えているのがジュニア最高クラスの人気を誇るグループだったわけですね。(ちなみにYou&JというファンクラブはKAT-TUNがデビューした後に宙に浮いていた2グループとの合同という形で設立されたので、この時点では世に存在していません。)

私が光GENJIがどれだけ流行っていたかを本当の意味でわからないように、同時代を生きた人間でないとわかりづらい部分はきっとあるだろうと思います。

 

まずKAT-TUNは過去最高クラスに顔面偏差値が高いグループでした。

人気の根幹を為す仁亀は言わずもがな、長身で涼やかな笑顔の田口くん、坊主でもロン毛でもカッコよかった聖くん、ヴィジュアル系の上田くん、そして良い人オーラのすごい中丸くん。上田くんはちょっと迷走した時期もありましたが、みんな個性もありました。

亀梨君の主旋に赤西くんの高音ハモの歌はとても聞きごたえがありましたし、聖くんのラップと中丸くんのHBBなど歌唱面はもちろん、堂本光一くんのバックを務めていただけあって個々のダンスの技術も高かったです。

ただ、ジャニーズ的には少年隊を頂点としたミュージカル風の揃ったダンスが至高とされるため、ブラックでストリートでアレンジ多めなダンスのKAT-TUNはバラバラだとか揃わないとかよく揶揄されていました。この辺はSMAPと似てますね。

事務所からもかなり期待をかけられていたので、嵐のJ storm以来の専用レーベルであるJ One Recordsも用意されています。

 

KAT-TUNがデビューしたのは2006年ですが、結成は2001年に遡ります。その後、2002年の初の単独コンサートの時点で55万人の応募があり、こちらはソフト化されました。

その後、2005年の単独ライブ「Live海賊帆」もDVDで発売され、デビュー前にも関わらず年間音楽DVD部門で国内1位を取っており、デビュー前時点でのすさまじい勢いは明らかです。

 

それまでのジャニーズはお茶の間受けする、品行方正なアイドル像を基本線としていたわけですが(なのでスキャンダルを過度に嫌うわけですが)、KAT-TUNは明らかにギラギラしていました。ワイルドでセクシーな色気が立ち込めていました。

サクラップとはテイストの違う攻撃的なラップが入っていたり、エロティックな振付をしてみたり、舌打ちしてみたりとロックな姿勢でしたのでお茶の間受けは確実によくなかっただろうと思われますが、かなり異例のグループであったためこれまでジャニーズに興味を持っていなかった層を取り込んだと思われます。

 

当時の時代性を紐解くと、デビュー組の頂点として特殊な立ち位置にいたSMAPは『世界に一つだけの花』と主題歌になっていた草彅くんのヒューマンドラマ『僕の生きる道』を機にアイドルという語義を変容させつつありました。女性から嬌声を浴びるグループというよりもお茶の間になくてはならない存在となっていきます。この立ち位置はこの後は嵐に受け継がれています。

ナンバーワンにならなくてもいい、というフレーズは世間に遍く浸透し、槇原敬之のシャブ代を稼ぐのにも一役買いましたが、教科書めいた人類愛に行き着いた結果、達観したようなグループとなっていきます。

 

また、97年のデビュー以来CDセールスの安定感ではジャニーズのトップを走り続けてきたkinki kidsは二人がソロで色々やるようになり、コンビとしての活動はやや抑えめになります。また、剛くんがどんどん奇抜になっていき、メッセージ性の強い曲が増えてきていました。依然第一線にはいましたが大ヒットを飛ばす事はなくなっていきます。

メッセージ性の強い曲は諸刃の刃で、アーティストとしての格は上がりますが後々の活動に制限を与えるものです。愛だの恋だのしょうもない事をポップに歌えるうちが華なのです。

 

こうしてそれまで栄華を極めたSMAP・キンキ体制は2004年で一旦終焉を迎えたわけです(キンキは翌年「Anniversary」でヒットを飛ばしますが)。ジャニーズの一番手となるとグループの固定ファンで数十万枚は売れるわけですが、そこからもう一つヒットするには楽曲の良さか時代性の後押しがないと難しいです。

なのでこの時期はCDセールスという指標においてジャニーズの支配力がやや弱まっていました。これはCD媒体の凋落とも無関係ではありませんが、どれだけ偉大なアーティストでもいつまでもチャートの上位にいられないわけです。

90年代CD黄金期でのチャゲアスもB'zもミスチル小室ファミリーも、チャートを独占したりして栄華を極めたのは数年が限度でした。たくさん聞かれれば大衆には飽きられてしまいます。供給過多の音楽業界ではマスに受ける事は鮮度を短くする事なのです。

だからみんな売れていい思いをした後に「人気取りのヒットチャートなんて無意味だ」みたいな曲を歌ってみたりするわけです。

 

ジャニーズに話を戻します。

2002年に事務所としてシングル年間トップ10を出せなかった事を受けて、ジュニアトップの山下くんをエースとして結成されたのがNEWSでした。が、不祥事で躓きました。

2004年にデビュー組の錦戸・内を擁する関ジャニをデビューさせたら兼務の内くんが問題を起こし、NEWSも関ジャニもダメージを負いました。

このように若いグループを売り出したいのにうまくいかない状況が続いていました。

 

そこで次なるデビュー候補として白羽の矢が立ったのがジュニアで十分な人気を得ていたKAT-TUNなわけですが、直近でデビュー後の問題が続いた事から、少なくとも飲酒がらみの不祥事は無くすためにメンバー全員が成人するまで待つことになります。

そこで、このアイドルタイムにジャニーズ伝統の手法であるドラマや歌番組などで露出を増やして焦らしてデビュー時に爆発させる下準備をすることになります。

 

その結果、過去マツジュンを売れっ子にした『ごくせん』の第二シリーズで赤西くんと亀梨くんがかなり名前を売ります。嵐ファンには「ごく出は永遠の新規」という概念がありますが、こちらはデビュー前に青田買い出来るチャンスだったわけですね。お得ですね。

 

そして極め付けにNEWSの活動で足踏みが続いていた山下くんとセットで出た『野ブタをプロデュース』で亀梨くんは大出世を果たし、主題歌であった『青春アミーゴ』の大ヒットもあり、デビュー前から一躍時代の寵児となります。

結局『青春アミーゴ』は2005年シングル年間1位、2006年も年間3位と売れに売れます。これだけ売れて世間を巻き込んで誰でも歌える流行歌はこれ以降のジャニーズでは出ていません。ちなみに二年連続で年間売上トップ10に入るのは宮史郎とぴんからトリオの『女のみち』以来です。もうここまで来ると歴史のレベルですね。

2005年頃は『ファンタスティポ』もあり、グループの垣根を越えたコラボが続いていました。事務所としても停滞した状況を何とか打破しようと模索していた時期でした。

この二曲はどちらも独特の振付があり、ちょっと前でいう「踊ってみた」みたいなのが全国津々浦々で繰り広げられていました。恐らく忘年会や結婚式二次会などでは死ぬほど踊られていたのだろうと推測されます。古くはピンク・レディーのヒットから続いていますが、振コピしたくなる曲はセールスの上でとても強いです。当時はスマホも無く、まだダンスの練習にCDラジカセを使用する時代でした。

Youtubeも無かった時代の振りコピは今と比べ物にならないほどハードルが高かったわけですが、それを踊りたい、真似したい、と思わせるのが流行歌の持つ引力だったわけです。

 

そして2006年、とうとう満を持して『Real face』が発売されます。

出だしから炸裂する仁亀の二枚看板。松本孝弘の重厚なサウンド。艶っぽいキレのあるセクシーダンス。聖くんの攻撃的なラップ。赤西くんのファルセット。亀梨くんの舌打ち。Aメロの赤西くんが上田くんの体をなぞる所は何度も見返しました。J.O.K.E.Rとかいう設定やサビ前で舌打ちをする、という発想も斬新でした。KAT-TUNの世界観を打ち出した最高傑作と言っても過言ではありません。

バージョン違い6種で各メンバーのセンターVerと多種類展開したのも寄与しましたが、3週連続1位を獲得、ミリオンセールスも記録し、流行りに流行りました。亀梨くんは2005年『青春アミーゴ』に続いて二年連続で一番シングルを売った事になります。

 

『Real face』についてはカップリングも『GLORIA』とみんな大好きウィルビーこと『will be all right』です。収録されてる三曲全部名曲ってどういうことですか。そりゃ売れますよ。

同時発売だったアルバムの『Best of KAT-TUN』も一位を獲得します。デビューでベスト盤というのが少し混乱しますが、これもキンキと似てますね。デビュー前でも持ち曲が多数あるからこういうことも出来るわけです。

同時発売のDVDももちろん一位を獲得し、こうしてKAT-TUNはデビューでシングル、アルバム、音楽DVDの主要三部門を総ナメします。シングルとDVDについては年間一位でもありました。少なくともこの時点でKAT-TUNは一度天下を取りました。これからのジャニーズを背負って立つ存在になると誰もが疑いませんでした。

 

しかし、輝かしい光の時代があったからこそ、その影も大きくなります。

赤西くんはKAT-TUN人気の根幹をなす存在でしたが、デビューから半年ほど経った2006年の10月、突如米国へ留学するため芸能活動を休止することとなります。そのため、シングルや番組出演は残された5人で行うようになります。この頃からやや不穏な空気がKAT-TUNを覆い始めました。

 

赤西くんは2007年4月に帰国して復帰するわけですが、ファンも世間も今ひとつ釈然としない思いを抱えるようになります。また、この頃はCDセールスもコンサートも依然絶好調でしたが、週刊誌でのバッシングも増え始めます。女絡みが多かった記憶ですが、問題児としての印象はどんどん強くなっていきました。特定メンバーがアンコールに出てこなかったとか、態度が悪かったとか、メンバー同士の諍いがあったとか、ソースのあるものないもの、噂も事欠きませんでした。この辺りから少し事務所がKAT-TUNを持て余している感じが出てきます。

 

期待を受けて実績も付いてきて順風満帆に行くはずのKAT-TUNでしたが、ファンの内ゲバも多かったです。この頃はmixiや個人ブログなどが情報源でしたので、ブックマークやマイミク(mixiでいう友達的なやつです)の少数の長い意見を見る、という時代でした。個人の情報発信はまだまだ黎明期で、強い思想のある人の意見が目立った時代でした。ファンコミュニティでの交流が主体であったので誇張されて尾鰭が付いて大きな噂となっていた部分もあったと思います。

ジャニーズのファンは特定メンバー担、グループ担、特定メンバー担のグループ担、事務所担のグループ担など様々な担当の形があり、週刊誌やコミュニティで黒い噂が出るたびに特定メンバーを標的とした叩きが横行するようになります。

 

そして赤西くんは2010年、KAT-TUNのコンサートを欠席して二度目の渡米をし、コンサート日程の途中で正式に脱退する事が発表されます。途中までは「脱退はない、解散もない」という話だったので、驚いた人も多かったと思います。赤西くんは雰囲気も言動も行動もKAT-TUNを象徴する一人でもあったので、少しインパクトが薄まった印象は否めませんでした。

 

但し、赤西くんが抜けてもグループとしての活動は続きます。

2010年代にはAKBグループの台頭によりCD売上という指標は本格的に陳腐化していました。2010年のシングルトップ10はAKBが4曲、嵐が6曲と、もはやCDを買うのはアイドル好きだけという時代になっていました。ここから2019年に至るまで、AKB48以外が年間一位を取る事はなくなります。

一方でKAT-TUNは赤西くんが抜けて以降は少し落ち着いたポップな曲が多くなっていき、尖った印象が薄れていきます。聖くんがトレードマークだったスキンヘッドを止めたのもこの頃からです。ポップさが増すにつれてシングルでのラップパートも少なくなっていきました。

そして2013年に聖くんは「度重なるルール違反」という理由でほぼ強制的に退所する事になります。事実上の解雇です。ここでは多くを書きませんが、このような形で終わるとは誰も想像していなかったでしょう。ここから一定期間、ラップパートは封印されることとなります。

 

語りつくされているとは思いますが、KAT-TUNには3年ごとに危機が訪れる、というジンクスがありました。2010年に赤西くん、2013年に聖くんが抜けました。そして、2016年の10周年の節目に田口くんも抜ける事となり、2017年末までKAT-TUNとは充電期間となります。

4人体制もそれなりに落ち着いていて、尖った二人が抜けた事で毒が抜けて随分とお茶の間受けするアイドルになっていたのですが、のちの報道を見るに迷惑を避けての脱退だったのかもしれません。真相は今となってはすべて闇の中です。

ただ、KAT-TUNもだいぶ丸くなっていてバラエティなどではかなり脱退者をネタにしたりして美味しい感じでイジられてもいました。NEWSのような悲壮感はなく、関ジャニほど自分から食い気味にネタにするわけでもなく、メンバーもいい大人になったんだな、と感じられました。

 

こうして6人いたメンバーは半分にまで減りました。 

 

KAT-TUNはそれぞれのイニシャルを並べたグループ名で結成されました。

例えば、他のNEWSなどはグループ名にそれほど固有のものはありません。9人から3人になってもNEWSはNEWSで何の問題もありません。

しかしKAT-TUNは6人の頭文字なのです。グループ名の由来を尋ねられた時に、構成要素の一人一人が欠けた悲しみを想起せずにはいられませんでした。どのグループにおいてもメンバーの重い軽いはありませんが、デビュー後の追加メンバー加入が無いジャニーズにおいて、KAT-TUNという名前である事はメンバーが6人いた事とそれぞれのイニシャルのメンバーがいた事の証として残り続けていくわけです。

