目を見ればわかるなんて

27歳社会人のブログ。

27歳の未熟DREAMER(サンシャイン9話感想)

さてさて、第9話にて無事成仏させていただいて、アラサーにもなって画面を見て嗚咽を漏らしていたわけですが、恐ろしいくらい三年生回でしたね。まぁ今思えば三年生回以外に考えられなかったわけで私が浅はかでした。

 

三年生の関係性最高過ぎて言葉が出ないくらいに感動して、中断しつつでないと先を見れなかったんですが、なんとか最後まで見終えました。アニメを見て身もだえしながら髪をかきむしったのは久々ですね。日々の仕事に強く影響が出てしまうくらいダメージを受けました。

 

かなまり党の方々が発狂するのもわかりますよ。なんだこれは。

千歌が喧嘩の仲裁してる辺りまでは、果南さんはまぁブチ切れたりしたけど、シリアスと見せかけてコミカルに行くのかな、過去のトラウマみたいなのあっても千歌が笑い飛ばす感じなのかなーとか思っていたんですが、中盤からの畳みかける展開にはアラサーの私も完全にノックアウトされました。

 

前の記事でμ'sになれなかった子たちの物語、という事を書いたんですが、先代Aqoursはことりの留学を止めなかったμ’sの物語だったんですね。非常に得心が行きました。

 

無印一期でことりの留学を引き留めたことについては非常に物議を醸しました。今でこそラブライブは超が付いても足りないくらいの人気アニメとなりましたけど、当時は数あるアニメの中の一つで、終盤の展開は賛否ある感じでした。ことりの将来を考えたら行かせてやるべきだった、という論調も多かったように思います。

高校時代の衝動的な思い付きで、その後の人生を左右するような決断をすべきなのか、ということですよね。将来設計まで考えたアドバイスをするのが友人じゃないのか、と。

 

その批判を真っ向から受け止めたのが今回の展開なわけですね。

まぁ留学に対するモチベーションがことりと鞠莉で違う気もしなくもないですが。

 

「今度は誰も悲しませないことをやりたいな。自分勝手にならずに済んで、でも楽しくて、沢山の人を笑顔にするために頑張ることが出来て。でもそんなもの、あるのかな?(無印最終話・穂乃果)」

 

ライブで失敗して迷惑をかけて、ことりも留学してボロボロの穂乃果が言ったセリフはこれでした。無印のテーマは「やりたい事をやろう」でしたが、この場合はμ's9人の「やりたい事」の方向性が合致していたわけですね。そこに唐突に将来の話が出て、トラブルも重なって、音乃木坂学園の存続も含めて、あくまで在校生の将来まで考えている理事長との見据える方向性の違いが浮き彫りになるのが無印のストーリーなのですが、最終的には、

 

「ことりちゃん、ごめん! 私、スクールアイドルやりたいの! ことりちゃんと一緒にやりたいの!いつか、別の夢に向かう時が来るとしても。行かないで!」

「ううん。私の方こそごめん。私、自分の気持ち、わかってたのに……!」

 

というのが無印の終盤のあらすじでした。穂乃果がごめん!と言いつつも我を通し、なぜかことりサイドも謝罪する、という顛末でハッピーエンド感があるのは穂乃果のすさまじい引力のなせる業ですね。

穂乃果がことりの「今」をくれ、と空港で叫ぶのがOPの「僕らは今の中で」からずっと提言し続けてきた作品のパンチラインを回収する感じでよかったです。究極的に言えば、高校生であるときにやりたいことをやれる、というものに勝るものはないんだ、ここがμ'sのスタートラインなんだ、という制作側のメッセージ性も光る最終話でした。三話と最終話で「START:DASH」に違った意味を持たせているのが憎い演出でした。

 

で、サンシャインの三年生組に関してはそういうことも鑑みて果南さんが身を引いたわけですね。果南さんとダイヤさんは自分の想い(=やりたいことであり「今」)を殺して親友を送り出したわけです。今書いていて「思春期を殺した少年の翼」を思い出しました。

要するに果南さん=穂乃果で鞠莉さん=ことり、ダイヤさん=海未ちゃんの関係性で、果南さんは穂乃果ほど我を通せなかったわけです。鞠莉さん=ことりは本当にやりたい事=自分の気持ちがわかってたんですけど、留学してしまったわけですね。μ'sをモデルケースとして、逆パターンを検証している感じです。

 

「果南さんはずっとあなたの事を見てきたのですよ。あなたの立場も、あなたの気持ちも。そして、あなたの将来も、誰よりも考えている。」

 

この台詞が持つ意味は重いですよね。果南さんがあのまま闇落ちした穂乃果だとすると悲しすぎます。

で、ここからの展開が個人的に興味深いんですけど、無印では穂乃果が亜空間ダッシュでことりを追いかけたわけですが、サンシャインでは果南の気持ちに気付いて、想いを伝えに走るのは鞠莉なんですよ。雨の中走り出す鞠莉さんのシーンは素晴らしかったです。胸の鼓動が君と重なるかと思った。

 

「果南が私の事を想うように、私も果南の事考えているんだから!

