目を見ればわかるなんて

27歳社会人のブログ。

少年御三家とYou&Jと2010年代のアイドル像と

かつてジャニーズにYOU&Jというファンクラブがあったことを、今の若い子は知らないかもしれません。少年御三家は、もっと知らないかもしれません。

 

この三グループを比較している記事はたぶんこの10年間死ぬほどあると思いますし、私にしても知ってることはほんのわずかなのでそう深い考察は出来ないのですが、自分の意見を整理したくてこの記事を書いています。

 YOU&Jはジャニオタならよく知る通り、NEWS、関ジャニ∞KAT-TUNの三グループの合同ファンクラブでした。かつてJr.黄金期を支えたメンバー、黄金期に憧れて入所したメンバー、それぞれが色んな思いを抱えながらが00年代前半に相次いでデビューしました。人気があった反面、00年代以降では稀に見るほど脱退や不祥事も多かったのもこの三グループです。

 

オタクというのはとかく「物語性」が好きです。とりわけアイドルオタクはその気が強く、メンバーやグループが成長していく中に物語を読み取ることで、共感したり、応援したり、涙したりするわけです。

 

結成からデビューまでの期間が長かったグループも、短いグループもありました。出ていく人と残る人、離れるファンと残るファン。脱退する前の曲、誰が脱退した人のパートを引き継ぐのか。この一連の流れの中に、そのグループを象徴するストーリーが生まれました。その一つ一つにファンは悲しんで、喜んで、失望もしたし、歓喜もしました。それが、後から振り返った時に説得力のある物語として機能しました。

 

事務所の中での立ち位置的にも、学力的な意味でもエリート集団として嘱望され、挫折から這い上がり、四人で返り咲いたNEWS。

決して恵まれた待遇でなかった関西ジュニアからデビューの道を切り開き、SMAP退位後のバラエティアイドル枠に入りつつある関ジャニ∞

ジュニア史上最高と言われるほどの人気を誇り、瞬間最高風速をたたき出したといっても過言ではなかったKAT-TUN

 

意図していなかった部分もありましたが、この三グループは成立から現在に至る道のりの中で固有の物語を作り上げてきました。事務所の思惑とは違った形で強くなってきた部分の強いグループだと思います。

 

思うに、ジャニーズ事務所はこの比較的近い時期にデビューした三グループを売る戦略として、最も栄華を極めていたうちの一つであろう少年御三家のシステムをもう一度作りたかったのだろうと思っています。

少年御三家とは言わずと知れた光GENJI男闘呼組、忍者の三グループで、芸能史上でもトップクラスの人気を博しました。昭和の価値観では男性アイドルは「御三家」なんです。新御三家の一人は郷ひろみ(ジャニーズ出身)ですしね。ジャニーさんのアイドル像って古いんですよね、基本的に。

 

光GENJI枠はもちろんNEWSですね。王子様枠です。ある意味ジャニーズとしては保守派な印象のグループです。

光GENJIはトップテンで何週も続けて一位を取り続けていた伝説のスーパーアイドルです。正直、後世に生きる私たちにとっては赤坂くんがクスリで捕まったり、大沢くんの子供が血がつながってなかったり、諸星くんは感じの悪いおっさん、みたいなイメージでしかないのですが、当時のシングルランキングなんかを見ると芸能史上でも類を見ない程のアイドルだったことがわかります。

 

白を基調とした王子様としての宿命を背負ったジャニーズ的価値観におけるエリートグループですね。光GENJIはキラキラしたアイドル像が通じた最後の世代といっても過言ではないでしょう。そのイメージから脱却したSMAPが新しいジャニーズ像を作り上げるまで、ジャニーズに求められるイメージは、作り上げられた手の届かないアイドルでした。NEWSは王道への回帰路線が感じられ、SMAP以後の王子様グループをどうやって構築していくのか期待が集まったグループでした。

 

過去の先輩にしてもマッチなんかはちょっとやんちゃなイメージだし、シブがき隊なんかはややコミカル路線でしたが、ジャニーズの王道を行くスタイルというのは少年隊を一種の完成形にした、ミュージカルで映えるアイドル像でした。世代を背負う王道系と、二番手三番手で悪めや面白系を入れるのは住み分けの意味でも理にかなっています。

残念なことではありますが、脱退者が出てしまったり、不祥事を起こしてしまったり、のちに年長組と年少組でスタンスが変わって年長組が出て行った部分もNEWSと光GENJIは重なる部分があります。NEWSは高学歴という属性でもありましたが、優等生なイメージで売りたかった所にスキャンダルがあったのも初期のマイナスイメージに拍車をかけました。活動休止後の6人体制となってからは安定しましたが、結果的に山下くんがソロへ移行し、錦戸くんは関ジャニ∞へ専念してしまいました。

 

山下くんを売るためのユニット、というように言われることもありますが、ビッグネームの子息であるtakaこと森内くんのためのユニットと言われることもありました。

が、結果的に前述の事情で今の4人体制に落ち着いています。4人時代が一番長くなったんだなぁ、と思うと時の流れを感じずにはいられないですね。私も年を取るわけです。

 

KAT-TUN男闘呼組の色がありました。男闘呼組は言わずと知れた「ジャニーズの落ちこぼれ」という設定の不良グループです。「落ちこぼれ」というと今の時代ではイメージが悪いだけですが、当時は落ちこぼれ=不良という代名詞として使われていました。管理社会にクソくらえ、と唾を吐く不良がかっこよかった時代だったのです。

同時代では色んな不良をテーマにしたドラマ、映画、漫画、音楽が作られたので男闘呼組もそのカテゴリの中の一つです。詰め込み型教育の蔓延した学歴社会で、ドロップアウトしたはぐれ者の事を落ちこぼれと呼んだのです。

 

まぁKAT-TUNはかなり踊れるグループで、男闘呼組は踊らず(本人たちは踊れないから、と言っていたようですが)バンドをやってる点では異なっていますが、不良というコンセプトは似通っています。両グループが実際に不良だったかどうかは置いといて、メンバーの外見もジャニーズらしからぬ、メンチを切っていくタイプのアイドルでした。性質上、ロック性が強い点も似ていますね。ただ、KAT-TUNがワルそうなメンバーが次々と抜けていった結果としてポップ路線が強くなり、数年後には関ジャニ男闘呼組の路線に近くなっていったのは興味深いです。

 

ギラギラとした悪そうな兄ちゃんたちがツッパって、しかしどこか寂しそうな、埋められない孤独のようなものを浮かび上がらせる時、信じられるのが仲間=グループだけなんだ、という表情を見せるときに、この6人の物語を読み取ることがファンであることなんだ、と私は思いました。

 

6人から5人、4人、3人と一人ずつメンバーが減っていき、とんがったメンバーは大半が辞めてしまった結果としてお茶の間受けする嵐的な雰囲気の仲良しグループになっていったのは皮肉な感じもします。タメ旅がとても面白かったので後半の雰囲気も私は大好きですが。