一人、また一人と欠けていき、その度にKAで亀梨、T-TUで竜也上田だ、とか誰の目にも苦しい理由付けをしながらでもKAT-TUNは続いてきました。今の三人はそれぞれソロでも活躍しているため別に解散してもそれほど個々人の仕事に差し支えはないだろうと思われますが、KAT-TUNという名前を残していくために賛否あるReal Face#2を歌ってでも続けてきたのです。

 

他のグループがそうでない訳ではないですが、KAT-TUNにはあの6人にしか分かり合えない絆が確かに存在すると信じられるだけの雰囲気がありました。個性が強くて時にはぶつかりあうけども、お互いの事はよくわかっていて信頼し合ってる、と思わせるものがありました。

不良に惹かれるという層は一定数いますが、普段悪そうにしてる兄ちゃんたちがある一瞬、仲間に見せる心を許した瞬間のギャップにやられるわけです。これは異性に対して見せる顔とはまったく別種のものです。ヘテロフォビアな世界です。はぐれものの不良達が身を寄せ合ってお互いを信じて、管理社会に唾を吐く姿に憧れるわけです。

思えばKAT-TUNは週刊誌を始めとしたマスメディアや事務所、世間のルールなど、「大人」や「社会」へ反抗したグループでした。個性的な集団だからこそ、既存のルールや入れ物に合わなかった。まさに不良の世界観ですね。KAT-TUNはベタベタ仲良く馴れ合う姿を見せるグループではありませんでしたが、互いをリスペクトしているのは伝わってきましたし、同じグループで活動する事はなくなっても仲間なのだという姿勢は強く感じられました。

 

メンバーが抜けた時にはいつもソース不明の不仲説が出ました。マスコミや事務所に対しての不満は募るばかりでした。満足のいく説明もなく、その度にファンは傷つきました。だからこそ、ファンはMCやジャニーズWebでのちょっとしたコメント、ラジオでのお互いへの言及などでメンバー同士の絆を感じ取りました。

 冠番組が終わったり、特定メンバーの仕事が少なくなっていくのを見てなんとなく不穏な空気を感じながらも、ちょっとしたコメントなどに一抹の期待をかけていたわけです。そして突然メンバーが欠けてしまう事に強いショックを覚えた人が多かったと思います。ファンは満足いく説明がもらえないままにメンバーが欠けていくグループを応援し続けました。

 

結果的に色々昔はやんちゃもしたけど今は大人になってそれぞれのソロ活動で頑張っている感じもちょっとヤンキー感がある気がします。青春の一瞬を共に過ごした仲間の事は今でも大事にしているといいますか。亀梨くんも上田くんも中丸くんもいい人オーラがすごすぎてびっくりします。

 

相当長くなってしまいましたが、これがKAT-TUNの物語だと思うわけです。

バレーユニットのように必然性無く集まったわけではなく、6人で結成してグループ過多のジュニアを勝ち上がり、個性の強さからケンカもしたけども認め合って。そしてデビューして輝かしい成功を手にするも、結果的には別々の道を歩むことになって。でも苦楽をともにした6人の絆は永遠だ、という感じが尊いと思うのですね。

世に出ているコメント以上の想いを想像できる余白があるとでも言いましょうか。世間にも、芸能界にも、事務所の誰にも理解できなくても、6人にしかわからない絆があるんだな、と思えました。そう、まさにKAT-TUNにはKAT-TUNにしかわからない文脈があり、それをわかるのは当事者だけ、という空気がありました。

 

当時は若かったメンバーも今となってはみんな30をとうに越えていい大人となってしまいました。「あの頃の未来に僕らは立っているのかなぁ」とSMAPがかつて歌いましたが、当時戦っていた大人側の立場になった彼らは今何を思うのでしょうか。

 

気付けば文字数がかなり行ってしまいましたのでこの辺で。

You&Jのあった時代その②~NEWS編「破れた 未来予想図 握り締めた」

6/10にNEWSのLIVE NEVERLANDに行ってきました。

全体的な感想としては、NEWSはファンに寄り添っていくグループなのだな、と。ファンサに生きていくんだな、と。アイドルとしておとぎ話の登場人物として生きていくんだな、と感じました。ファンに対して一定の世界観を明確に打ち出して、コンサートでの非日常感を演じる感じは、なるほどジャニーズの王道を継承しているのだな、と納得もしました。

 

手越くんや小山くんがスキャンダルでちょっと色々言われている時期ということもありピリピリしているところもあるでしょうが、コンサートに来るぐらいのファンにはそんなのは関係ありません。何を言われようと自分たちの求められるキャラクターを演じる事をアイドルだというのであれば、非常なるプロ意識を感じました。

まぁそもそもスキャンダルで離れていくような人はコンサートには来ないでしょうし、後述しますがNEWSの古参ファンは女性問題ごときで動じるようなヤワな方々ではありません。

個人的には4人体制以前で好きなさくらガール、weeeekあたりが聞けたので満足度も高かったです。

 

NEWSは喪失と再生の物語を背負ったグループです。

こう言ってしまうと平成を風靡したセカイ系の文脈の一つとして取り込まれるような、社会学者の好きそうなテーマになってきますね。

もちろんどのグループの歴史にもいろいろな力学やベクトルが交差しているのは当たり前なのですが、NEWSの 場合は現行の四人体制に落ち着くまでに事務所と個人とグループが複雑に絡み合って、紆余曲折あった末に今の形となりました。

 

You&Jというファンクラブが過去にあったのは前回の記事で書いた通りです。

NEWSの歴史を語るうえではジュニアと4TOPSの事を書かないわけにはいきません。

 

ジュニアが人気コンテンツとなっていった経緯はそれだけで本が一冊書けるレベルになってくるので割愛しますが、剛健で芽吹いた人気が怪談トリオ+小原くん辺りを中心とした一大ムーブメントに成長し、ジュニアが単体でドーム公演が出来る時代になったことで、色んな弊害が生まれていました。

 

その後、かの有名な週刊誌でのジュニアスキャンダルと退所もあり、若くして人気を得てしまったことで調子に乗ってしまって問題を起こしたジュニアもいれば、円満に卒業した小原くんのような子もいたり、嵐とタキ翼がデビューしたり、東京ジュニアはある程度上の世代が卒業して一つの時代が終わりを告げました。関西ジュニアは未だデビューへの道は開かれておらず、事実上トップだった横山くん、すばるくん、村上くんの三人はまだデビューを待つことになります。NEWSがデビューした頃はそういう時代でした。

 

そしてもう一つのファクターが4TOPS(FOUR TOPSなど表記揺れあり)というグループ。ジュニア系の番組を見ていた人はご存知かもしれませんが、山下くん、生田斗真くん、風間俊介くん、長谷川純くんの四人によるユニットです。山下くん以外はみんな俳優専業となりましたが、もちろん最初から俳優だったわけではありません。

特に同期生で年も近い山下くんと斗真くんはシンメもやっていたし、ファンからは一緒にデビューすることを望まれていたようです。当時ジュニア史上最高ともいえる唯一無二の絶対的なスターでありリーダー、タッキーからバトンを受け取ったのは山下くんでした。(もっとも、タッキーはジュニアのお目付け役としてちょいちょい出てましたし舞台で後輩の面倒もよく見てたようですが)

 

さて、NEWSがお披露目イベントをしてCDデビューしたのは2003年の事です。この頃の時代性を振り返ってみます。

90年代終盤から00年くらいまでの時期はキンキがデビューの勢いそのままにミリオンを量産し、ジャニーズのCD売上トップを維持しつつ、SMAPも『夜空ノムコウ』『らいおんハート』などでミリオンを飛ばし、木村くんは相変わらず月9の王者に君臨していました。ただ、CDという媒体には陰りが見え、年間ミリオンが一作出るかどうかみたいな時代になっていました。

キンキのブレイク以降、CD年間トップテンに毎年SMAPかキンキが入っていましたが、02年はとうとうトップテンからジャニーズ勢が消え去った年でした。*1

(ちなみに02年の最高位は嵐の『a day in our life』の21位、そう考えたら嵐はこの辺りからブレイクしていたとも言える。)

 

そんな、ジャニーズの音楽業界での立ち位置がどうなっていくのか、という不穏な雰囲気が漂っていたのが2003年でした。依然テレビではジャニーズが毎日出ていたけれども、CD売上という指標においてジャニーズの存在感が薄れていた時期でした。そこには、ジュニア人気の加熱による若い世代へのファンの流入もありましたし、そろそろジャニーズはいいんじゃないか?みたいな世間の風潮があったようにも思います。

その中で草彅くん主演『僕の生きる道』の主題歌となった『世界に一つだけの花』が21世紀に発売されたCDの中で最高売上となるダブルミリオンを達成し(16年にトリプルミリオン達成)、SMAPが名実ともに国民的アイドルへのし上がり、そしてジャニーズも息を吹き返した、そんな年でした。

 

そんな2003年、捲土重来を狙ったジャニーズが満を持してデビューさせたのがNEWSです。バレーユニットはV6、嵐に続いて三組目です。ていうかもう10年以上前になるんですか、そうですか…。

Jr.のトップグループであった4TOPSの中でもトップの人気であった山下くん、K.K.Kityから小山くん加藤くん草野くん、関西ジュニアから錦戸くん内くん、ジャニーズ伝統の金八出演組から増田くん。昭和歌謡界の大御所の御曹司である森内くん(のちのtaka)。隠し玉でオーディション組の手越くん。この9人が結成当時のNEWSでした。

 

しかし、前述のようにジュニアの番組を仕切っていた人気グループであった4TOPSとしてのデビューを望んでいたファンが多かったという事情から、山下くんを引き抜いてわざわざ違うグループを作ってまでデビューさせることに反発するファンが多かったのも事実です。*2

私も風間くん、斗真くん、ハセジュンくんの三人が俳優になって事務所の歴史的に新しい道を切り開いたのは素晴らしいことですが、アイドルとしての未来が見れなかったのは残念なようにも思います。そのぶん、ドラマの評判はどうあれ『純と愛』で風間くんが遊川脚本のエキセントリックなキャラを熱演するのには心を打たれましたが。

特に山下くんと斗真くん(通称やまとま)は二人でデビューすると信じていたファンが多かったので事務所に対して容赦ない批判が浴びせられた時期もありました。この辺はNEWSが当初は期間限定という名目であり、セブンイレブンで限定販売されたCDが売れた結果としてユニットが残ってしまったのは皮肉と言えます。

 

当時はメンバーが流動的なものも含めてユニットが乱立していて、有名なものでいえばやぶひかのいた幼い少年ユニット・Ya-Ya-yah、ジュニア史上最高人気の呼び声も高かったKAT-TUN、のちのデビュー組を多く擁したK.K.Kity、橋本くんの入る前のA.B.Cなどなど。その中で、やや入所からが長めの4TOPSの人気はどちらかというとジュニア黄金期の流れを汲むものでしたので、総体としてのジュニアが好きだった人にとても愛されていたイメージです。

 

NEWSは歴代バレーユニットの例に漏れることなく、何の物語性もなく集められたメンバーが、選抜されてユニットを組みました。V6も嵐もそうですが、集められた段階での必然性はない中で、そこからデビューし、物語が始まるタイプのグループです。

ここはジュニアを共に過ごして苦労の末にデビューした関ジャニKAT-TUNと違いました。売れなかったりデビューできなかった時期を共にしたという努力や友情を押し出すのではなく、ジャニーズ王道の選ばれた王子様としての在り方が求められました。これは仕方のないことです。王子様が王子様である理由は血統以外になく、血のにじむ努力でなれるものではないのです。内情がどうであれ、涼しい顔をして笑顔でいることを求められます。

 

話を戻しますが、そういった経緯から、YOU&Jの残り二つのグループがデビューまで非常に時間を費やしたのに対してNEWSは事務所主導のエリート集団という雰囲気がありました。

 

入所からの順番で言えば、

96年 山下くん

97年 錦戸くん

98年 増田くん

99年 加藤くん・内くん

01年 草野くん・小山くん・森内くん

02年 手越くん

 

年齢でいえば

84年度 小山くん・錦戸くん

85年度 山下くん 

86年度 増田くん・内くん

87年度 加藤くん・手越くん・草野くん

88年度 森内くん

 

という感じです。

なぜエリートか、といえば年長三人の経歴によるところが大きいでしょう。小山くんは最年長ですがオールドルーキーなので入所歴で言えば浅いですが、選抜されています。山下くんは前述のとおり、押しも押されぬジュニアのトップでした。錦戸くんは関西ジャニーズとしては先輩のおなじみ三人組よりも先にデビューをしている感じがエリート感を漂わせています。

 

これはジャニーさんのバランス感覚だと思うのですが、こういう選抜ユニットを組むときに歴の長い技術の確かな年長組と、歴は浅いけど光るもののある年少組というまとめ方をすることが多いです。光とGENJI、トニセンとカミセンみたいなもんです。そして、この光GENJIとV6の年長組はデビューするまでの下積みが長く、苦労した感じがありましたがNEWSの年長3人にはそういった悲壮感は皆無でした。ジュニアとしても楽しくやってる感じがあったし、何より全員未成年で若かった。