 将来なんか今はどーーでもいいの!留学?まったく興味なかった。当たり前じゃない!だって…果南が歌えなかったんだよ…?放っておけるはずない!」

「私が…私が果南を想う気持ちを…甘く見ないで!」

 

このセリフは無印でもし穂乃果が追いかけなかったパターンのことりちゃんのセリフと考えるとかなり心に響くものがあります。

だから結局、二人とも言いたい事を云えずにここまで来てたわけなんです。納得が行ってなかったわけです。 

もう正直この二人の関係ズッブズブですやんってのもあるし、やっぱ決着つけるのはビンタなんですよねぇ。スクールアイドルは肉体言語で解決しろっていう不文律でもあるんですかねぇ。頬を差し出す果南さんからは拳で分かり合おう、みたいな少年ジャンプ的な友情を感じます。むしろスクールアイドルについて調べた果南さんがこの方法で行くしかない、と考えたんでしょうか。

 

ここで言いたいことは、無印でのパンチラインであった「やりたいことをやろう!相手の事情はどうあれ、自分のやりたいことをやり通そう!」ということでμ'sが一つの大団円を迎えたのは、「自分のやりたい事=相手のやりたい事」の図式が成り立っているからであって、だからこそ「今の中で」駆け抜けていったわけです。

みんながやりたいことの向きが合致してるのか、ということと、アイドル以外の道を歩む宿命にある友達の将来をどう考えるのか、ということ。この二点が判断の決め手となっているわけです。矢澤さんみたいに将来もアイドルをやりたそうな人は別としても、結局のところ、高校生の前に立ちはだかるのは進路の問題になってくるわけですね。ここでサンシャインのパンチラインAqoursのライブ前の掛け声がが生きてくるわけです。

 

「今、全力で輝こう!」

 

みんなで今この瞬間に輝こう、ってなわけですね。結局は、今しかできないことをして全力で輝いていこう!というわけです。君のこころは輝いているわけです。だから、文脈は無印の頃からぶれてないんです。

もちろんμ'sの物語がどれくらい世間に伝播しているのかはわからないのですが、μ'sという作中世界でも現実世界でも成功したスクールアイドルをモデルケースとして、色んなアイドルを描くうえで出てくる高校生特有の共通課題を解決する中でも「今やりたい事、今いる集団を大事にする」というのがこの大河ドラマの基本姿勢だということがこの二作で提示されたわけです。

  

そういう姿勢は打ち出しながらも、作中で折に触れて語られるように全国津々浦々にμ'sになれなかったグループが山ほどいるはずで、その一つ一つに物語があるわけです。熱闘甲子園的な、青春を懸けた子たちと、今日で解散、という瞬間と、それからの物語もあるわけです。

 

そういう意味でサンシャイン9話で部室のホワイトボードに書かれていたのは三年生の夢のあとだったわけですね。そしてそこに新しい文字を刻むのは新生Aqoursだったわけです。回想シーンで出てきた時に未完成だった歌詞が、和解を経て三人によって新たに書き加えられて完成していく過程も素晴らしかったですね。三人の体験をきちんとアウトプットした素晴らしい歌詞でした。

三人で果たせなかった夢を、後輩たちの加入で叶える、という落としどころとしても9話の物語は非常によかったです。

 

μ's二年生三人組もズブズブでしたが、この三年生組も結構なズブズブな関係ですからね。ある種、そんぐらいでないと生き残っていけないのがスクールアイドル業界なのでしょう。A-RISEとセイントスノーも深くは語られてないですがただならぬ雰囲気があります。

 

そして今回で誰よりも評価をストップ高に持って行ったのはダイヤさんですね。もうこれは誰もが認めるところかと思います。

果南と鞠莉が教室で揉めているときに横でオロオロしているところは普段の下級生への強気な態度とのギャップがあり、怒り狂う鞠莉さんをなだめたり、二人を一歩引いて見守っている感じ、自分の好きなものを見つめる顔がとてもよくって。善子に捕まったり、果南が過去に歌わなかった内情をひた隠してたのに結局バラしたり、一番最後に加入する時の笑顔といい、微笑む描写がだんだん増えていくのがとてもよかった。号泣する二人の影に隠れてますがダイヤさんが一番嬉しかったんじゃないかな。

 

果南について「鞠莉のことをずっと見てきた」と語ったダイヤさんだけど、ダイヤさんも二人の事をずっと見てきたんだよね。反目する二人の板挟みで辛い思いをしてきたんだよね。

「大好きな人のために、大好きなものを大嫌いって言ってたダイヤさんの気持ちを思うと胸が苦しい」と9話を見た直後に友人が語っておりましたが、この三人の幼馴染がお互いに対して抱いている愛情の強さは見ていて苦しくなるほどでした。