 

関ジャニ∞は忍者的な、面白枠というかコミカルな立ち位置でデビューしたと思っています。忍者というグループはたぶん少年御三家では最も知名度が低いと思われるのですが、今のA.B.C-Zを彷彿とするような超人的なアクロバットダンスユニットでした。

ここだけ切り取るとイマイチ関ジャニ∞との結びつきは弱いですが、忍者はカウコンなんかでよく歌われる『お祭り忍者』でデビューしていて、実はこれは美空ひばりの『お祭りマンボ』のカバーでした。デビュー当時、「演歌を歌えるアイドル」としてデビューしたのです。この辺はテイチクの演歌レーベルでデビューした関ジャニ∞とデビュー時のイメージとしては似ています。

 

忍者のイメージはフォーメーションダンスしかないかもしれないですが、歌もそこそこ上手かったんですけどね。光GENJIの瞬間的なピークと、少しイレギュラーな男闘呼組の存在に押されてやや影が薄いグループです。ダンスと歌を含めた総合的な実力では他の二グループに比べてかなり高かったんですけどね。いかんせん光GENJIの下り坂の時期と被ってジャニーズの存在感が無くなっていた時期なのも悪かった。

和のコンセプトを持たせたアイドルで、三社祭mixとかリミックスも結構日本の祭にかけてたんですけど、都内最大級のTSUTAYA渋谷ですら全く取り扱っていないマイナーぶりは泣けてきます。

 

人気という面で言えば忍者と比べるまでもない関ジャニですが、明るいパブリックイメージを守る点が特徴といえます。他のグループが暗いという訳ではないのですが、関西出身らしくバラエティ向けのキャラクターで進んでいく感じが見ていて安心感を与えます。昔はすばるくんとかギラギラしてて目つきとかすごい怖かったんですが、最近はバラエティで道化を進んで演じてるような感じもあって丸くなったなぁ、と思います。

 

とまぁ、少年御三家時代の事を思いつつYOU&Jを無理くり特徴づけたりしてるんですが、今から25年位前のジャニオタ達は少年御三家に夢中だったわけです。今に比べて情報が少なく、キラキラしたアイドルを無理して演じるのを見る中でも、隠された物語性を読み取っていたわけです。

 

昨今、特に後発の女性グループに多いですが、必要以上にわかりやすい物語性を表に出そうとするアイドルがうじゃうじゃいます。

私はことアイドルに関して物語性というのは一緒に追ってきた歴史の中で後から振り返って読み取るものだと考えていますが、今はそこまで歴史が出来上がる過程を待てない人も多いような気がします。既に作られた歴史ありきでアイドルを愛好している感が否めない。

 

大量にいるアイドルの中で自分が目を付けた地下中の地下みたいなアイドルが売れていくという保証はどこにもないし、最終的にサクセスストーリーとして読み取れない物語を後年になって評価することの難しさはアイドルを追ってきた人なら誰しもがわかるのではないでしょうか。

先代の東京パフォーマンスドールなんかはアイドルとしての在り方がおニャン子とAKBの文脈の中間に位置していると思いますが、語られる事はほぼありません。篠原涼子仲間由紀恵がTPD時代の話をすることも、まぁありません。中谷美紀SMAPTOKIOの番組でアイドルやっててムーンライト伝説歌ってた事なんか今の若い子は知らないですよ。そりゃそうだ。みんなアイドル冬の時代にアイドルとしては売れなくて、女優や歌手としてやっていく道を選んだんですから。捨てたい過去でしょうよ。

 

だから、今の世の中ではそこそこ売れてきた所で物語をあらすじで読む、そんな感じのアイドル像が求められているのかもしれません。アニメにしたって漫画にしたって、今のサブカル業界はネットの発達により供給過多の時代が進みすぎてすべてをチェックすることなんて不可能です。

 

そしてネットの発達によってアイドルを名乗ることはとてつもなく容易になりました。ニコニコ動画で「歌ってみた」文化が発達してなんちゃって歌手が世に氾濫しましたが、ライブチャットをしてればアイドルの真似事ができる世の中です。そんな一億総アイドル社会といっても過言でない承認欲求に飢えた世の中で、受け手側も手っ取り早い物語を欲しているように思います。

 

つまり、有象無象の素人を含めて、アイドル側は「物語を背負ったアイドル」でありたいし、ファン側は「物語の構成要素」でありたい。

ファン目線で言うと、小さなハコからスタートしたアイドルの成長物語の一部になって、自分とアイドルを同一世界観の登場人物として見てもらうことで承認欲求が満たされるわけですね。それこそネットアイドルみたいな文化でさえ、再生回数二ケタ台から付いてる信者はデカイ顔できるわけですから。古参がえばってるのはどこの業界でも一緒です。

 

だからこそある程度売れてきた時点で、「あっこの人たちにはこんな物語があるんだ!」みたいな後乗りしようとする人間に、古参は厳しいものです。自分たちが売れない時期を下支えして売れさせた、この物語は自分たちのものだ、という自負がそうさせるのでしょう。ポッと出の新キャラが3クール目から出てきたら叩くって話ですよ。だからこそ、武道館とかアリーナでやるちょっと前、そうですね、3000人くらいのハコでやってる所でファンになっておくのがベターですよね。ややこしい初期ファンではないけど、そこそこ古い、みたいな。

 

ちょっと違う話になりますが、90年代後半にモーニング娘。が、00年代後半にAKB48が流行って以後、「落ちこぼれ集団と呼ばれた子たちが、メンバーの脱退や苦難があっても、泥臭い努力で成功を勝ち取る」というフェイクドキュメンタリー形式のアイドルが、最も成功したひな形として定着しました。努力している姿を積極的に見せに行くスタイルですね。といってもモー娘。ASAYANのオーディションで平家みちよに敗れて、シャ乱Q内ゲバとモキュメンタリーの合わせ技で大成功を収めたことも、すでに歴史の一部と化している気がしますが。

 

肝心なのは、「落ちこぼれ」が「努力をして」「熱心なファンの支えで」「成功した」という設定にあります。実際にどうなのか、という点は検証不可能です。ファンはアイドルがライブのMCとかSNSで発信する情報を妄信するしかないのです。ガチなファンほど驚くほど冗談が通じないのでくれぐれも注意が必要です。

 

だから、ここ二十年くらいのアイドル像はその少し前の世代で言えば素人の部活感覚を楽しむおニャン子や、ファンタジーのスターであった聖子・明菜の時代、素人が見初められてシンデレラになるスタ誕の時代とは少し毛色が違います。

 

アイドル業界の潮流が10年遅れくらいでアニメ業界に入ってくるのは歴史が証明していますが、モーニング娘。の文脈でアイマスが、AKBの文脈でラブライブが人気を博しているのも、同一時代性として語っていいでしょう。

 