トニセンを例にとれば長野くんが後輩がどんどんデビューしていくのを見送っていたり、坂本くんがサラリーマンを経てデビューをしていたりするのを考えるとデビュー時の苦労を売り出すのは少し弱いです*3

 

話を戻すと、NEWSは実際に頭の良い高学歴エリート集団という側面もあります。

増田くんと関西二人以外はのちの経歴も含めて、私立中高→早慶MARCHみたいなメンバーばかりです。ガチで育ちの良いエリートである櫻井くん以降、こういう人材が増えていますがNEWSはグループの平均としては他と比べて段違いに高学歴です。ジャニーズは幼少期に入所する人がほとんどで、最終学歴が中卒高卒という人も珍しくないので、そういう意味でキャラ立ちはしています。

 

初期の活動を振り返ると、山下くん内くん小山くんの三人がトークで前面に出ていた事、草野くんがラップみたいなパートをもらっていて歌がうまかった事、小山くんが仕切ろうとするけどやりにくそうにしてた事、音楽番組で出た時にあまりグループの統一感が無かった事は覚えていますが、そのほかの事はあんまり覚えていません。森内くんとかジャケット写真以外の記憶がないです。

セブンイレブンで発売されたデビューシングルの『NEWSニッポン』はもともと『ピースのサイン』というジュニアの曲をベースにしているのですが、その関係で藪くんと松本くんが駆り出されていたのはとても記憶に残っています。藪くんほんとすげーな。

 

そんなこんなで色々な思惑が絡み合いながらデビューしたNEWSでしたが、最初の躓きとして挙げられるのは最初の活動休止となるでしょう。

残念なことですが、NEWSはデビュー後3年間で3人が不祥事絡みで脱退してしまい、06年から年内いっぱいの活動を自粛しました。ここでは多くは語りませんが、メディア露出はガンガンしてましたが9人という大所帯でありキャラがあまり浸透していなかった時期です。

私の記憶でもよくわからない間に森内くんが抜け、フロントにいた内くんが抜け、デビューシングルから目立つソロパートのあった歌の上手い草野くんが抜けて、キャラが浸透していく前に数が減っていった印象があります。内くんの脱退については付き合いの長さから関ジャニのメンバーの方がショックを受けたようですが、それは次の機会に。

 

事務所としては山下くんを売るために作ったグループであったNEWSが活動休止に陥ってしまったので売り時を逃さないために、結果的に山下くんはソロとして動き始めます。わざわざ4TOPSを解体してまで強行したのにこれでは本末転倒ですね。

そしてその時期に山下くんは修二と彰の記録的ヒットもあり、ソロでも売り、デビュー前の亀梨くんと共に時代のアイドルとしてスターダムを駆け上がっていくことになります。

山下くんはこの頃にタイ最大の芸能事務所に所属していた兄弟デュオであるGOLF&MIKEと三人でGYMというグループを組んだりもしました。北山くん・伊野尾くん・戸塚くん・八乙女くんの4人を加えたKitty GYMというユニットでシングルも出してます。なお、同時期にジャニーズWEST中間淳太くんがいた台湾jrも出来たりして、事務所的にもアジアとのコネクションを模索していた時期でもありました。 

のちの山下くんの発言を斟酌すると、この時期の活動に色々思う所があったのかもしれません。

 

2006年いっぱいの活動休止が明けた2007年初から、NEWSは6人での活動を始めます。

世間では仁亀人気が大爆発してKAT-TUNがジャニーズで一番勢いのあるグループになっていました。KAT-TUNについてはまた他の機会に書きたいですが、CDもDVDも何もかもものすごい勢いでトップグループへと羽ばたいていました。NEWSは他の同世代に比べてデビューで先んじていて、CDもオリコン週間1位は必ず取っていましたが今一つわかりやすくブレイクはしていませんでした。

それはスキャンダルのせいもあったでしょうが、グループの人数が多く、脱退が相次いだこともあってファン以外にはグループの全体像がつかめなかった事があるでしょう。前述のとおり山下くんは知名度が高い状況でしたので、残りの5人をどう覚えてもらうか、という勝負になっていました。

 

さて、6人時代が一番良かった、という声も時々聞きますが、その気持ちもわからなくはないです。9~7人時代と4人時代は王子様的なところで雰囲気が似ている所がありますが、6人時代はちょっと異質です。王子様でもなく、バラエティ枠でもなく、自然体の若い兄ちゃんという感じの雰囲気がありました。

 

この時期のライブDVDを見ていると、以前までの微妙な距離感が解消されたわけではないけども何年も一緒に活動をしてきた連帯感が感じられます。 

07年には『weeeek』がグループ結成後初めて、CD売上で年間トップ10に入りました。90年代とはCD売上という指標の捉え方が違うので賛否ある部分ではありますが、NEWSとして最初に結果を残したシングルと言えるでしょう。他のグループはもっと売っていましたし、ファンの思い入れがある曲はほかにあるかもしれないですが、NEWS6人時代を象徴する一曲といえばこれだという人は多いのではないでしょうか。

PVでサラリーマンに扮した6人が「毎日しんどいけど、まぁやってきましょーや」みたいな事を歌う姿は、『がんばりましょう』や『たぶんオーライ』を歌ってた頃のSMAPと被る雰囲気があって、若者と寄り添える兄ちゃん像を体現していました。大学生サークルみたいな絶妙なチャラさ、距離を取りながらも仲良さそうな雰囲気がありました。

その中で『さくらガール』のような文句なしの名曲も生まれましたし、ライブで盛り上がる『恋のABO』などもこの時期です。

奇しくも活動休止前に発売されていた『裸足のシンデレラボーイ』がとてもこの時期のNEWSを表していたような気がします。ジャニーズの復権を賭けた王子様ユニットが一度夢破れて、そこから這い上がろうとする姿を描いているこの曲は心を打たれます。

 

そんな感じで6人のNEWSは一見するとうまいバランスを取っているように見えていたのですが、2011年に山下くんと錦戸くんが脱退することが発表されました。この時、NEWSが解散するのではないかという風潮がありました。この頃は色んな憶測が飛びました。なぜ二人が抜ける必要があるのか。フロントメンバーを欠いたNEWSはこの後やっていけるのか。実際は不仲だったのか。などなど。

二つのグループを掛け持ちすることの難しさがわかりやすかった錦戸くんに比べて、単純にソロになりたい、という山下くんの想いはどうしても理解されづらかったのも事実です。4TOPSのままデビューしていたら違っていたのか、という問題も蒸し返されたり、色んなことがネットでもリアルでも噂されました。

 

これまで抜けた3人ももちろんメンバーとしてかけがえはなかったのでしょうが、安定していた6人体制からフロント2人が抜けるのは訳が違いました。ここでNEWSは悲劇の物語性を帯びたように思います。これはメディアも悪いんですが、当時「去る2人」「残された4人」という対立構造が目立ちました。被害者としての残った4人をクローズアップするような論調が目立ちました。

また、色んな人が言及していることですが、NEWSの脱退者に対するスタンスは重たかった。こういう事を言うと怒られるかもしれませんが、ヤンチャな問題児の集まっていたKAT-TUNと対比すれば、脱退者が多いのはちょっと嫌なスキャンダラスさが先行していた感があります。

 

小山くんと加藤くんが深く傷ついている感じも伝わってきましたし、実際に多数の人が残された側のコメントを聞きたがっていたのも事実です。ネット上でもソースの乏しい噂がいろいろ繰り広げられました。

ただある種、手越くんだけはこの状況をチャンスにして名前を売っていった感じがありました。手越くんは当時からかなり攻撃的なコメントを出していたし、「主力を抜かれた被害者」という扱いにかなり反発していました。

おそらく今のNEWSで一番世間で名前を知られているのは手越くんでしょう。そもそも手越くんは入所間もなくしてデビューしたせいもありジュニア時代は全くの無名であり、デビュー以後はハモ担当の歌唱枠を一手に担っていました。実際4人になるまであまりどんな人か知らなかった、という人も多いでしょう。スキャンダルをガンガン売っていくキャラクターでの賛否はありますが、当時の新生NEWSを売っていくのに打ってつけでした。

 

当時残された4人にも色々な想いがあったのでしょうが、のちにファンをパーナさんと呼ぶこととなる『チャンカパーナ』を皮切りに新生NEWSはスタートしました。

この曲は4人になったNEWSを応援するファンのアンセムとして長く愛される曲になります。こういう事を言うと怒られるかもしれませんが、この曲の歌詞自体に物語性があるわけではありません。深夜バスで見かけた女をナンパしてホテルに連れ込む、チャラさにあふれるワンナイトラブソングです。

NEWSは4人になってからは、手越くんのキャラを含めてこういうチャラ男路線の曲に舵を切ります。ちょっとベクトルは変わりましたが、チャラい王子様みたいな雰囲気になり、ある意味で原点回帰したような印象も受けます。楽曲面においてはこれまでも何曲か提供を受けていたヒロイズムと本格的に楽曲のイメージ作りをしていけたのも一つの分岐点となったのではないでしょうか。

 

また、この騒動が無ければ『愛言葉』というファンとメンバーをつなぐアンセムは生まれなかったわけです。復活コンサートやアニバーサリーコンサートがファンにとって涙無くして語れないような物語性を帯びたのは、他のどのグループより苦しい道のりを歩んできたNEWSならではといえるでしょう。

急に集められた選抜メンバー、活動が軌道に乗る前にスキャンダル連発、活動休止、山下くんのワンマングループという揶揄、色々な問題がありました。そしてここでグループとして最大の問題に直面して、それを乗り越えてのコンサート。脱退における気落ちを乗り越えたファンにだけ与えられたプレゼントとしての『愛言葉』だったわけですから。

 

だからこそ、最初の活動休止期と、4人体制初期の二回のグループ存続危機を下支えしてきた古参NEWSファンは強いでしょうね。

そうは言ってももう4人になってからの時期が一番長いんですよね。だから4人になってからのファンもたくさんいると思います。コンサートでも思った事ですが、ファン層が結構若かったので新規ファン層をかなり獲得できている所感がありました。

今回自分の中でこうしてまとめてみて、今のジャニーズでも屈指の物語性を背負っているグループだなぁ、と感じました。というか気付けば恐ろしい分量になってしまったのでこの辺で。

 

*1:97年『硝子の少年』98年『夜空ノムコウ』『愛されるより愛したい』『全部抱きしめて/青の時代』99年『フラワー』、00年『らいおんハート』、01年『ボクの背中には羽根がある』()

*2:もっとも、のちに4TOPSの面々が語ったところによればジャニーさんは元々この4人を組ませるつもりはなく、それぞれがソロで売っていけるからこのユニット名にしていたようです。

*3:昔は長野くん坂本くんはぶっちぎりでデビューまでの期間が長かったのですが、キスマイとえびをはじめ、今のジュニアは軒並み二人を越えてる子がいて戦慄します。

少年御三家とYou&Jと2010年代のアイドル像と

かつてジャニーズにYOU&Jというファンクラブがあったことを、今の若い子は知らないかもしれません。少年御三家は、もっと知らないかもしれません。

 

この三グループを比較している記事はたぶんこの10年間死ぬほどあると思いますし、私にしても知ってることはほんのわずかなのでそう深い考察は出来ないのですが、自分の意見を整理したくてこの記事を書いています。

 YOU&Jはジャニオタならよく知る通り、NEWS、関ジャニ∞KAT-TUNの三グループの合同ファンクラブでした。かつてJr.黄金期を支えたメンバー、黄金期に憧れて入所したメンバー、それぞれが色んな思いを抱えながらが00年代前半に相次いでデビューしました。人気があった反面、00年代以降では稀に見るほど脱退や不祥事も多かったのもこの三グループです。

 

オタクというのはとかく「物語性」が好きです。とりわけアイドルオタクはその気が強く、メンバーやグループが成長していく中に物語を読み取ることで、共感したり、応援したり、涙したりするわけです。

 

結成からデビューまでの期間が長かったグループも、短いグループもありました。出ていく人と残る人、離れるファンと残るファン。脱退する前の曲、誰が脱退した人のパートを引き継ぐのか。この一連の流れの中に、そのグループを象徴するストーリーが生まれました。その一つ一つにファンは悲しんで、喜んで、失望もしたし、歓喜もしました。それが、後から振り返った時に説得力のある物語として機能しました。

 

事務所の中での立ち位置的にも、学力的な意味でもエリート集団として嘱望され、挫折から這い上がり、四人で返り咲いたNEWS。

決して恵まれた待遇でなかった関西ジュニアからデビューの道を切り開き、SMAP退位後のバラエティアイドル枠に入りつつある関ジャニ∞

ジュニア史上最高と言われるほどの人気を誇り、瞬間最高風速をたたき出したといっても過言ではなかったKAT-TUN

 

意図していなかった部分もありましたが、この三グループは成立から現在に至る道のりの中で固有の物語を作り上げてきました。事務所の思惑とは違った形で強くなってきた部分の強いグループだと思います。

 

思うに、ジャニーズ事務所はこの比較的近い時期にデビューした三グループを売る戦略として、最も栄華を極めていたうちの一つであろう少年御三家のシステムをもう一度作りたかったのだろうと思っています。

少年御三家とは言わずと知れた光GENJI男闘呼組、忍者の三グループで、芸能史上でもトップクラスの人気を博しました。昭和の価値観では男性アイドルは「御三家」なんです。新御三家の一人は郷ひろみ(ジャニーズ出身)ですしね。ジャニーさんのアイドル像って古いんですよね、基本的に。