 

ダイヤさんが意図しない形とはいえAqoursという名前を残したことにも大きな意味があると思います。

卒業とか、解散とか、様々な形で名前を残せなかったグループは現実世界でも山ほどあるわけです。にこが穂乃果が抜けてもμ'sの名前を残そうとしたのと同じですよね。そういうグループお取り壊しで消えていったアイドルがたくさんいるなかで穏当な形で新メンバーを取り入れて、かつ過去に一度解散したグループの物語性も取り込めたことに他ならないわけですからね。

 

今回の話で三年生が「ライブで失敗した」という部分に関してはややインパクトが薄れた感はありますが、その分、幼少期のイベント群を補完できた所はあります。鞠莉の家のベランダに向かって懐中電灯の光を投げるシーン、そして、別れの瞬間にそれをなぞる果南。もうね、ほかのアニメだったらこのエピソードだけで一話作れますよ。ロリ鞠莉が転校してきたくだりとかで一話、結成で一話、すれ違いで一話、別れで一話いけますよ、これ。マリみてなら5巻は費やしてますよ。

果南さんがどんどん陰を帯びていく感じとか、ルビィと同じように「ピギィ」とか言ってた幼かったダイヤさんが老成してジト目になっていく過程とか、もうね、一話に詰め込みすぎなんですよ。むしろスピンオフで1クール使ってラブライブサンシャインゼロ、とかでやってもよかったレベルですよ。

第9話は情報量が多すぎて一回見ただけじゃ大抵の人間は色んな情報と色んな感情を整理しきれずにパニックに陥ったはずですが、その分、文脈を読め、という制作側からの薄高本ブーストも感じます。作中に語られていないことはお前らで想像していいんだぞ、みたいな。ありがてぇ。

 

友達の本当にやりたい事がわからずに一方通行な優しさを押し付けて、帰ってきた鞠莉にも冷たく当たってしまった果南。

二人の気持ちをわかっていながら、どちらにも手を差し伸べられなかったダイヤ。

そして、二人の本当の想いに気付けずにいた鞠莉。 

三人の優しさと、女子高生らしい幼さが綯交ぜになって心を打たれます。自分のやりたい事にことりを巻き込む、というのが穂乃果の周りを巻き込める強さであり、幼馴染に甘えてしまう弱さであったように、この三年生組も強さと弱さがあって本当に素晴らしいです。三人がそれぞれの幼かった罪を笑いながら、こんなこともあったね、と懐かしみながら「未熟DREAMER」をリライトして、歌っているとしたら涙を禁じ得ないですよ、私は。

 

あとまぁ避けて通れないのですが、挿入歌が素晴らしすぎた。歌も、衣装も、構成も、振り付けも文句の付けどころがなかった。三年生組の作画の気合の入り方が違った。

まず歌。これまでなかったような重厚なストリングスを効かせたサウンド、抑え気味の歌唱。先代Aqoursの制服モチーフ衣装から現在のAqoursへ変化する演出。「心迷子になる」「すれ違って」「気持ちが止まらなくて」のとこの三人固有の振り付け。

そしてまさかCメロをやると思ってなかった意外さに心を衝かれ、三年生が「やっと一つになれそうな僕たちだから」の後に腕を突き上げるシーン、何回見てもぐっときてしまいます。そのあと、下級生が前に出てきて、「本音ぶつけあうことからはじめよう」の流れが美しすぎて、自分の感情を全く制御できずもうどうにかなってしまいそうです。

 

先代三人の未完成の曲が後輩六人の力でようやく披露できて三人の時間が動き始めた、ということと 、後輩六人の作ったグループに最後のピースである三人が入った、という相互補完によってAqoursの「未熟DREAMER」が完成した、というのがこの回の意味なわけです。

 

見たのが日曜の夜だったんですが、毎日ライブのシーンを繰り返し見ています。中毒性が強いですね。この回は。

全体通してそうなんですが、新人の声優さんが多いですよね。でもそれが今回の泣きのシーンで、ある意味紋切り型に「上手い演技」でなくてよかったように思います。普段泣きそうもない二人が、普段言わないようなことを言う時のたどたどしさが出ているような気がして個人的にはいいなぁ、と思いました。

 

9話を見て以降、「青空Jumping Heart」のCメロの鞠莉さんパート聞くとちょっと涙が出そうになるので通勤中とかに聞けなくて困っています。ていうか挿入歌シングルの発売日遠すぎるよ!早くフルで聞かせてよ!

 

ここまで書いて6,000文字オーバー。特に無理して書いたつもりはないんですが、これもこの作品の持つ魅力で話が尽きることがないってことでしょうかね。

 

今日の夜はこれまでの流れから行けばコミカルな回になると思いますが、「先輩禁止!」とか「ワンダーゾーン」みたいな回だといいですね。