話がかなり脇道に逸れたんですが、ジャニーズにしてもたぶん世の中の大多数の人からすれば、グループを組んだ時点でデビューを決定付けられているイメージだと思われてる節があります。最近でこそ、ジュニア時代の苦労なんかが語られることが多いですが、実際の競争率とか、グループの大多数がデビューせずに解体してる現実はジャニオタしか知らないと思います。

 

人気メンバーは他に取られたり、学業専念という魔法の言葉で退所したり(大体出た後よそで芸能活動してますが、学業はどうした、学業は)、大半は一期メンバーと二期メンバー、みたいな位置づけでやってるんですよね。

時々語られる中でもSMAPに太一くんがいた、とかTOKIOの初期ボーカルの小島啓くんとか、キンキに神原くんという三人目がいたとか、色んな話がありますが、紙一重なんですよね。デビューできるかどうかって。K.K.Kityなんかもそうですが、小山くん加藤くん草野くんがNEWSでデビューしたのにityの三人はチャンスが巡ってこなかったり。

 

そもそもが、ジャニーズでメジャーデビューするにはそこそこの人気じゃ無理ですよね。ジャニーさんが主導でデビューさせるバレーユニット系は歌かダンスか両方の実力、ないしスペオキになれる顔面が求められますし、下積みを経てデビューする人たちはデビュー前でソロコンを松竹座とかで一日何公演もできるぐらいの人気が無いと無理です。それこそ人気絶頂でデビューする、ぐらいの勢いが求められます。

 

キスマイやえびなんかはちょうど私と同い年くらいの世代なんですが、同期メンバーがYOU&J若手あたりなのにデビューまでにかなりの時間を費やし、相当悔しい想いをしたということがデビュー後の記事や本などを読むと伝わってきます(『裸の時代』はかなりグッと来ました。)。

 

 YOU&Jについては言いたいことがたくさんありすぎて気づいたら概論だけで6,500文字も打ってしまいました。各グループについてのことも書きたいことがあるのですが今回はこの辺で。

関ジャニ’s エイターテインメントに行って、ジャニーズについて思った事

一週間ほど前になりますが、関ジャニ∞のコンサートに東京ドームへ行ってきました。

 

両隣が強火大倉担だったので一瞬怖かったですが、ラストのくだりで手をつないでくれたので安心しました。エイターはとても暖かかったです。

 

オープニング映像として七人がヤクザに扮した映像が流れました。『NOROSHI』がタイアップしているヤクザ映画をイメージしたものですね。『アウトレイジ』みたいな、アウトローな男たちの危険さをプンプンさせるスタイリッシュな映像でとてもかっこよかったです。

 

歓喜に沸く周囲のなか、私はSMAPの『Fly』のPVを思い出しました。和洋の違いはありますが、私個人としてはSMAPの後継グループは関ジャニだと思っているので、もしかしたらあと数日で解散する先輩に向けたオマージュなのかな、と思って感慨深いものがありました。

 

関ジャニのコンサートはいろんな要素のごった煮です。アイドル的な極めてスタンダードな曲もあれば、エイトレンジャーのコントもやり、メインステージでバンドもやり、アコギでアコースティックもやる。 曲調もギンギンなロック調のものもあれば、シンメを強調したダンサブルなナンバー、コンサート向けのノリノリな曲もあったり、バカな歌詞のコミカルな曲もあってバラエティ豊かです。KINGさんの出演もありましてほんと飽きさせない構成でした。

こういうシリアスな所とふざけてる所のギャップが非常にいいです。

 

あと東京初日で東京ディスりまくった曲を歌うのがマジロックでかっこよかったです。

 

〇ジャニーズでバンドをやる、という事 

関ジャニのステージの特徴として、先ほど述べたようにいくつかの構成で分かれている点が挙げられます。毎回恒例となっているのはエイトレンジャーとバンド形式ですね。

 

色んな所でジャニーズで楽器やるのはTOKIOから、とかバンド形式は関ジャニが本格的にやり始めた、とかバラバラな事が言われていますが、事実だけ述べますとジャニーズでグループとしてバンドをやるのは数十年前から伝統的にあります。

 

もちろん私もハイソサエティーの派生バンドやギャングスやANKH、よっちゃんのやっていたTHE GOOD-BYEあたりの数十年前の話になるとCDも入手困難で詳しくは知りませんし、バックバンドをやってる人たちもたくさんいますが、平成生まれの私には時代性含めて詳らかにはわかりません。

 

こういった過去に不勉強な点を承知の上、私の知っている範囲で関ジャニ以前でバンドと言われて思い浮かぶのは男闘呼組です。もちろん、デビューは上記の方々のずーっと後です。

男闘呼組(’88~93)は四人組のバンドで、「ジャニーズの落ちこぼれ」を自称していたちょっとワルな路線のアイドルです。Jrの中で楽器が好きな人たちが集まって結成したといわれています。

 

昭和と平成の狭間、バブル真っ只中の当時に不良とロックは若者のトレンドでした。この時期に発表された非行や暴走族や校内暴力を描いた作品は枚挙に暇がありません。

 

60年代が学生運動の最盛期であり、70年代は学生運動の失敗とオイルショックによる低成長によりしらけ世代と呼ばれ、80年代にはネアカ(⇔ネクラの対義語)とツッパリが生まれました。

基本的に若者の行動や性向は自分より上の世代における失敗を批判する形で決定づけられていきます。以前『ビーバップハイスクール』のレビューを書きましたが、あの作品にもあるように「筋を通さない」ことや「興味を持たないこと」への反抗が感じられる文化でした。

 

また、ロックバンドというのは『三宅裕司いかすバンド天国』、通称いか天なんかのヒットでかなり一般化した感じもありますが、当時のBOφWYやHOUND DOG、Xなんかが流行っていた時代において、「ロックをやる」ということは反体制の象徴だったのです。

 

この辺りは阿久悠さんの著書に詳しいですが、今や高齢者しか聞いてない印象のある「演歌」だって自由民権運動によって生まれた「演説歌」の略だし、非行少年の代名詞であったエレキに端を発するグループサウンズだって、テレビ出演を拒んでいた初期のフォークソングだって、すべて出始めた頃は不良や反体制の象徴であり、何らかの哲学性や主義主張を持って出てきていたわけです。

それが売れることで一般化して、元々の意味が陳腐化してしまった先に世代を超えた流行として残るわけですね。

 

つまり、バブル最盛期の日本において、型にはまらずに社会の管理の外に逃げたはみ出し者が不良となって、反体制のアジを飛ばすための表現方法としてロックを使っていたわけですね。

 

特に、男闘呼組の『不良』という曲は当時の不良を取り巻く環境を歌い上げた名バラードです。

不良というだけで陰口や噂で排除される日々を「死に物狂い」で生きる少年が、街を出ていきたいと思い、自分と一緒にいるだけで同じような偏見を持たれる彼女への申し訳なさと、彼女を連れて逃げるような勇気もないことを後悔する、そういう歌詞です。

 