 

光GENJI枠はもちろんNEWSですね。王子様枠です。ある意味ジャニーズとしては保守派な印象のグループです。

光GENJIはトップテンで何週も続けて一位を取り続けていた伝説のスーパーアイドルです。正直、後世に生きる私たちにとっては赤坂くんがクスリで捕まったり、大沢くんの子供が血がつながってなかったり、諸星くんは感じの悪いおっさん、みたいなイメージでしかないのですが、当時のシングルランキングなんかを見ると芸能史上でも類を見ない程のアイドルだったことがわかります。

 

白を基調とした王子様としての宿命を背負ったジャニーズ的価値観におけるエリートグループですね。光GENJIはキラキラしたアイドル像が通じた最後の世代といっても過言ではないでしょう。そのイメージから脱却したSMAPが新しいジャニーズ像を作り上げるまで、ジャニーズに求められるイメージは、作り上げられた手の届かないアイドルでした。NEWSは王道への回帰路線が感じられ、SMAP以後の王子様グループをどうやって構築していくのか期待が集まったグループでした。

 

過去の先輩にしてもマッチなんかはちょっとやんちゃなイメージだし、シブがき隊なんかはややコミカル路線でしたが、ジャニーズの王道を行くスタイルというのは少年隊を一種の完成形にした、ミュージカルで映えるアイドル像でした。世代を背負う王道系と、二番手三番手で悪めや面白系を入れるのは住み分けの意味でも理にかなっています。

残念なことではありますが、脱退者が出てしまったり、不祥事を起こしてしまったり、のちに年長組と年少組でスタンスが変わって年長組が出て行った部分もNEWSと光GENJIは重なる部分があります。NEWSは高学歴という属性でもありましたが、優等生なイメージで売りたかった所にスキャンダルがあったのも初期のマイナスイメージに拍車をかけました。活動休止後の6人体制となってからは安定しましたが、結果的に山下くんがソロへ移行し、錦戸くんは関ジャニ∞へ専念してしまいました。

 

山下くんを売るためのユニット、というように言われることもありますが、ビッグネームの子息であるtakaこと森内くんのためのユニットと言われることもありました。

が、結果的に前述の事情で今の4人体制に落ち着いています。4人時代が一番長くなったんだなぁ、と思うと時の流れを感じずにはいられないですね。私も年を取るわけです。

 

KAT-TUN男闘呼組の色がありました。男闘呼組は言わずと知れた「ジャニーズの落ちこぼれ」という設定の不良グループです。「落ちこぼれ」というと今の時代ではイメージが悪いだけですが、当時は落ちこぼれ=不良という代名詞として使われていました。管理社会にクソくらえ、と唾を吐く不良がかっこよかった時代だったのです。

同時代では色んな不良をテーマにしたドラマ、映画、漫画、音楽が作られたので男闘呼組もそのカテゴリの中の一つです。詰め込み型教育の蔓延した学歴社会で、ドロップアウトしたはぐれ者の事を落ちこぼれと呼んだのです。

 

まぁKAT-TUNはかなり踊れるグループで、男闘呼組は踊らず(本人たちは踊れないから、と言っていたようですが)バンドをやってる点では異なっていますが、不良というコンセプトは似通っています。両グループが実際に不良だったかどうかは置いといて、メンバーの外見もジャニーズらしからぬ、メンチを切っていくタイプのアイドルでした。性質上、ロック性が強い点も似ていますね。ただ、KAT-TUNがワルそうなメンバーが次々と抜けていった結果としてポップ路線が強くなり、数年後には関ジャニ男闘呼組の路線に近くなっていったのは興味深いです。

 

ギラギラとした悪そうな兄ちゃんたちがツッパって、しかしどこか寂しそうな、埋められない孤独のようなものを浮かび上がらせる時、信じられるのが仲間=グループだけなんだ、という表情を見せるときに、この6人の物語を読み取ることがファンであることなんだ、と私は思いました。

 

6人から5人、4人、3人と一人ずつメンバーが減っていき、とんがったメンバーは大半が辞めてしまった結果としてお茶の間受けする嵐的な雰囲気の仲良しグループになっていったのは皮肉な感じもします。タメ旅がとても面白かったので後半の雰囲気も私は大好きですが。

 

関ジャニ∞は忍者的な、面白枠というかコミカルな立ち位置でデビューしたと思っています。忍者というグループはたぶん少年御三家では最も知名度が低いと思われるのですが、今のA.B.C-Zを彷彿とするような超人的なアクロバットダンスユニットでした。

ここだけ切り取るとイマイチ関ジャニ∞との結びつきは弱いですが、忍者はカウコンなんかでよく歌われる『お祭り忍者』でデビューしていて、実はこれは美空ひばりの『お祭りマンボ』のカバーでした。デビュー当時、「演歌を歌えるアイドル」としてデビューしたのです。この辺はテイチクの演歌レーベルでデビューした関ジャニ∞とデビュー時のイメージとしては似ています。

 

忍者のイメージはフォーメーションダンスしかないかもしれないですが、歌もそこそこ上手かったんですけどね。光GENJIの瞬間的なピークと、少しイレギュラーな男闘呼組の存在に押されてやや影が薄いグループです。ダンスと歌を含めた総合的な実力では他の二グループに比べてかなり高かったんですけどね。いかんせん光GENJIの下り坂の時期と被ってジャニーズの存在感が無くなっていた時期なのも悪かった。

和のコンセプトを持たせたアイドルで、三社祭mixとかリミックスも結構日本の祭にかけてたんですけど、都内最大級のTSUTAYA渋谷ですら全く取り扱っていないマイナーぶりは泣けてきます。

 

人気という面で言えば忍者と比べるまでもない関ジャニですが、明るいパブリックイメージを守る点が特徴といえます。他のグループが暗いという訳ではないのですが、関西出身らしくバラエティ向けのキャラクターで進んでいく感じが見ていて安心感を与えます。昔はすばるくんとかギラギラしてて目つきとかすごい怖かったんですが、最近はバラエティで道化を進んで演じてるような感じもあって丸くなったなぁ、と思います。

 

とまぁ、少年御三家時代の事を思いつつYOU&Jを無理くり特徴づけたりしてるんですが、今から25年位前のジャニオタ達は少年御三家に夢中だったわけです。今に比べて情報が少なく、キラキラしたアイドルを無理して演じるのを見る中でも、隠された物語性を読み取っていたわけです。

 

昨今、特に後発の女性グループに多いですが、必要以上にわかりやすい物語性を表に出そうとするアイドルがうじゃうじゃいます。

私はことアイドルに関して物語性というのは一緒に追ってきた歴史の中で後から振り返って読み取るものだと考えていますが、今はそこまで歴史が出来上がる過程を待てない人も多いような気がします。既に作られた歴史ありきでアイドルを愛好している感が否めない。

 

大量にいるアイドルの中で自分が目を付けた地下中の地下みたいなアイドルが売れていくという保証はどこにもないし、最終的にサクセスストーリーとして読み取れない物語を後年になって評価することの難しさはアイドルを追ってきた人なら誰しもがわかるのではないでしょうか。

先代の東京パフォーマンスドールなんかはアイドルとしての在り方がおニャン子とAKBの文脈の中間に位置していると思いますが、語られる事はほぼありません。篠原涼子仲間由紀恵がTPD時代の話をすることも、まぁありません。中谷美紀SMAPTOKIOの番組でアイドルやっててムーンライト伝説歌ってた事なんか今の若い子は知らないですよ。そりゃそうだ。みんなアイドル冬の時代にアイドルとしては売れなくて、女優や歌手としてやっていく道を選んだんですから。捨てたい過去でしょうよ。

 

だから、今の世の中ではそこそこ売れてきた所で物語をあらすじで読む、そんな感じのアイドル像が求められているのかもしれません。アニメにしたって漫画にしたって、今のサブカル業界はネットの発達により供給過多の時代が進みすぎてすべてをチェックすることなんて不可能です。

 

そしてネットの発達によってアイドルを名乗ることはとてつもなく容易になりました。ニコニコ動画で「歌ってみた」文化が発達してなんちゃって歌手が世に氾濫しましたが、ライブチャットをしてればアイドルの真似事ができる世の中です。そんな一億総アイドル社会といっても過言でない承認欲求に飢えた世の中で、受け手側も手っ取り早い物語を欲しているように思います。

 

つまり、有象無象の素人を含めて、アイドル側は「物語を背負ったアイドル」でありたいし、ファン側は「物語の構成要素」でありたい。

ファン目線で言うと、小さなハコからスタートしたアイドルの成長物語の一部になって、自分とアイドルを同一世界観の登場人物として見てもらうことで承認欲求が満たされるわけですね。それこそネットアイドルみたいな文化でさえ、再生回数二ケタ台から付いてる信者はデカイ顔できるわけですから。古参がえばってるのはどこの業界でも一緒です。

 

だからこそある程度売れてきた時点で、「あっこの人たちにはこんな物語があるんだ!」みたいな後乗りしようとする人間に、古参は厳しいものです。自分たちが売れない時期を下支えして売れさせた、この物語は自分たちのものだ、という自負がそうさせるのでしょう。ポッと出の新キャラが3クール目から出てきたら叩くって話ですよ。だからこそ、武道館とかアリーナでやるちょっと前、そうですね、3000人くらいのハコでやってる所でファンになっておくのがベターですよね。ややこしい初期ファンではないけど、そこそこ古い、みたいな。

 

ちょっと違う話になりますが、90年代後半にモーニング娘。が、00年代後半にAKB48が流行って以後、「落ちこぼれ集団と呼ばれた子たちが、メンバーの脱退や苦難があっても、泥臭い努力で成功を勝ち取る」というフェイクドキュメンタリー形式のアイドルが、最も成功したひな形として定着しました。努力している姿を積極的に見せに行くスタイルですね。といってもモー娘。ASAYANのオーディションで平家みちよに敗れて、シャ乱Q内ゲバとモキュメンタリーの合わせ技で大成功を収めたことも、すでに歴史の一部と化している気がしますが。

 

肝心なのは、「落ちこぼれ」が「努力をして」「熱心なファンの支えで」「成功した」という設定にあります。実際にどうなのか、という点は検証不可能です。ファンはアイドルがライブのMCとかSNSで発信する情報を妄信するしかないのです。ガチなファンほど驚くほど冗談が通じないのでくれぐれも注意が必要です。

 

だから、ここ二十年くらいのアイドル像はその少し前の世代で言えば素人の部活感覚を楽しむおニャン子や、ファンタジーのスターであった聖子・明菜の時代、素人が見初められてシンデレラになるスタ誕の時代とは少し毛色が違います。

 

アイドル業界の潮流が10年遅れくらいでアニメ業界に入ってくるのは歴史が証明していますが、モーニング娘。の文脈でアイマスが、AKBの文脈でラブライブが人気を博しているのも、同一時代性として語っていいでしょう。

 

話がかなり脇道に逸れたんですが、ジャニーズにしてもたぶん世の中の大多数の人からすれば、グループを組んだ時点でデビューを決定付けられているイメージだと思われてる節があります。最近でこそ、ジュニア時代の苦労なんかが語られることが多いですが、実際の競争率とか、グループの大多数がデビューせずに解体してる現実はジャニオタしか知らないと思います。

 

人気メンバーは他に取られたり、学業専念という魔法の言葉で退所したり(大体出た後よそで芸能活動してますが、学業はどうした、学業は)、大半は一期メンバーと二期メンバー、みたいな位置づけでやってるんですよね。

時々語られる中でもSMAPに太一くんがいた、とかTOKIOの初期ボーカルの小島啓くんとか、キンキに神原くんという三人目がいたとか、色んな話がありますが、紙一重なんですよね。デビューできるかどうかって。K.K.Kityなんかもそうですが、小山くん加藤くん草野くんがNEWSでデビューしたのにityの三人はチャンスが巡ってこなかったり。

 

そもそもが、ジャニーズでメジャーデビューするにはそこそこの人気じゃ無理ですよね。ジャニーさんが主導でデビューさせるバレーユニット系は歌かダンスか両方の実力、ないしスペオキになれる顔面が求められますし、下積みを経てデビューする人たちはデビュー前でソロコンを松竹座とかで一日何公演もできるぐらいの人気が無いと無理です。それこそ人気絶頂でデビューする、ぐらいの勢いが求められます。

 

キスマイやえびなんかはちょうど私と同い年くらいの世代なんですが、同期メンバーがYOU&J若手あたりなのにデビューまでにかなりの時間を費やし、相当悔しい想いをしたということがデビュー後の記事や本などを読むと伝わってきます(『裸の時代』はかなりグッと来ました。)。

 

 YOU&Jについては言いたいことがたくさんありすぎて気づいたら概論だけで6,500文字も打ってしまいました。各グループについてのことも書きたいことがあるのですが今回はこの辺で。

関ジャニ’s エイターテインメントに行って、ジャニーズについて思った事

一週間ほど前になりますが、関ジャニ∞のコンサートに東京ドームへ行ってきました。

 

両隣が強火大倉担だったので一瞬怖かったですが、ラストのくだりで手をつないでくれたので安心しました。エイターはとても暖かかったです。

 