「若さは 言い訳の 

 繰り返しだったのかと Oh…

 悲しい程…ちっぽけな

 自分がただ 悔しかった」

 

という二番サビを聞くと当時の管理社会ではみ出してしまったツッパリが抱えた悲しさや、もう戻れない不可逆性のようなものが胸に染み入ってくるようで泣けます。成田くんの切ない歌声も素晴らしいです。

 

関ジャニ∞は不良グループという売り出し方をしているわけではありませんが、岡本健一くんに師事していた木村くん擁するSMAPが解散し、当時男闘呼組の後継と言われていたTOKIO兄さんが農業アイドルになってしまった今、系譜的には関ジャニかな、と思います。順当にいけばKAT-TUNがあの路線だったのですが、トンがった人はみんな辞めてしまいましてタメ旅以降は充電期間に入ってしまい、もうそっちの路線には戻れなさそうです。亀梨くんの良い人オーラがすごすぎてびっくりします。

男闘呼組SMAPKAT-TUNもそうですが、素行の悪い人はジャニーズから出てっちゃうし、出されちゃうんですよね。事務所はもう少し寛容になってほしいです。

 

〇同世代性について

 昔You&Jというファンクラブがありました。NEWS、関ジャニ∞KAT-TUNの3グループの合同ファンクラブで、錦戸亮くんと内博貴くんが兼務していたりしたため、この3つは個別のファンクラブが無かったのです。その後、山下くんと錦戸くんの脱退に伴って解体されます。

 

この3グループはバランスが取れていたように思います。

初代ジャニーズから少年隊、光GENJIの伝統を受け継ぐ白馬の王子様イメージの正統派・夢を与える王道アイドルのNEWS。

関西密着アイドルとして関西ジャニーズからデビューする道を切り開き、コミックバンドからコントから体を張って何でもやります!枠のSMAP後継の関ジャニ∞

ちょい悪めの兄ちゃんだったマッチを先鞭として、硬派でゴリゴリな男闘呼組を経て、EXILEに対抗する路線のスタイリッシュ不良グループであったKAT-TUN

今までのジャニーズの先達を網羅するかのようなカテゴリ分け、住み分けです。

特にKAT-TUNファンは当時のジャニーズファンには珍しい層が多くいたように記憶しています。赤西仁くんが渡米した時に教室で泣いていた同級生は、ちょっとワルめの派閥の女の子でした。

 

この3グループはJr.過多の時代を生き抜きデビューを果たすも、不祥事が多かったり、脱退者が多かったりして所属していたメンバーが半分くらいになったりしました。NEWSは手越くんみたいに割と入所間もないメンバーもいましたが。

NEWS、関ジャニKAT-TUNのそれぞれのファンがいろいろな葛藤があり、それを乗り越えてファンを続けてきました。ここに纏わる物語性の話はまた今度したいと思います。

 

さて、この3グループに嵐とタキツバやソロ組を加えた辺りの世代は、ジャニーズJr.人気が非常に高まっていて知名度も高まり、黄金期と呼ばれた世代です。『愛LOVEジュニア』や『8時だJ』なんかはゴールデンでやってたので見たことある人も多いのではないでしょうか。

 

この時期は決定的にジャニーズの世代交代が進まなくなった時代です。

それまでのジャニーズはどれだけ人気があったグループでも、数年経てばセールスが振るわなくなり、20代半ばで解散するのが普通でした。

男性アイドルのトップに上りつめていたたのきんだってシブがき隊だって光GENJIだって解散しました。上がなんやかんやで俳優になったりソロに移行して、自動的に下のグループがせり上がってきて、というのが新陳代謝に繋がっていたのです。少年隊は解散していませんが、90年代中ごろにはアイドル売りは控えて舞台に移行し、後続に道を譲っています。(もっとも、当時は色々あったような噂もありますが…。)

 

前述のとおり、この世代交代を堰き止めたグループがありました。ご存じ解散するSMAPです。

SMAPは遅咲きでデビューから時間が経った90年代中盤頃から爆発的に売れ始め、2016年に解散するまで、あらゆるジャンルで活躍し続けるようになったのです。要するに、これまでのビジネスモデルがまずデビュー近辺でバカ売れしてその後何年続けられるか、みたいな感じだったのに、尻上がりに伸ばしていく手法で売れたわけですね。この一年でかなり知名度の上がったI女史の功績ですね。

 

その結果何が起こったか。本来ならデビュー出来る年代のJr.がデビューできなくなったのです。

数年で新陳代謝することを見越して少年たちをデビューさせていくのがジャニーズの売り方でした。少年御三家SMAPの成功によりJr.に入る子の数も爆発的に増えましたが、上がいなくならないのでつっかえてしまったのです。ただでさえ少年御三家の時代に下の世代が出てこれなくてSMAPTOKIOもV6もデビューが遅れました。たくさんのグループを同時にマネジメントできるほど、昔は業界にジャニ枠が多くなかったのですね。

これは吉本のNSCと構造が似ています。上が売れてしまった事の功罪で、後追いが増えるも、上の世代が君臨している限りデビューやら売り込みが後回しになってしまうわけです。

 

だからこそ、当時のJrは黄金期と言われていました。本来デビューしてもおかしくない人気の子がいっぱいいたわけですから、Jr.の冠番組がゴールデンに放送されていたのも頷けるくらい、多彩なメンバーがいました。

しかし、Jr.として人気が出ているからこそJr.のショービジネスもかなりデカくなってしまい、勢いを保持するためにデビュー出来ないというジレンマもありました。

 

そして、一番人気のある時期にデビューしなかったから伸び悩んだ面もありました。どうしても、Jr.の人気を考えて遅らせていた結果、売り時を逃してしまっていたんですね。

Jrが好きな人はJr全体を見ていますから、絶えず下の世代をチェックしますし、後ろにはすでに4TOPSやらKAT-TUN、KKKityやらJJExpressやら次世代が控えていました。この辺からJr.事情が複雑化していき、色んなユニットが出ては消えたり脱退したり、辞めジュという言葉がネットで一般化したりしました。ユニット乱立に加えて兼務メンバーも多く、かなり熱心なファン以外はJr.を把握することが難しくなってきます。

 

なお、同世代の中でいち早く90年代でデビューしたのは嵐です。

今でこそ嵐は他の追随を許さない大人気グループですが、当時のジュニアの中で一番人気グループだったのはタッキーや今井翼くん、小原裕貴くん辺りで、ちょっと後ろに相葉くんや斗真くん、松本くんや二宮くんがいるようなイメージでした。関西は横山くん、すばるくん、村上くんの三人が安定していました。タキツバはジュニア人気の根幹を成す存在だったので大人の事情によりデビューはかなり後になります。

2015-16のカウコンでたきすばが一夜限りの復活をしたとき、平均年齢30代前半ぐらいの色んな人が絶叫して発狂して号泣したのはこの時代を生きた証なのです。Jr.黄金期を知る人間として、あの二人が歌う『明日に向かって』は特別な意味を持ってるわけです。