オープニング映像として七人がヤクザに扮した映像が流れました。『NOROSHI』がタイアップしているヤクザ映画をイメージしたものですね。『アウトレイジ』みたいな、アウトローな男たちの危険さをプンプンさせるスタイリッシュな映像でとてもかっこよかったです。

 

歓喜に沸く周囲のなか、私はSMAPの『Fly』のPVを思い出しました。和洋の違いはありますが、私個人としてはSMAPの後継グループは関ジャニだと思っているので、もしかしたらあと数日で解散する先輩に向けたオマージュなのかな、と思って感慨深いものがありました。

 

関ジャニのコンサートはいろんな要素のごった煮です。アイドル的な極めてスタンダードな曲もあれば、エイトレンジャーのコントもやり、メインステージでバンドもやり、アコギでアコースティックもやる。 曲調もギンギンなロック調のものもあれば、シンメを強調したダンサブルなナンバー、コンサート向けのノリノリな曲もあったり、バカな歌詞のコミカルな曲もあってバラエティ豊かです。KINGさんの出演もありましてほんと飽きさせない構成でした。

こういうシリアスな所とふざけてる所のギャップが非常にいいです。

 

あと東京初日で東京ディスりまくった曲を歌うのがマジロックでかっこよかったです。

 

〇ジャニーズでバンドをやる、という事 

関ジャニのステージの特徴として、先ほど述べたようにいくつかの構成で分かれている点が挙げられます。毎回恒例となっているのはエイトレンジャーとバンド形式ですね。

 

色んな所でジャニーズで楽器やるのはTOKIOから、とかバンド形式は関ジャニが本格的にやり始めた、とかバラバラな事が言われていますが、事実だけ述べますとジャニーズでグループとしてバンドをやるのは数十年前から伝統的にあります。

 

もちろん私もハイソサエティーの派生バンドやギャングスやANKH、よっちゃんのやっていたTHE GOOD-BYEあたりの数十年前の話になるとCDも入手困難で詳しくは知りませんし、バックバンドをやってる人たちもたくさんいますが、平成生まれの私には時代性含めて詳らかにはわかりません。

 

こういった過去に不勉強な点を承知の上、私の知っている範囲で関ジャニ以前でバンドと言われて思い浮かぶのは男闘呼組です。もちろん、デビューは上記の方々のずーっと後です。

男闘呼組(’88~93)は四人組のバンドで、「ジャニーズの落ちこぼれ」を自称していたちょっとワルな路線のアイドルです。Jrの中で楽器が好きな人たちが集まって結成したといわれています。

 

昭和と平成の狭間、バブル真っ只中の当時に不良とロックは若者のトレンドでした。この時期に発表された非行や暴走族や校内暴力を描いた作品は枚挙に暇がありません。

 

60年代が学生運動の最盛期であり、70年代は学生運動の失敗とオイルショックによる低成長によりしらけ世代と呼ばれ、80年代にはネアカ(⇔ネクラの対義語)とツッパリが生まれました。

基本的に若者の行動や性向は自分より上の世代における失敗を批判する形で決定づけられていきます。以前『ビーバップハイスクール』のレビューを書きましたが、あの作品にもあるように「筋を通さない」ことや「興味を持たないこと」への反抗が感じられる文化でした。

 

また、ロックバンドというのは『三宅裕司いかすバンド天国』、通称いか天なんかのヒットでかなり一般化した感じもありますが、当時のBOφWYやHOUND DOG、Xなんかが流行っていた時代において、「ロックをやる」ということは反体制の象徴だったのです。

 

この辺りは阿久悠さんの著書に詳しいですが、今や高齢者しか聞いてない印象のある「演歌」だって自由民権運動によって生まれた「演説歌」の略だし、非行少年の代名詞であったエレキに端を発するグループサウンズだって、テレビ出演を拒んでいた初期のフォークソングだって、すべて出始めた頃は不良や反体制の象徴であり、何らかの哲学性や主義主張を持って出てきていたわけです。

それが売れることで一般化して、元々の意味が陳腐化してしまった先に世代を超えた流行として残るわけですね。

 

つまり、バブル最盛期の日本において、型にはまらずに社会の管理の外に逃げたはみ出し者が不良となって、反体制のアジを飛ばすための表現方法としてロックを使っていたわけですね。

 

特に、男闘呼組の『不良』という曲は当時の不良を取り巻く環境を歌い上げた名バラードです。

不良というだけで陰口や噂で排除される日々を「死に物狂い」で生きる少年が、街を出ていきたいと思い、自分と一緒にいるだけで同じような偏見を持たれる彼女への申し訳なさと、彼女を連れて逃げるような勇気もないことを後悔する、そういう歌詞です。

 

「若さは 言い訳の 

 繰り返しだったのかと Oh…

 悲しい程…ちっぽけな

 自分がただ 悔しかった」

 

という二番サビを聞くと当時の管理社会ではみ出してしまったツッパリが抱えた悲しさや、もう戻れない不可逆性のようなものが胸に染み入ってくるようで泣けます。成田くんの切ない歌声も素晴らしいです。

 

関ジャニ∞は不良グループという売り出し方をしているわけではありませんが、岡本健一くんに師事していた木村くん擁するSMAPが解散し、当時男闘呼組の後継と言われていたTOKIO兄さんが農業アイドルになってしまった今、系譜的には関ジャニかな、と思います。順当にいけばKAT-TUNがあの路線だったのですが、トンがった人はみんな辞めてしまいましてタメ旅以降は充電期間に入ってしまい、もうそっちの路線には戻れなさそうです。亀梨くんの良い人オーラがすごすぎてびっくりします。

男闘呼組SMAPKAT-TUNもそうですが、素行の悪い人はジャニーズから出てっちゃうし、出されちゃうんですよね。事務所はもう少し寛容になってほしいです。

 

〇同世代性について

 昔You&Jというファンクラブがありました。NEWS、関ジャニ∞KAT-TUNの3グループの合同ファンクラブで、錦戸亮くんと内博貴くんが兼務していたりしたため、この3つは個別のファンクラブが無かったのです。その後、山下くんと錦戸くんの脱退に伴って解体されます。

 

この3グループはバランスが取れていたように思います。

初代ジャニーズから少年隊、光GENJIの伝統を受け継ぐ白馬の王子様イメージの正統派・夢を与える王道アイドルのNEWS。

関西密着アイドルとして関西ジャニーズからデビューする道を切り開き、コミックバンドからコントから体を張って何でもやります!枠のSMAP後継の関ジャニ∞

ちょい悪めの兄ちゃんだったマッチを先鞭として、硬派でゴリゴリな男闘呼組を経て、EXILEに対抗する路線のスタイリッシュ不良グループであったKAT-TUN

今までのジャニーズの先達を網羅するかのようなカテゴリ分け、住み分けです。

特にKAT-TUNファンは当時のジャニーズファンには珍しい層が多くいたように記憶しています。赤西仁くんが渡米した時に教室で泣いていた同級生は、ちょっとワルめの派閥の女の子でした。

 

この3グループはJr.過多の時代を生き抜きデビューを果たすも、不祥事が多かったり、脱退者が多かったりして所属していたメンバーが半分くらいになったりしました。NEWSは手越くんみたいに割と入所間もないメンバーもいましたが。

NEWS、関ジャニKAT-TUNのそれぞれのファンがいろいろな葛藤があり、それを乗り越えてファンを続けてきました。ここに纏わる物語性の話はまた今度したいと思います。

 

さて、この3グループに嵐とタキツバやソロ組を加えた辺りの世代は、ジャニーズJr.人気が非常に高まっていて知名度も高まり、黄金期と呼ばれた世代です。『愛LOVEジュニア』や『8時だJ』なんかはゴールデンでやってたので見たことある人も多いのではないでしょうか。

 

この時期は決定的にジャニーズの世代交代が進まなくなった時代です。

それまでのジャニーズはどれだけ人気があったグループでも、数年経てばセールスが振るわなくなり、20代半ばで解散するのが普通でした。

男性アイドルのトップに上りつめていたたのきんだってシブがき隊だって光GENJIだって解散しました。上がなんやかんやで俳優になったりソロに移行して、自動的に下のグループがせり上がってきて、というのが新陳代謝に繋がっていたのです。少年隊は解散していませんが、90年代中ごろにはアイドル売りは控えて舞台に移行し、後続に道を譲っています。(もっとも、当時は色々あったような噂もありますが…。)

 

前述のとおり、この世代交代を堰き止めたグループがありました。ご存じ解散するSMAPです。

SMAPは遅咲きでデビューから時間が経った90年代中盤頃から爆発的に売れ始め、2016年に解散するまで、あらゆるジャンルで活躍し続けるようになったのです。要するに、これまでのビジネスモデルがまずデビュー近辺でバカ売れしてその後何年続けられるか、みたいな感じだったのに、尻上がりに伸ばしていく手法で売れたわけですね。この一年でかなり知名度の上がったI女史の功績ですね。

 

その結果何が起こったか。本来ならデビュー出来る年代のJr.がデビューできなくなったのです。

数年で新陳代謝することを見越して少年たちをデビューさせていくのがジャニーズの売り方でした。少年御三家SMAPの成功によりJr.に入る子の数も爆発的に増えましたが、上がいなくならないのでつっかえてしまったのです。ただでさえ少年御三家の時代に下の世代が出てこれなくてSMAPTOKIOもV6もデビューが遅れました。たくさんのグループを同時にマネジメントできるほど、昔は業界にジャニ枠が多くなかったのですね。

これは吉本のNSCと構造が似ています。上が売れてしまった事の功罪で、後追いが増えるも、上の世代が君臨している限りデビューやら売り込みが後回しになってしまうわけです。

 

だからこそ、当時のJrは黄金期と言われていました。本来デビューしてもおかしくない人気の子がいっぱいいたわけですから、Jr.の冠番組がゴールデンに放送されていたのも頷けるくらい、多彩なメンバーがいました。

しかし、Jr.として人気が出ているからこそJr.のショービジネスもかなりデカくなってしまい、勢いを保持するためにデビュー出来ないというジレンマもありました。

 

そして、一番人気のある時期にデビューしなかったから伸び悩んだ面もありました。どうしても、Jr.の人気を考えて遅らせていた結果、売り時を逃してしまっていたんですね。

Jrが好きな人はJr全体を見ていますから、絶えず下の世代をチェックしますし、後ろにはすでに4TOPSやらKAT-TUN、KKKityやらJJExpressやら次世代が控えていました。この辺からJr.事情が複雑化していき、色んなユニットが出ては消えたり脱退したり、辞めジュという言葉がネットで一般化したりしました。ユニット乱立に加えて兼務メンバーも多く、かなり熱心なファン以外はJr.を把握することが難しくなってきます。

 

なお、同世代の中でいち早く90年代でデビューしたのは嵐です。

今でこそ嵐は他の追随を許さない大人気グループですが、当時のジュニアの中で一番人気グループだったのはタッキーや今井翼くん、小原裕貴くん辺りで、ちょっと後ろに相葉くんや斗真くん、松本くんや二宮くんがいるようなイメージでした。関西は横山くん、すばるくん、村上くんの三人が安定していました。タキツバはジュニア人気の根幹を成す存在だったので大人の事情によりデビューはかなり後になります。

2015-16のカウコンでたきすばが一夜限りの復活をしたとき、平均年齢30代前半ぐらいの色んな人が絶叫して発狂して号泣したのはこの時代を生きた証なのです。Jr.黄金期を知る人間として、あの二人が歌う『明日に向かって』は特別な意味を持ってるわけです。

 

この後、嵐はなかなかブレイクしませんでしたが、そのあたりは『嵐 ブレイク前夜』に詳しいのでところどころの信憑性はさておき、そちらをご覧ください。

 

ちなみに昔、SMAPのバックダンサーがまだJr.だった頃に、めちゃイケの企画で岡村がSMAPのコンサートに出演する、という回で当時のJr.が出た時もタキツバや関ジャニの年長三人が出てました。

 

どこに肩入れするわけでもない一般人の立場で言わせていただくと、嵐のブレイクは『花より男子』からだと思っています。が、『ごくせん』でマツジュンが注目されていたことは確かです。ごく出は永遠の新規などと言われるのもわかります。わかりやすいですから。ただ、あの時は主題歌が先輩のV6だった。楽曲面でのヒットはもう一つ足りなかった。嵐としてのムーブメントに繋がらなかった。

 

ジャニーズのグループはデビュー曲、ないしデビューして一年以内の曲が一番知名度が高い、というようなパターンが多いです。特殊な売れ方をしたSMAPは別にして、嵐も当時は『A・RA・SHI』が最も知名度が高かったといえるでしょう。ジャニーズが何組も出る歌番組で歌われる曲がいつまでもデビュー曲というのは、ファンとして寂しい気持ちもあります。

 

ただ、これはジャニーズの独特の売り出しの構造があって、ジュニアで結成したユニットをなかなかデビューさせず、テレビや先輩のコンサートなどで露出を増やしまくって名前を売り、焦らしまくったうえでCDデビューさせる、という手法によるものです。

 

当時鳴り物入りでデビューしたKinki kidsなんかは特にそうですが、かなり周到な準備をしたうえでCDを発売しました。これはかなり成功して、二人はすでに高い知名度と人気を持っていて、二人ともドラマにガンガン出てたし、SMAPの番組にもよく出てたし、実質冠番組の『LOVE LOVEあいしてる』も持ってました。これによってジャニーズとして他に類を見ない程の数のミリオンを飛ばすことになります。

このほか、既にトップスター級の人を主軸にして実力者や新人で固めて世に出すNEWS山下くんや中山優馬くんのような方式もありますね。

 

こうしてデビューにこぎつけると、楽曲も相当力を入れたものを用意するし、大体の場合はグループを代表する一曲になります。だからこそ、デビュー直後の最も注目されている時期を過ぎた後でもう一度大きな波を起こせるかどうかが勝負なわけですね。

 

売上枚数は90年代のCDバブルの時代とそれ以後でちょっと事情が異なりますので何とも言えないですが、嵐は個々の役者としての活動はさておいて、『WISH』『LOVE SO SWEET』の二作で色々な壁を破り、楽曲面においても再度ブレイクを果たします。

 

嵐がもがき苦しみ再ブレイクを果たした時期の2004年に、関ジャニ∞は『浪速いろは節』でCDデビューします。関ジュ出身はみんな関西要素が入ったグループ名ですね。

当初は大倉くんは和太鼓を叩いていたし、すばるくんはこぶしを入れた演歌を歌ったりしていましたが、当時から『大阪ロマネスク』みたいな『雨の御堂筋』を彷彿とするご当地ソングの名曲があったり、関西弁満載の曲があったり、かと思えば『Heavenly phyco』みたいな文句なしの名ポップスがあったりとかなり初期から音楽性の面でもいろいろやってたグループです。それだけ制約が少なかったのでしょう。

 

デビューまでが長かったり、デビュー後に売れなかったり、不祥事による脱退があったり、下からの突き上げに負けてフェードアウトしたりと順風満帆に進んでるグループはあまりいないジャニーズですが、関ジャニも御多分に漏れず苦労しています。でも、彼らはそんな姿は見せません。苦労の押し売りもしないし、あくまで「明るい」「オモロい」というパブリックイメージを前面に押し出します。これは正直、「アイドルだなぁ~」と思うわけですね。

 

とまぁ、関ジャニ∞と直接関係ない部分もありましたが、コンサートを見て、いろいろと思うところがあり6,700字も書いてしまいました。

私は事務所担的な立ち位置なので、今後も事務所の歴史について調べていきたいと思っています。

命懸けくらいじゃなきゃいつまでも何も変わんねぇ(エイトレンジャー2・さびしんぼう等感想)

ここ数日で映画を何本か見たので感想を。

 

〇エイトレンジャー2(2014年)

関ジャニ∞の映画の続編です。

 

前作『エイトレンジャー』はかなり戦隊モノの王道ストーリーで、横山くんが最後に加入してリーダーとなり、生き別れになっていた実の父親との共闘、父親の死を前にして慟哭して覚醒するくだりなんか、鉄面臂張梁かよ、と唸らせるような展開を披露してくださいました。

ディストピアでダメ人間たちがバイト感覚でヒーローになって、ダメ人間らしく大してまとまることもできずに脱退や敗北を繰り返すも、ふとしたきっかけに自分の過去や生い立ちを相克してヒーローとしての自覚を得る、という展開なんか、戦隊ものの1クール目として考えればかなり王道ですよね。

 

ていうか、私が前作を見ていて戦慄したのが、関ジャニ∞が主演で、敵の親玉が東山紀之で、製作がジェイストームで、どう考えてもエイターの方々に向けて作られた作品にも関わらず無駄に綿密に戦隊もののコンテクストに通底していることでした。いやファン層被ってないよ?見てる人の大半はこの無駄に凝った感じわかんないよ?と慄然としました。

 

まぁそれはいいんですが、続編となった今作は主役はすばるくんでした。赤ですね。王道ですね。

酔拳使う感じとか、戦隊的にはダイレンジャーとかゲキレンジャーな感じがあっていいですよね。前作からちょっと時間が経ったらそれぞれの欲望に溺れたりやる気を失ったりしていたほかの六人を軽蔑し、叱咤し、挑発する役回りで、かなりヒーローしててカッコイイです。

 

すばるくんの魅力って、あのギラギラした危うさだと私は思うんです。トークとか見ててもいつキレるかわからない怖さがあってハラハラする。

本人もそこを自覚して意図的に道化ていて、気のいい兄ちゃんを演じてる感じがするけど、あの触れたらヤケドしそうな感じがすごい魅力的に映る。90年代のSMAPとかTOKIO、もっといえば男闘呼組みたいなジャニーズの不良路線の尖がった雰囲気を残す数少ない人材だと思う。同じクラスだったら話しかけられない不良グループの怖い人感がある。

 

それはさておき、今回の主眼は世の中は単純な善悪の二元構造ではない、という部分でした。

ヒガシくん(悪のテロ組織)と竹中直人(警察→首相)、赤井英和(市長)の三人がそれぞれ正義でもあり悪でもあり、それぞれに正義を目指しているけどもその理想の実現のためには悪にもなる、という物語の構成で、アイドル映画に行政と警察の癒着まで絡めて複雑な対立軸を持ち込みすぎだろう、と思いましたが、物語の中で絶対的な悪者を作らない、という配慮なんでしょうね。

 

丸山くんに徹頭徹尾「モノマネじゃダメだ」と説くダチョウ倶楽部の肥後さんがずっとジャパネットたかたのモノマネをしているのがツボってしまったのと、岡本あずさにニューハーフ役をやらせる必要性が全くわからなかった辺りが印象的でした。

 

あと、あっちゃんはやっぱ声張る役は向いてないんじゃないかなぁ、と思いました。『マジすか学園』みたいな唐突にキレる感じは合ってたように思いますが。

 

さびしんぼう(1985年)

大林宣彦尾道三部作最終章。私の故郷(正確には隣町ですが)、尾道です。

尾道という土地は高度経済成長期で時の止まったノスタルジックな町で、坂が多くて雰囲気のある所です。「かみちゅ!」でも描かれましたが、中高生にとってはただそこにあるだけの日常で、坂もキツイし、遊ぶところもそんなに多くないしアレなんですけど過ぎ去った青春時代を思い起こすにはうってつけの町です。逆に言えば穏やかで時間の流れの緩やかな町です。

 

それにしても尾美としのりは大林作品にいったい何作出てるんでしょうね。途中で小林聡美が出てきて笑ってしまいました。同じ場所で男女が入れ代わったり幼馴染がタイムリープしたり幽霊に会ったり大変ですね。岸部一徳とかあの辺もファミリーですね。

 

大林宣彦の作品は、薬師丸ひろ子にしても原田知世にしてもそうなんですが新人に近い女優の瑞々しさっていうか、演技に不慣れな女の子を撮るのがうまいなぁ、と思うんですね。この映画でも富田靖子の「さびしんぼう」とユリコちゃんがそれぞれとてもかわいいです。

中川右介氏の著書によれば大林宣彦角川春樹薬師丸ひろ子のアイドル映画を撮ってくれ、と頼まれて「ひろ子のワッペン映画を作りましょう」と言って『ねらわれた学園』を作ったそうですが、言わんとすることはわかる気がします。新人女優を輝かせる撮り方がわかってるような気がします。ウブな表情が、かえって透明感があるような感じに映っています。

 

あと、さびしんぼうの白いオーバーオールとニットが昭和の最後ら辺の感じが出ててとてもよい。唐突にエロハプニングみたいなのが起こるのもお約束ですね。なぜ秋川リサ演じる英語教師がいつもスカートが脱げるのか全く説明がない辺り、よくわからないサービス精神を感じます。

 

今までの多くの作品でも表現されてきたように、繰り返し何度も映される尾道の港の夕焼けがノスタルジーを煽ってて、とてもいい。あそこは向島とかいろんなところに向かって渡し舟が出ていて、あの映画の通り、島に住んでる子はチャリを押して船に乗るし、台風が来たら船が出せないから休みになったりするような前時代的な地域なんです。あの子そういえば風強い日は潮の流れがすごくて来れないとか言ってたな、みたいな事を思い出してとても懐かしかったです。

 

私は神戸にも数年住んでたのですが、尾道と神戸は町の雰囲気がよく似ていて、坂と港が隣接している風光明媚な所です。まぁ町の規模でいえば神戸の方が圧倒的に栄えているのは言うまでもないですが、北に行けば山があり、南は海というロケーションは何か自分の原風景となっている感じはあります。

 

大林宣彦の性倒錯というか、女の子と入れ替わってみたり、母親の若いころにそっくりの女の子を好きになってストーキングしてみたり、そういうフェチズムが感じられる作品だと思います。

 

蒲田行進曲(1982年)

1982年のキネマ旬報で1位を取った作品で、前から見たいと思っていたので。

何にも勝る娯楽だった映画がテレビの普及によって斜陽となっていく最中の東映を描く、いわゆる内輪モノで、映画の規制によって撮れる物が狭まっていく様子や、主演俳優同士の派閥争い、その弟子たちである大部屋俳優の生き方を描く作品です。ちなみに原作はつかこうへいです。

 

作監督ってテロップで見て、あまりにらしくなくて笑ってしまいました。やっぱ徹頭徹尾コメディだからなんでしょうね。殺伐としたヤクザ映画のイメージが強すぎてこんな喜劇を撮るイメージが全くなかったんで意外でした。

 

風間杜夫演じる銀ちゃんのキャラの強さもさることながら、妊娠して男に捨てられて、弟子に押し付けられるみじめな女を熱演する松坂慶子が光っていました。裸を晒しているのも、まぁもともとそういう作品にも出られている女優さんだそうなので珍しくもないのでしょうが、今の松坂慶子からあまり想像できなかったので意外でした。ドラマ版では大原麗子が演じたらしいが、松坂慶子の方が個人的にはイメージは合ってる気がします。

 

当時は松竹映画といえば松坂慶子の時代であり、斜陽産業となりつつあった国内映画界を角川の大量宣伝、大量製作費で再興しようという流れがあり、かつ絶対にヒットするスター女優が不足していた時代だったという事前知識があったので同時代を知らないながらも多少理解して見ることができました。

 

色々印象的なシーンはありましたが、松坂慶子のいじらしさが良かったですね。

 

「ちゃんとプロポーズしてよ!」

「じゃあ、結婚してください…」

「じゃあって何よ!…お受けしました。大事にしてよ。私、めちゃくちゃ甘えるんだからね。」

 

というシーンなんか、ヤスの態度はグッダグダなんですけど女性としては形式だけでもプロポーズしてほしい感じが伝わってきて、無性にいじらしい。こんな都合の良い女どこにもいねーよっていうのはあるんですけども。

 

言ってることとやってることはクズなんだけど何だかんだ二枚目だし何か憎めない銀ちゃんは破天荒な昭和のスターっぽい感じで良かったし、明日階段落ちっていう日に荒れまくってメチャクチャにするヤスも、生真面目な男の一世一代感が出ててそれっぽい感じで良かったです。

松坂慶子が臨月になってそんなこと言わないでよ、みたいな事を叫ぶシーンも好きですね。シリアスなシーンなのにセリフは妙に冷静で、コミカルで面白かったです。総じてキャラクターが良かった。

 

 

ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌(1986年)

いわゆるヤンキー映画ですね。

私は不良とは全く無縁の学生生活を送っていたのでちょっと別世界を見る意味でこういう作品を見るのは好きなんですが、まーガラが悪いですよね。シャバいってのがどういう状態を指すのか今の時代に生きる若者にはさっぱりわからないですが、ケンカが強いことが一番価値があった時代の名残を感じます。

 

ヤンキー漫画って、結局強さ議論の話になってくるじゃないですか。タイマンで負けたらこいつの方が弱い、とか、多人数だからノーカン、とか。『カメレオン』とか『湘南純愛組』とかを少年マガジンで読んで育った私は、結局誰が一番強いんだろう?みたいな事を思って読んでいましたし、一回でも負けちゃうとそれだけで大したことないんじゃないか、なんて感じてしまいます。

 

でも実際問題、その日のコンディションとか多勢に無勢だとか、凶器があるかないか、とかいろんなことで勝敗分かれてきますよね。ビーバップはその辺が面白いです。トオルもヒロシも結構負けるんですよ。罠にはめられたり大勢にボコられたりすることもあるし、普通にタイマンでやられることもある。ツッパるけど、負けるし、多少弱気な面も見せる。不良漫画なのに誰が一番強いか、みたいな指標が無意味だってことを伝える感じがいいですね。その割に、やられたらやられっぱなしじゃ終わらずに二戦目で勝ちに行くところなんかは、メンツを重んじる、やくざものの学生生活が描かれていて面白いです。

 

そして何より中山美穂がかわいい。80年代後半のアイドル四天王(中山美穂南野陽子浅香唯工藤静香)の中ではミポリンが一番かわいいと思ってます。三作目からは出てないのはなんでなんですか!