 

この後、嵐はなかなかブレイクしませんでしたが、そのあたりは『嵐 ブレイク前夜』に詳しいのでところどころの信憑性はさておき、そちらをご覧ください。

 

ちなみに昔、SMAPのバックダンサーがまだJr.だった頃に、めちゃイケの企画で岡村がSMAPのコンサートに出演する、という回で当時のJr.が出た時もタキツバや関ジャニの年長三人が出てました。

 

どこに肩入れするわけでもない一般人の立場で言わせていただくと、嵐のブレイクは『花より男子』からだと思っています。が、『ごくせん』でマツジュンが注目されていたことは確かです。ごく出は永遠の新規などと言われるのもわかります。わかりやすいですから。ただ、あの時は主題歌が先輩のV6だった。楽曲面でのヒットはもう一つ足りなかった。嵐としてのムーブメントに繋がらなかった。

 

ジャニーズのグループはデビュー曲、ないしデビューして一年以内の曲が一番知名度が高い、というようなパターンが多いです。特殊な売れ方をしたSMAPは別にして、嵐も当時は『A・RA・SHI』が最も知名度が高かったといえるでしょう。ジャニーズが何組も出る歌番組で歌われる曲がいつまでもデビュー曲というのは、ファンとして寂しい気持ちもあります。

 

ただ、これはジャニーズの独特の売り出しの構造があって、ジュニアで結成したユニットをなかなかデビューさせず、テレビや先輩のコンサートなどで露出を増やしまくって名前を売り、焦らしまくったうえでCDデビューさせる、という手法によるものです。

 

当時鳴り物入りでデビューしたKinki kidsなんかは特にそうですが、かなり周到な準備をしたうえでCDを発売しました。これはかなり成功して、二人はすでに高い知名度と人気を持っていて、二人ともドラマにガンガン出てたし、SMAPの番組にもよく出てたし、実質冠番組の『LOVE LOVEあいしてる』も持ってました。これによってジャニーズとして他に類を見ない程の数のミリオンを飛ばすことになります。

このほか、既にトップスター級の人を主軸にして実力者や新人で固めて世に出すNEWS山下くんや中山優馬くんのような方式もありますね。

 

こうしてデビューにこぎつけると、楽曲も相当力を入れたものを用意するし、大体の場合はグループを代表する一曲になります。だからこそ、デビュー直後の最も注目されている時期を過ぎた後でもう一度大きな波を起こせるかどうかが勝負なわけですね。

 

売上枚数は90年代のCDバブルの時代とそれ以後でちょっと事情が異なりますので何とも言えないですが、嵐は個々の役者としての活動はさておいて、『WISH』『LOVE SO SWEET』の二作で色々な壁を破り、楽曲面においても再度ブレイクを果たします。

 

嵐がもがき苦しみ再ブレイクを果たした時期の2004年に、関ジャニ∞は『浪速いろは節』でCDデビューします。関ジュ出身はみんな関西要素が入ったグループ名ですね。

当初は大倉くんは和太鼓を叩いていたし、すばるくんはこぶしを入れた演歌を歌ったりしていましたが、当時から『大阪ロマネスク』みたいな『雨の御堂筋』を彷彿とするご当地ソングの名曲があったり、関西弁満載の曲があったり、かと思えば『Heavenly phyco』みたいな文句なしの名ポップスがあったりとかなり初期から音楽性の面でもいろいろやってたグループです。それだけ制約が少なかったのでしょう。

 

デビューまでが長かったり、デビュー後に売れなかったり、不祥事による脱退があったり、下からの突き上げに負けてフェードアウトしたりと順風満帆に進んでるグループはあまりいないジャニーズですが、関ジャニも御多分に漏れず苦労しています。でも、彼らはそんな姿は見せません。苦労の押し売りもしないし、あくまで「明るい」「オモロい」というパブリックイメージを前面に押し出します。これは正直、「アイドルだなぁ~」と思うわけですね。

 

とまぁ、関ジャニ∞と直接関係ない部分もありましたが、コンサートを見て、いろいろと思うところがあり6,700字も書いてしまいました。

私は事務所担的な立ち位置なので、今後も事務所の歴史について調べていきたいと思っています。

命懸けくらいじゃなきゃいつまでも何も変わんねぇ(エイトレンジャー2・さびしんぼう等感想)

ここ数日で映画を何本か見たので感想を。

 

〇エイトレンジャー2(2014年)

関ジャニ∞の映画の続編です。

 

前作『エイトレンジャー』はかなり戦隊モノの王道ストーリーで、横山くんが最後に加入してリーダーとなり、生き別れになっていた実の父親との共闘、父親の死を前にして慟哭して覚醒するくだりなんか、鉄面臂張梁かよ、と唸らせるような展開を披露してくださいました。

ディストピアでダメ人間たちがバイト感覚でヒーローになって、ダメ人間らしく大してまとまることもできずに脱退や敗北を繰り返すも、ふとしたきっかけに自分の過去や生い立ちを相克してヒーローとしての自覚を得る、という展開なんか、戦隊ものの1クール目として考えればかなり王道ですよね。

 

ていうか、私が前作を見ていて戦慄したのが、関ジャニ∞が主演で、敵の親玉が東山紀之で、製作がジェイストームで、どう考えてもエイターの方々に向けて作られた作品にも関わらず無駄に綿密に戦隊もののコンテクストに通底していることでした。いやファン層被ってないよ?見てる人の大半はこの無駄に凝った感じわかんないよ?と慄然としました。

 

まぁそれはいいんですが、続編となった今作は主役はすばるくんでした。赤ですね。王道ですね。

酔拳使う感じとか、戦隊的にはダイレンジャーとかゲキレンジャーな感じがあっていいですよね。前作からちょっと時間が経ったらそれぞれの欲望に溺れたりやる気を失ったりしていたほかの六人を軽蔑し、叱咤し、挑発する役回りで、かなりヒーローしててカッコイイです。

 

すばるくんの魅力って、あのギラギラした危うさだと私は思うんです。トークとか見ててもいつキレるかわからない怖さがあってハラハラする。

本人もそこを自覚して意図的に道化ていて、気のいい兄ちゃんを演じてる感じがするけど、あの触れたらヤケドしそうな感じがすごい魅力的に映る。90年代のSMAPとかTOKIO、もっといえば男闘呼組みたいなジャニーズの不良路線の尖がった雰囲気を残す数少ない人材だと思う。同じクラスだったら話しかけられない不良グループの怖い人感がある。

 

それはさておき、今回の主眼は世の中は単純な善悪の二元構造ではない、という部分でした。

ヒガシくん(悪のテロ組織)と竹中直人(警察→首相)、赤井英和(市長)の三人がそれぞれ正義でもあり悪でもあり、それぞれに正義を目指しているけどもその理想の実現のためには悪にもなる、という物語の構成で、アイドル映画に行政と警察の癒着まで絡めて複雑な対立軸を持ち込みすぎだろう、と思いましたが、物語の中で絶対的な悪者を作らない、という配慮なんでしょうね。