 

で、内容はあんまり無いのですが、ボンタン狩りをする城東との抗争を描いたのが本作です。意味が分からないですよね、ボンタンを狩るっていう行為が。

そりゃもちろん不良の象徴であるボンタンを狩ることが他校への示威行為で、みじめな思いをさせることで敗北感を植え付けるってのもわかるんですけども。理解に苦しむ行為です。

 

基本はコメディパートと、乱戦殴り合いシーンばっかりです。不良同士のケンカって実際どんな感じなんでしょうね。やりすぎたらダメ、とかあるんでしょうかね。ケンカに負けた二人はしょげかえって、いつもは笑えたことも楽しくない。強い弱い、メンツの問題が自己肯定感につながってるんですね。

 

若しきり頃の清水宏次朗仲村トオルのカッコよさはシビレます。よく周りの子が言う「イケメンは怖い」という感覚が多少わかる気がします。

イケメンが群れているのは、確かに、怖い。美醜によって、自分の存在が否定される感覚がある。相手が美しいというそれだけでこちらの存在がねじ伏せられるような、卑屈な気持ちになる。もちろんそれだけが人間の価値ではないのはわかっているのだけど、相手が美しい、それだけで無意識の憧れを抱いてしまい、対等な立場でいられなくなる。美しければそれでいい。翠玉のリ・マージョンしたくなります。

 

何にせよ、古き良き昭和の時代に一瞬だけ流行っていた不良文化を感じられる作品です。

私の故郷にもここまででないにしても前時代的なヤンキーが時々いるのは内緒ですが…。

 

 

こんなところです。

映画はあまり強くないジャンルなので今後も攻めていこうと思います。

僕らタイムフライヤー(君の名は。感想)

【当記事は『君の名は。』および新海誠作品の核心に触れる内容を含みます】

 

先日『君の名は。』を見てまいりました。新海誠作品は久々の視聴になりました。

新宿や渋谷は混んでいたので都心を外れたシネコンに行ったのですが、いざ座ってみると右に座ってるのが金髪のカズレーザーみたいな兄ちゃん、左に座ってるのがグレート義太夫みたいなおっさんで両サイドの肘置きは占領されて足も広げられて窮屈、ジュースも置けず、これはハズレ席引いたかな…と思ってましたが、終盤二人ともすすり泣いていたのでまぁいいか、と許しの心になりました。

 

さて、ここで私の記憶の整理も兼ねて簡単にこれまでの作品を振り返ってみます。

 

第一作『ほしのこえ』(2002年)

ウラシマ効果セカイ系ですね。

新海誠が監督・脚本・作画から声優までほぼすべて一人で行ったことで有名です。

初期の新海誠は00年台前半に流行したエヴァのフォロワー群、つまり「セカイ系」の作品を作っていて、『イリヤの空、UFOの夏』、『最終兵器彼女』などと一緒にセカイ系の代表作として語られることも多いですね。

セカイ系の典型といわれる作品は多くの場合、戦うことで社会から強力な戦力として認められている少女と、その少女に盲目的に愛される主人公、という構造が認められます。語義の定まっていない概念なので諸説ありますが、多くは「キミ(ヒロイン)とボク(主人公)の関係性が世界の終末と直結する物語」という東浩紀の論調におおむね収まる範囲となっています。

つまり、社会に認められている少女に、認められることで存在価値を得る主人公像がセカイ系の構成要素の一つなのですね。承認欲求に飢えていた時代だったのです。

00年代前半は特別な能力を持つ女の子に盲目的に愛されるダメ主人公、みたいな類型の物語が食傷気味になるほどに流行しました。ダメ主人公は大体が平凡な出自だけど口八丁で立ち回ったり、危なくなったらヒロインが助けてくれたり、という感じですね。

ちょっと前にはヒロインを通り越して物語全体から盲目的に承認されるいわゆる俺TUEEE系も流行しましたね。

少し脱線しました。このほか、新海監督の後の作品にも通じている「好き合っているのに自分たちでは変えられない外的要因により結ばれない二人」という主題や、全体的に漂うダウントーン雰囲気などはセカイ系を出自に持つからと言えなくもないと思います。

 

第二作『雲のむこう、約束の場所』(2004年)

日本が南北に分断された世界の青森を舞台として、やや冴えない主人公の藤沢とモテる親友の白川、憧れの女の子の沢渡さんがカントリーな高校生活を送りながら仲良くなり、ある約束を交わす。その後、アメリカの統治軍との軍事衝突により時が流れ、三人がバラバラになり、けれどもまた戦いの歴史の中で繋がりあって、あの日の約束が…という話。

作品自体はいまだセカイ系の文脈にありますが、前作よりはストーリーに監督の独自性が見られます。個人的にはエヴァ感が強くなっている印象です。

前作もそうなのですが、90年代頃のトレンドで戦時下の少年少女たちを描く作品が数多くありました。大塚英志先生なんかに言わせれば「「戦争を知らない子供」と呼ばれた世代が、「架空の」戦時下にある生活を目一杯「想像した」作品」とでも言いましょうか。敗戦に打ちのめされた世代でもないし、極度の反省主義にも染められてない世代が戦争を描き始めたというんですかね。

まぁなんにせよ、日常パートの平和さが戦争によって切り裂かれ、もう戻ってこないような感じは朝ドラなんかと近しい気がします。新海誠監督の作品には「自分たちでどうにもできない外的要因によって引き裂かれる二人」というのも作中でそこそこ出てくるテーマの一つなのですが、戦争っていうのはその最たるものですよね。前述の朝ドラでも、幼馴染の本命最有力候補が出征して引き裂かれる、みたいなの多いですもんね。

この辺までは新海監督は明確に過去作のフォロワーとして作品を作っていたように思います。

 

第三作『秒速5センチメートル』(2007年)

たぶん『君の名は。』以前は一番知名度が高かったことでしょう。この辺りから映像美と青春の甘酸っぱさ成分の濃度が非常に上がってきます。エッセンス程度だった監督の実体験っぽいエピソードがふんだんに盛り込まれてくるようになり、作風を確立した感があります。

この作品は三章立てとなっていて、中学生、高校生、社会人という時間を用いた縦軸と東京、栃木、鹿児島、ふたたび東京という地理的な横軸を使って話が進みます。時間の流れは無常だな、と思わせる作品です。振分髪の筒井筒のジュブナイルから分別のある大人になっていく一連の流れを描いて、不可逆で不可塑な状態を最後に持ってくることで喪失感を心に浮かび上がらせる名作だと思います。

作画のクオリティもここから死ぬほど上がります。この作品から新海誠に入ってしまうと、昔のアニメを見ない一般人であれば前二作は作画がしょっぱすぎて見れないかもしれないです。このころがちょうどセル画からデジタルへ完全に転換した時期でもありました。

ストーリー的にも視聴者にリテラシーを要求するSF要素を極力排して、一般向けに急激に舵を切ったともいえるでしょう。観客目線では予備知識がいらないのでとっつきやすくなったともいえます。

実際には「時間と距離と想いの無常さ」を描いていると言えるので『ほしのこえ』と同じことを描いていると言えなくもないのですが、題材の取り方一つでここまで作品が変わるんだな、と思いました。

確かにウラシマ効果とか言われても、普通の人は意味わからないですもんね。あれは庵野秀明がデビュー作『トップをねらえ!』でウラシマ効果を使ったオマージュだと思っています。

ちなみに私が大学に入った頃にこの映画がニコニコ動画の黎明期ともガッツリかぶって山崎まさよしと共に相当流行っていて、こんな高校生活は送ってない、死にたい、という旨の事をしきりに大学で言っていた気がするし、クラナドが流行った時も同じ事を言っていた気がします。

 

その後私は2011年に大学を卒業して社会人となり、引っ越しや研修でアニメを見る暇がなくなりカルチャー方面から離れていたため、ちょうど春頃に上映されていた第四作『星を追う子ども』(2011年)は未視聴です。再びアニメを見るようになったのは社会人になって2年くらい経ってからです。

 

第五作『言の葉の庭』(2013年)

新宿御苑を舞台にした恋愛映画。

舞台は新宿と中央・総武線沿線で、主人公が雨の日に出会う年上の女性との交流を描いた作品です。漫画家の楓牙先生の『教師と生徒と』とかとも通ずるところがありますが、「少年の大人の女性への甘酸っぱい恋心」は近年の作品ではダウントレンドなのでこの題材は意外でした。意外だけども、新海作品のヒロインとしては年上の方が合うような気もします。

この作品を見た時に、ちょっと今までの新海誠と違うな、と思ったのは終盤に主人公が感情を相手にぶつけて泣いたんですよね。子供っぽい逆上ではあったんですが、自分の想いを爆発させることはこれまでの達観した主人公像からは考えられませんでした。

一回りくらい上の相手だから素直に本音を言えた、ということなのかわからないですが、意外だったんですよね。新海誠の軸っていうのが、「言いたいことを言えなかった後悔」にあると思ってたので。

個人的にこの作品は結構好きで、どう考えても監督の過去の女との思い出のアイテムであろうDIANAの靴を何度も出してくるところとか、靴のフィッティングをするシーンの足を触る描写の丹念さとか、個人的な趣味やフェチズムをふんだんに詰め込んだ新海誠私小説を、物語としての体裁を整えて世に出した純文学だと思ったんですよ。短歌を使ったりするのも憎いですね。執拗に雨や水や滴を描くのも何か偏執的なものを感じました。

こういう「核心に触れたら壊れてしまいそうな関係」って結構あるじゃないですか。本当は会える事を期待してるし、もっと相手の事を知りたいんだけど、口に出したらダメになっちゃいそうっていうか。

ユキノさんはトラブルの渦中で信じられる人もおらず立ち止まっており、主人公も複雑な家庭環境にある。二人ともあの場所に救われているんだけれども、相手の境遇には気づいていない。そういうのがいいですよね。

 

で、『君の名は。』を見たわけです。見たあとに新海誠作品が好きな友人にすぐラインを送ったのですが、

 

rosehana「新海に何があったの、こんな話書く人じゃないでしょ」

友人「ほんとそれ」

rosehana「ウジウジした高学歴童貞の恨み節みたいなの見てだんだんつらくなってくるのが新海じゃないの」

友人「主人公が身を持ち崩すラストを想定してたし、たぶん望んでた」

rosehana「正直、今までの新海なら少なくとも最後のシーンなくて、四谷からドコモタワー見つめて君の名前は…で終わってたよね」

友人「歩道橋ですれ違えただけでも救済しすぎた感があった」

 

などと宣っており、新海誠の支持層に重度のバッドエンド中毒患者がいることを感じさせました。

 

写実的な景色だとか、やたらに空を見上げる主人公、「空」に必要以上に物語的な意味を持たせる点、物語の根幹をなす割に現象として以上の説明の無いSF要素、すれ違いの切なさとか描くのは昔から変わってないですが、ちょっと救いの要素が強くなりすぎじゃないかな、というのは私も感じたところです。

 

物語的には大林宣彦の『転校生(原作は「俺があいつであいつが俺で」)』とか『とりかえばや物語』とかを下敷きにした物語で、思春期の男女の入れ替わり、すなわち性転換モノなんだけど、そこにループ要素を加えた意欲作でした。

たくさん詰め込んでいるのに、説明不足になり過ぎず、中編映画の割に中だるみもせず面白かったんです。

 

私の話をさせていただくと、去年から東京に転勤してきて、職場の近くや新宿の風景がわかるようになったのが良かった。もちろんこれまでの作品でも東京の街並みは出ていたんだけども、新宿を見て新宿だとわかって、ドコモタワーや総武線、四谷の駅の外の様子がわかることってこの作品を見るうえでとても大きいですよね。

 

ほしのこえ』から始まって、モテて言い寄ってきた女はそれなりに相手するけど、本命の女がいて、その子とは添い遂げられなくて、ああでもないこうでもないってウジウジしてタイミング逃してしまって、もう取り返しがつかなくなってしまった、悲しいですね、みたいな青春を謳歌できなかった童貞の妄想を限りなく美化したようなストーリーが基本線だったわけです。

大人になってから振り返っているような、すれ違ったタイミングからかなり時が経っている時点での描写があるのが基本なんですね。達観しているような態度を取りながらも、実は後悔の念が強くて、人知れず思い出の風景を見つめて涙する、そんなようなイメージで来ていました。それが『言の葉の庭』からやや変容してきていました。

 

空を基調とした写実的な絵があって、感動を煽る音楽があって、秒速以後はイメージビデオだとかPVだとか揶揄されたりはしましたが、それはそれで煽情的になっていて、感傷に浸るのに効果的でした。そう、どこまでも感傷的な物語だったのです。主人公の傷心旅行に付き合っているような、そんな物語が新海誠っぽさだと思っていたのです。

それがここまで爽やかに舵を切ってくるとは思ってなかったのでかつての新海誠を知る人たちはびっくりしたのです。誰だよって。

 

しかしまぁ、エンターテイメントとして非常にわかりやすく、かといって子供騙しにならず、面白い作品でした。

面白いな、と思ったのは性転換モノは「性差」とか「少年の性欲」との向き合い方が焦点になることが多くて(『転校生』でも小林聡美が胸を晒していました、時代が時代とはいえ恐ろしいですね。)、ちょっとエロの要素が見え隠れしてしまうわけですが、この作品はそこをうまく回避しています。トイレに行った後の部分と胸を揉むシーンくらいですね。高校生の男女であれば実際にはもっと色々あるはずなんですが、その辺はうまく誤魔化しています。

 

これが新海誠の仕込んだフックの一つで、中盤で一つ目のループ構造(一回目の「君の名前は!」ですね)を明かし、そこからは糸守村の辿る運命とご神体を用いた二つ目のループ構造(糸守村を救うためにどうするか、というシーンですね)を明かして全体を通してハイテンションの物語を作り上げているわけです。息つく間もなく話が進むテンポの良さはさすがです。

口噛酒を躊躇なく飲み干す瀧くんは素なんですかね。飲み干すの見て変な笑いが出て色々ハラハラしました。

 

にしても上手い作りの作品ですよね。

昭和の原風景を残している田舎から、スマホを操作してるから舞台は現代だなって思わせておいて、実は3年のタイムラグがあるとか、「君の名前は」というキーワードを中盤と最後のシーンで二回使って、それぞれ意味が違っていることとか、何気にユキちゃん先生が出てる所とか、ある意味で新海誠の持つ「時系列性」「過去への悔恨」「主人公達は学校生活ではモブ」というようなエッセンスは残しているところとか。細かいことは縁起が大火で焼失してるからわからん、みたいなとことか。

 

パンフには新海監督のインタビューが寄せられています。

 

秒速5センチメートル』という作品を作って、ある程度の評価や支持もいただいたんですが、自分の思いとはずいぶん違う伝わり方になってしまったという感覚があったんです。自分ではハッピーエンド/バッドエンドという考え方をしたことはなかったんですが、『秒速~』は多くのお客さんにバッドエンドの物語と捉えられてしまったところがあって。それだけに多くの方に響いたという面はあったし、作品の受け止め方はもちろんお客さんの自由だけれど、少なくとも僕としてはバッドエンドを描いたつもりはなかったんです。

 

要するに、新海監督曰く『秒速~』のラストは過去の思い出はそれはそれとして終わりを告げて、今これからを生きていこう 、という前向きな物語だというわけですね。それをデフォルメすると『言の葉の庭』のラスト的な、さっぱりとどちらもそれぞれの道を歩もう、というラストにつながるわけです。そんな風には思えない人にはバッドエンドの物語として全国津々浦々の飲み屋で口伝されてきたわけです。

 

この辺は難しいところですよね。私も過去に好きだった人もいたし、付き合った人もいたし、別々の道を歩んで今何しているのか全く知らない人もいます。それは、もう全く興味がなくなったからどうでもいいという場合もあるし、別れの形が辛すぎたから諸々の未熟だった自分も含めて思い出したくないという場合もあります。

どちらにとっても前向きな別れというのは難しいです。未来永劫、あの時別の選択肢を取っていれば…という悔いを背負って生きたり、誰かの存在を心にシミのように残して生きていくのは辛いことです。

 

 新海誠を支持するボリュームゾーンは「恋愛経験が無い訳ではないけども、青春時代に悔いが残っている人」だと思っていて、一度もモテたことがない、というような層よりも多少は女友達もいて、それなりに付き合った事もあるけどもどこかでこじらせてしまった層のように思います。だからこそ、スクールカースト上位層には響かないだろうな、とも思うし、新海誠私小説的な文脈を読み取れないと思うんです。

自分の事を知っている人がいない土地で暮らそうが、恋人が出来ようが、セックスをしようが、ふとした瞬間に鬱々とした思いで過ごした青春時代の感覚に囚われてしまう瞬間が存在する人にとっては、新海作品というのは劇薬なのです。今の幸せが、過去の後悔や傷を消せるわけではない、ということを突き付けられるからです。

見ていて辛くなってくるのは、新海誠の人生の後悔とかやり遂げられなかった想いを追体験させられるからなんだと思うのです。この辺は村上春樹を読んでオサレなフリーセックス、春樹のリア充っぷりを追体験させられて胸やけしてくる感じとベクトルは逆ですけど同じような感じに思います。

 

また、田舎と都会の描写もいいですよね。

ジブリの『海がきこえる』なんかにも言えることですが、田舎の牧歌的な風景と、それに付随する土着性、狭いコミュニティでの生きづらさと、都会的な街並みや人が多いけれどもその分無関心でいてくれる部分の対比は、どちらも経験した身からしても趣深いです。

 

ちょっと『君の名は。』の話から逸れてしまいました。

私は新海誠私小説シリーズは『秒速5センチメートル』で青春の恨み節としての一つの到達点に達し、『言の葉の庭』で少年の甘酸っぱい夏の日の思い出としての完成形を得たと思っていましたが、こうして強くエンターテイメント性を前面に押し出した作品を世に出してくるとは思ってもいませんでした。

どちらかというと、赤裸々な私小説を描いてそれがニッチな意味で評価される、という感じで行くものと思ってました。だから単館上映の『秒速~』が口コミで流行っていったわけだし、何回も見に行く作品になっていったんだと思います。

 

それが、新海誠の新作がぶっちぎりで国内興行収入1位を取る、なんて(しかも3位が庵野が監督したゴジラなんて)。メディアでこんなに取り上げられるような作品になるなんて。ネットはアニメとの親和性が高いので驚かないですが、テレビで取り上げられるとは思っていませんでした。

興行収入が100億円を超えるようなオリジナルアニメが宮崎駿作品以外で出たということだけでもビックリするのに、それがまさかの新海誠っていうのは、これまで作品を追ってきた人たちにとって驚愕の事実だったのではないでしょうか。セールスはそこそこで世間の話題になったりはしないけれど、アニメを見ている層からは評価を受けて信者が付く、というようなタイプだと思っていたので私もただただ驚いています。

ある意味ジブリとか細田守とかディズニーとか、ああいう世間で評価されてセールスも良いけどアニメ見てる層の間であまり話題にならない作品と対極にある作品で食っていくと思ってたんですけど、口コミやSNSが強い現代において作風に時代が追い付いてきた感じはありますね。

 

君の名は。』ってセカイ系寄りの作品じゃないですか。でもって、セカイ系特有の後味の悪さっていうか、取り返しのつかなさ、みたいな部分を、この作品では回避しているのですよね。かつてセカイ系で世に出た、まさにセカイ系フォロワーであるところの新海誠が、こうやってセカイ系にケリを付けた、というのは評価してもいいんじゃないかと思うんですよね。

 

あと語ることがあるとすればRADWIMPSですね。

私がRADWIMPSを初めて聞いたのは高校生の頃ですが、BUMPのフォロワー的な立ち位置だったように思います。私は受験生でした。ある日TSUTAYAで、

「誰も端っこで泣かないようにと 君は地球を丸くしたんだろう? 

 だから君に会えないと僕は 隅っこを探して泣く 泣く」

というフレーズ(『有心論』です)を聞いてCDを急いで借りたのを覚えています。当時もう期待の若手としてそこそこ売り出されていました。

あれからもう10年くらい経ってるんですよね。そりゃ年も取るわけだ。

 

今回の大ヒットが新海誠監督の今後の作風にどう影響を与えるのかいちファンとして楽しみに思います。この線で行ってもいいと思いますが、エンタテイメントに媚びない作品ももう一度くらい見てみたいというのが本音ですかね。

少年漫画の王道とは?(僕のヒーローアカデミア感想)

少年漫画の話をする。

 

幼稚園か小学校低学年くらいの頃に初めて買った(買ってもらった)漫画は『金田一少年の事件簿』でした。

父親はマガジンとチャンピオンを買っていて、当時はマガジンが発行部数でジャンプを抜いた時期でした。いわゆるマガジン黄金期と、ジャンプ暗黒期というやつですね。

 

金田一のほかにも、サイコメトラーEIJI、カメレオン、はじめの一歩、BOYS BE…、Let'sぬぷぬぷっ、中華一番、コータローまかりとおる、DREAMS、哲也、将太の寿司、湘南純愛組→GTOなどなど連載時期が前後するかもしれませんが、私個人としても充実したラインナップでした。MMRも時々やってましたね。

マイナーなとこではストーンバスターとかMAYAとか釣りに行こうよとか人間凶器カツオとか脳みそプルンとかも好きでした。

 

この時代はヤンキー、スポーツ、エログロの三大柱に、料理ものに恋愛ものがあってバランスが良かった時代でした。企画先行型でやってた、いわゆるキバヤシ時代ですね。カメレオンなんかはコマまんまコピーや使いまわしの話が多すぎて子供ながらにこれって大丈夫なのかなって思った記憶があります。

 

その後、『AIが止まらない』をやってた赤松健が『ラブひな』を描き始めて流行ってきたあたりから、スクールランブルや涼風とかウミショーとか入ってきて、萌え絵が多くなった印象です。Jドリームとかシュートとかハーレムビートもそうですが、同人上がりの女性漫画家のスポーツものがそこそこ人気になり、Get BackersとかSAMURAI DEEPER KYOとかバトル物を書き始めたあたりで一気にオタク化が進んだ印象です。

 

金田一とか今読むと講談社新本格ブームに乗っかっただけのような作品で、今見ればいいかげんなトリックも多いんですけど、当時は犯人の名前や殺されたトリックとかもすごく覚えてたし、飛騨からくり屋敷くらいまでのおどろおどろしい雰囲気、怪人の気持ち悪さは新本格っぽさが出ててよかった。新調した後なら雪影村の雰囲気が好きだった。

 

まぁそんな感じで、私も人並みに少年漫画を読んできていて、大学入って社会人何年目かまではジャンプも毎週買って読んでいました。今まで買った漫画で車が確実に買えたくらいには漫画を読んでいます。

 

で、数年ぶりにジャンプ漫画を買ったのが、『僕のヒーローアカデミア』です。

なぜかっていうと、ここ数年変化球な作品ばかり読んでたから、久々に王道バトル物が読みたくなったからです。アニメ化もあって本屋で平積みになってたので気にはなってたんです。

 

これが読んでみるとほんとに面白くて。

まず何よりキャラクターのデザインがいい。出てくる女の子がみんなかわいいし、デザインがゴチャゴチャしてないから絵がすっきりしている。蛙吹ちゃんとか八百万ちゃん、その他脇キャラみんなかわいいってのは奇跡に近い。すごい。

 

あと設定が良いですよね。最近のジャンプで看板だった長期連載って、結局は主人公の血筋が良いっていう作品ばっかだったじゃないですか。Dの意志持ってるルフィ、火影の息子に、一般人かと思えば護廷十三隊の息子だったり。ぬらりひょんの孫もいたし。そうでないものもありましたが、10巻前後で終わったりして。

 

その中で完全な血筋上の無能力者が、物語上の必然性を以て能力を得て、努力によって能力者と戦っていく、というストーリーには王道を踏まえた王道ものというか、メタっぽい目線を持った王道ものの香りがします。

 

血筋全盛の世の中に飛び込んでいく無能力者っていうのが看板漫画へのアンチテーゼな感じもするし、上条さんやお兄様みたいに「それって結局強いんじゃないんですかね…」みたいなのとも違うし、本来的な意味での無能力者がきっかけと努力と根性で成り上がっていくっていうのはスポーツ物のコンセプトを逆輸入したような感じで面白いです。スポーツ物は血筋関係ない作品のが多いですからね。

 

あとメタっぽさの点でいうと、読者が考えそうな進行上のひずみをいち早く作中で言及する感じがいいですね。世論を踏まえて体裁整えて学校運営しなきゃいけない感じとか、「ヒーロー」という職業がファンタジーであることを踏まえつつ、それを現実世界にどう落とし込むかってことをすごく考えて作られてると思うんですね。

 

私も自分で物を書いたり、話を作ったことが拙いながらもあるのでわかるんですけど、自分の頭にあることや設定をすべて物語や文中に落とし込めないから、表層上に出てきている事実だけ見ると矛盾してたり、違和感を感じたりする部分がわからなくなるんですよね。結構ほかの作品では単なる齟齬やミスと伏線がごちゃごちゃでわからないものが多いんですが、この作品ではあまり気にならないような気がします。それぞれの過去くらいで、複雑な謎は用意されていないのもあるかもしれませんが。

 

あと、世論というか世間の反応の仕方が現代にあっているっていうか、ネット時代の悪意の描き方もうまいなぁって思います。ヒーローの叩かれ方や、悪意が悪意を呼ぶ感じとか、善意で行ったことで何か間違いが起こった時に反感を持った人間が悪意で塗りつぶす感じ、それでもヒーローに憧れる生徒たちと、ヒーロー原理主義者たち。なんとなく前時代的なヒーロー系の連中に対して、ヴィラン側はやや近代っぽいアイデンティティの持ち主っていうか。

 

今の世の中は本当に「何が正義なのか」がわからなくなっていて、たとえファンタジーの世界であっても善悪の二元論が成り立つ世の中ではありません。何をやっても叩く人間がいるし、目立てば誰かの悪意に晒される危険がある。

 

そういう世の中で「ヒーロー」を生業としていくことの難しさが描かれていると思うし、会話をするのもギリギリ成り立ってる感じのヴィラン達を見ていると、作中世界の歪みも見えてきます。それはつまり個性の有る無しや強弱で判断される(これはまんま元の意味での個性とも繋がりますね)ことであったり、ステインが言っていたような一方的に悪を裁くことで個性の使用を許された「ヒーロー」自身の歪みであったりするのだと思います。

 

何にせよ、こんなに一冊一冊心躍りながら読んで、最新刊を早く読みたいと感じるのは少年バトル漫画ならではだし、刊行分読み終わってしまって次出るのがまだ先で歯噛みすることができる作品に出合えるのは幸せだなぁ、と思います。

 

オールフォーワン編が終わったらヒーローの中での内ゲバとかありそうだなぁ…。拝金主義のヒーローがヴィランと癒着してて、事件起こさせてるとか。悪役がいなくなったらおまんま食い上げっていうのもヒーローの歪みの一つなんでしょうね。災害救助とかもしてるみたいですが。敵を倒すことに特化した能力の人たちって平和になったらなったで困りそうだもんなぁ。

まぁそんなこと言ってると「敵って、誰だよ」って石田彰が言ってそうな感じしますね。