 

丸山くんに徹頭徹尾「モノマネじゃダメだ」と説くダチョウ倶楽部の肥後さんがずっとジャパネットたかたのモノマネをしているのがツボってしまったのと、岡本あずさにニューハーフ役をやらせる必要性が全くわからなかった辺りが印象的でした。

 

あと、あっちゃんはやっぱ声張る役は向いてないんじゃないかなぁ、と思いました。『マジすか学園』みたいな唐突にキレる感じは合ってたように思いますが。

 

さびしんぼう(1985年)

大林宣彦尾道三部作最終章。私の故郷(正確には隣町ですが)、尾道です。

尾道という土地は高度経済成長期で時の止まったノスタルジックな町で、坂が多くて雰囲気のある所です。「かみちゅ!」でも描かれましたが、中高生にとってはただそこにあるだけの日常で、坂もキツイし、遊ぶところもそんなに多くないしアレなんですけど過ぎ去った青春時代を思い起こすにはうってつけの町です。逆に言えば穏やかで時間の流れの緩やかな町です。

 

それにしても尾美としのりは大林作品にいったい何作出てるんでしょうね。途中で小林聡美が出てきて笑ってしまいました。同じ場所で男女が入れ代わったり幼馴染がタイムリープしたり幽霊に会ったり大変ですね。岸部一徳とかあの辺もファミリーですね。

 

大林宣彦の作品は、薬師丸ひろ子にしても原田知世にしてもそうなんですが新人に近い女優の瑞々しさっていうか、演技に不慣れな女の子を撮るのがうまいなぁ、と思うんですね。この映画でも富田靖子の「さびしんぼう」とユリコちゃんがそれぞれとてもかわいいです。

中川右介氏の著書によれば大林宣彦角川春樹薬師丸ひろ子のアイドル映画を撮ってくれ、と頼まれて「ひろ子のワッペン映画を作りましょう」と言って『ねらわれた学園』を作ったそうですが、言わんとすることはわかる気がします。新人女優を輝かせる撮り方がわかってるような気がします。ウブな表情が、かえって透明感があるような感じに映っています。

 

あと、さびしんぼうの白いオーバーオールとニットが昭和の最後ら辺の感じが出ててとてもよい。唐突にエロハプニングみたいなのが起こるのもお約束ですね。なぜ秋川リサ演じる英語教師がいつもスカートが脱げるのか全く説明がない辺り、よくわからないサービス精神を感じます。

 

今までの多くの作品でも表現されてきたように、繰り返し何度も映される尾道の港の夕焼けがノスタルジーを煽ってて、とてもいい。あそこは向島とかいろんなところに向かって渡し舟が出ていて、あの映画の通り、島に住んでる子はチャリを押して船に乗るし、台風が来たら船が出せないから休みになったりするような前時代的な地域なんです。あの子そういえば風強い日は潮の流れがすごくて来れないとか言ってたな、みたいな事を思い出してとても懐かしかったです。

 

私は神戸にも数年住んでたのですが、尾道と神戸は町の雰囲気がよく似ていて、坂と港が隣接している風光明媚な所です。まぁ町の規模でいえば神戸の方が圧倒的に栄えているのは言うまでもないですが、北に行けば山があり、南は海というロケーションは何か自分の原風景となっている感じはあります。

 

大林宣彦の性倒錯というか、女の子と入れ替わってみたり、母親の若いころにそっくりの女の子を好きになってストーキングしてみたり、そういうフェチズムが感じられる作品だと思います。

 

蒲田行進曲(1982年)

1982年のキネマ旬報で1位を取った作品で、前から見たいと思っていたので。

何にも勝る娯楽だった映画がテレビの普及によって斜陽となっていく最中の東映を描く、いわゆる内輪モノで、映画の規制によって撮れる物が狭まっていく様子や、主演俳優同士の派閥争い、その弟子たちである大部屋俳優の生き方を描く作品です。ちなみに原作はつかこうへいです。

 

作監督ってテロップで見て、あまりにらしくなくて笑ってしまいました。やっぱ徹頭徹尾コメディだからなんでしょうね。殺伐としたヤクザ映画のイメージが強すぎてこんな喜劇を撮るイメージが全くなかったんで意外でした。

 

風間杜夫演じる銀ちゃんのキャラの強さもさることながら、妊娠して男に捨てられて、弟子に押し付けられるみじめな女を熱演する松坂慶子が光っていました。裸を晒しているのも、まぁもともとそういう作品にも出られている女優さんだそうなので珍しくもないのでしょうが、今の松坂慶子からあまり想像できなかったので意外でした。ドラマ版では大原麗子が演じたらしいが、松坂慶子の方が個人的にはイメージは合ってる気がします。

 

当時は松竹映画といえば松坂慶子の時代であり、斜陽産業となりつつあった国内映画界を角川の大量宣伝、大量製作費で再興しようという流れがあり、かつ絶対にヒットするスター女優が不足していた時代だったという事前知識があったので同時代を知らないながらも多少理解して見ることができました。

 

色々印象的なシーンはありましたが、松坂慶子のいじらしさが良かったですね。

 

「ちゃんとプロポーズしてよ!」

「じゃあ、結婚してください…」

「じゃあって何よ!…お受けしました。大事にしてよ。私、めちゃくちゃ甘えるんだからね。」

 

というシーンなんか、ヤスの態度はグッダグダなんですけど女性としては形式だけでもプロポーズしてほしい感じが伝わってきて、無性にいじらしい。こんな都合の良い女どこにもいねーよっていうのはあるんですけども。

 

言ってることとやってることはクズなんだけど何だかんだ二枚目だし何か憎めない銀ちゃんは破天荒な昭和のスターっぽい感じで良かったし、明日階段落ちっていう日に荒れまくってメチャクチャにするヤスも、生真面目な男の一世一代感が出ててそれっぽい感じで良かったです。

松坂慶子が臨月になってそんなこと言わないでよ、みたいな事を叫ぶシーンも好きですね。シリアスなシーンなのにセリフは妙に冷静で、コミカルで面白かったです。総じてキャラクターが良かった。

 

 

ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌(1986年)

いわゆるヤンキー映画ですね。

私は不良とは全く無縁の学生生活を送っていたのでちょっと別世界を見る意味でこういう作品を見るのは好きなんですが、まーガラが悪いですよね。シャバいってのがどういう状態を指すのか今の時代に生きる若者にはさっぱりわからないですが、ケンカが強いことが一番価値があった時代の名残を感じます。

 

ヤンキー漫画って、結局強さ議論の話になってくるじゃないですか。タイマンで負けたらこいつの方が弱い、とか、多人数だからノーカン、とか。『カメレオン』とか『湘南純愛組』とかを少年マガジンで読んで育った私は、結局誰が一番強いんだろう?みたいな事を思って読んでいましたし、一回でも負けちゃうとそれだけで大したことないんじゃないか、なんて感じてしまいます。

 

でも実際問題、その日のコンディションとか多勢に無勢だとか、凶器があるかないか、とかいろんなことで勝敗分かれてきますよね。ビーバップはその辺が面白いです。トオルもヒロシも結構負けるんですよ。罠にはめられたり大勢にボコられたりすることもあるし、普通にタイマンでやられることもある。ツッパるけど、負けるし、多少弱気な面も見せる。不良漫画なのに誰が一番強いか、みたいな指標が無意味だってことを伝える感じがいいですね。その割に、やられたらやられっぱなしじゃ終わらずに二戦目で勝ちに行くところなんかは、メンツを重んじる、やくざものの学生生活が描かれていて面白いです。

 

そして何より中山美穂がかわいい。80年代後半のアイドル四天王(中山美穂南野陽子浅香唯工藤静香)の中ではミポリンが一番かわいいと思ってます。三作目からは出てないのはなんでなんですか!

 

で、内容はあんまり無いのですが、ボンタン狩りをする城東との抗争を描いたのが本作です。意味が分からないですよね、ボンタンを狩るっていう行為が。

そりゃもちろん不良の象徴であるボンタンを狩ることが他校への示威行為で、みじめな思いをさせることで敗北感を植え付けるってのもわかるんですけども。理解に苦しむ行為です。

 

基本はコメディパートと、乱戦殴り合いシーンばっかりです。不良同士のケンカって実際どんな感じなんでしょうね。やりすぎたらダメ、とかあるんでしょうかね。ケンカに負けた二人はしょげかえって、いつもは笑えたことも楽しくない。強い弱い、メンツの問題が自己肯定感につながってるんですね。

 

若しきり頃の清水宏次朗仲村トオルのカッコよさはシビレます。よく周りの子が言う「イケメンは怖い」という感覚が多少わかる気がします。

イケメンが群れているのは、確かに、怖い。美醜によって、自分の存在が否定される感覚がある。相手が美しいというそれだけでこちらの存在がねじ伏せられるような、卑屈な気持ちになる。もちろんそれだけが人間の価値ではないのはわかっているのだけど、相手が美しい、それだけで無意識の憧れを抱いてしまい、対等な立場でいられなくなる。美しければそれでいい。翠玉のリ・マージョンしたくなります。

 

何にせよ、古き良き昭和の時代に一瞬だけ流行っていた不良文化を感じられる作品です。

私の故郷にもここまででないにしても前時代的なヤンキーが時々いるのは内緒ですが…。

 

 

こんなところです。

映画はあまり強くないジャンルなので今後も攻めていこうと思います。

僕らタイムフライヤー(君の名は。感想)

【当記事は『君の名は。』および新海誠作品の核心に触れる内容を含みます】

 

先日『君の名は。』を見てまいりました。新海誠作品は久々の視聴になりました。

新宿や渋谷は混んでいたので都心を外れたシネコンに行ったのですが、いざ座ってみると右に座ってるのが金髪のカズレーザーみたいな兄ちゃん、左に座ってるのがグレート義太夫みたいなおっさんで両サイドの肘置きは占領されて足も広げられて窮屈、ジュースも置けず、これはハズレ席引いたかな…と思ってましたが、終盤二人ともすすり泣いていたのでまぁいいか、と許しの心になりました。

 

さて、ここで私の記憶の整理も兼ねて簡単にこれまでの作品を振り返ってみます。

 

第一作『ほしのこえ』(2002年)

ウラシマ効果セカイ系ですね。

新海誠が監督・脚本・作画から声優までほぼすべて一人で行ったことで有名です。

初期の新海誠は00年台前半に流行したエヴァのフォロワー群、つまり「セカイ系」の作品を作っていて、『イリヤの空、UFOの夏』、『最終兵器彼女』などと一緒にセカイ系の代表作として語られることも多いですね。

セカイ系の典型といわれる作品は多くの場合、戦うことで社会から強力な戦力として認められている少女と、その少女に盲目的に愛される主人公、という構造が認められます。語義の定まっていない概念なので諸説ありますが、多くは「キミ(ヒロイン)とボク(主人公)の関係性が世界の終末と直結する物語」という東浩紀の論調におおむね収まる範囲となっています。

つまり、社会に認められている少女に、認められることで存在価値を得る主人公像がセカイ系の構成要素の一つなのですね。承認欲求に飢えていた時代だったのです。

00年代前半は特別な能力を持つ女の子に盲目的に愛されるダメ主人公、みたいな類型の物語が食傷気味になるほどに流行しました。ダメ主人公は大体が平凡な出自だけど口八丁で立ち回ったり、危なくなったらヒロインが助けてくれたり、という感じですね。

ちょっと前にはヒロインを通り越して物語全体から盲目的に承認されるいわゆる俺TUEEE系も流行しましたね。

少し脱線しました。このほか、新海監督の後の作品にも通じている「好き合っているのに自分たちでは変えられない外的要因により結ばれない二人」という主題や、全体的に漂うダウントーン雰囲気などはセカイ系を出自に持つからと言えなくもないと思います。

 

第二作『雲のむこう、約束の場所』(2004年)

日本が南北に分断された世界の青森を舞台として、やや冴えない主人公の藤沢とモテる親友の白川、憧れの女の子の沢渡さんがカントリーな高校生活を送りながら仲良くなり、ある約束を交わす。その後、アメリカの統治軍との軍事衝突により時が流れ、三人がバラバラになり、けれどもまた戦いの歴史の中で繋がりあって、あの日の約束が…という話。

作品自体はいまだセカイ系の文脈にありますが、前作よりはストーリーに監督の独自性が見られます。個人的にはエヴァ感が強くなっている印象です。

前作もそうなのですが、90年代頃のトレンドで戦時下の少年少女たちを描く作品が数多くありました。大塚英志先生なんかに言わせれば「「戦争を知らない子供」と呼ばれた世代が、「架空の」戦時下にある生活を目一杯「想像した」作品」とでも言いましょうか。敗戦に打ちのめされた世代でもないし、極度の反省主義にも染められてない世代が戦争を描き始めたというんですかね。

まぁなんにせよ、日常パートの平和さが戦争によって切り裂かれ、もう戻ってこないような感じは朝ドラなんかと近しい気がします。新海誠監督の作品には「自分たちでどうにもできない外的要因によって引き裂かれる二人」というのも作中でそこそこ出てくるテーマの一つなのですが、戦争っていうのはその最たるものですよね。前述の朝ドラでも、幼馴染の本命最有力候補が出征して引き裂かれる、みたいなの多いですもんね。

この辺までは新海監督は明確に過去作のフォロワーとして作品を作っていたように思います。

 

第三作『秒速5センチメートル』(2007年)

たぶん『君の名は。』以前は一番知名度が高かったことでしょう。この辺りから映像美と青春の甘酸っぱさ成分の濃度が非常に上がってきます。エッセンス程度だった監督の実体験っぽいエピソードがふんだんに盛り込まれてくるようになり、作風を確立した感があります。

この作品は三章立てとなっていて、中学生、高校生、社会人という時間を用いた縦軸と東京、栃木、鹿児島、ふたたび東京という地理的な横軸を使って話が進みます。時間の流れは無常だな、と思わせる作品です。振分髪の筒井筒のジュブナイルから分別のある大人になっていく一連の流れを描いて、不可逆で不可塑な状態を最後に持ってくることで喪失感を心に浮かび上がらせる名作だと思います。

作画のクオリティもここから死ぬほど上がります。この作品から新海誠に入ってしまうと、昔のアニメを見ない一般人であれば前二作は作画がしょっぱすぎて見れないかもしれないです。このころがちょうどセル画からデジタルへ完全に転換した時期でもありました。

ストーリー的にも視聴者にリテラシーを要求するSF要素を極力排して、一般向けに急激に舵を切ったともいえるでしょう。観客目線では予備知識がいらないのでとっつきやすくなったともいえます。

実際には「時間と距離と想いの無常さ」を描いていると言えるので『ほしのこえ』と同じことを描いていると言えなくもないのですが、題材の取り方一つでここまで作品が変わるんだな、と思いました。

確かにウラシマ効果とか言われても、普通の人は意味わからないですもんね。あれは庵野秀明がデビュー作『トップをねらえ!』でウラシマ効果を使ったオマージュだと思っています。

ちなみに私が大学に入った頃にこの映画がニコニコ動画の黎明期ともガッツリかぶって山崎まさよしと共に相当流行っていて、こんな高校生活は送ってない、死にたい、という旨の事をしきりに大学で言っていた気がするし、クラナドが流行った時も同じ事を言っていた気がします。

 

その後私は2011年に大学を卒業して社会人となり、引っ越しや研修でアニメを見る暇がなくなりカルチャー方面から離れていたため、ちょうど春頃に上映されていた第四作『星を追う子ども』(2011年)は未視聴です。再びアニメを見るようになったのは社会人になって2年くらい経ってからです。

 

第五作『言の葉の庭』(2013年)

新宿御苑を舞台にした恋愛映画。

舞台は新宿と中央・総武線沿線で、主人公が雨の日に出会う年上の女性との交流を描いた作品です。漫画家の楓牙先生の『教師と生徒と』とかとも通ずるところがありますが、「少年の大人の女性への甘酸っぱい恋心」は近年の作品ではダウントレンドなのでこの題材は意外でした。意外だけども、新海作品のヒロインとしては年上の方が合うような気もします。

この作品を見た時に、ちょっと今までの新海誠と違うな、と思ったのは終盤に主人公が感情を相手にぶつけて泣いたんですよね。子供っぽい逆上ではあったんですが、自分の想いを爆発させることはこれまでの達観した主人公像からは考えられませんでした。

一回りくらい上の相手だから素直に本音を言えた、ということなのかわからないですが、意外だったんですよね。新海誠の軸っていうのが、「言いたいことを言えなかった後悔」にあると思ってたので。

個人的にこの作品は結構好きで、どう考えても監督の過去の女との思い出のアイテムであろうDIANAの靴を何度も出してくるところとか、靴のフィッティングをするシーンの足を触る描写の丹念さとか、個人的な趣味やフェチズムをふんだんに詰め込んだ新海誠私小説を、物語としての体裁を整えて世に出した純文学だと思ったんですよ。短歌を使ったりするのも憎いですね。執拗に雨や水や滴を描くのも何か偏執的なものを感じました。

こういう「核心に触れたら壊れてしまいそうな関係」って結構あるじゃないですか。本当は会える事を期待してるし、もっと相手の事を知りたいんだけど、口に出したらダメになっちゃいそうっていうか。

ユキノさんはトラブルの渦中で信じられる人もおらず立ち止まっており、主人公も複雑な家庭環境にある。二人ともあの場所に救われているんだけれども、相手の境遇には気づいていない。そういうのがいいですよね。

 

で、『君の名は。』を見たわけです。見たあとに新海誠作品が好きな友人にすぐラインを送ったのですが、

 

rosehana「新海に何があったの、こんな話書く人じゃないでしょ」

友人「ほんとそれ」

rosehana「ウジウジした高学歴童貞の恨み節みたいなの見てだんだんつらくなってくるのが新海じゃないの」

友人「主人公が身を持ち崩すラストを想定してたし、たぶん望んでた」

rosehana「正直、今までの新海なら少なくとも最後のシーンなくて、四谷からドコモタワー見つめて君の名前は…で終わってたよね」

友人「歩道橋ですれ違えただけでも救済しすぎた感があった」

 

などと宣っており、新海誠の支持層に重度のバッドエンド中毒患者がいることを感じさせました。

 

写実的な景色だとか、やたらに空を見上げる主人公、「空」に必要以上に物語的な意味を持たせる点、物語の根幹をなす割に現象として以上の説明の無いSF要素、すれ違いの切なさとか描くのは昔から変わってないですが、ちょっと救いの要素が強くなりすぎじゃないかな、というのは私も感じたところです。

 

物語的には大林宣彦の『転校生(原作は「俺があいつであいつが俺で」)』とか『とりかえばや物語』とかを下敷きにした物語で、思春期の男女の入れ替わり、すなわち性転換モノなんだけど、そこにループ要素を加えた意欲作でした。

たくさん詰め込んでいるのに、説明不足になり過ぎず、中編映画の割に中だるみもせず面白かったんです。

 

私の話をさせていただくと、去年から東京に転勤してきて、職場の近くや新宿の風景がわかるようになったのが良かった。もちろんこれまでの作品でも東京の街並みは出ていたんだけども、新宿を見て新宿だとわかって、ドコモタワーや総武線、四谷の駅の外の様子がわかることってこの作品を見るうえでとても大きいですよね。

 

ほしのこえ』から始まって、モテて言い寄ってきた女はそれなりに相手するけど、本命の女がいて、その子とは添い遂げられなくて、ああでもないこうでもないってウジウジしてタイミング逃してしまって、もう取り返しがつかなくなってしまった、悲しいですね、みたいな青春を謳歌できなかった童貞の妄想を限りなく美化したようなストーリーが基本線だったわけです。

大人になってから振り返っているような、すれ違ったタイミングからかなり時が経っている時点での描写があるのが基本なんですね。達観しているような態度を取りながらも、実は後悔の念が強くて、人知れず思い出の風景を見つめて涙する、そんなようなイメージで来ていました。それが『言の葉の庭』からやや変容してきていました。

 

空を基調とした写実的な絵があって、感動を煽る音楽があって、秒速以後はイメージビデオだとかPVだとか揶揄されたりはしましたが、それはそれで煽情的になっていて、感傷に浸るのに効果的でした。そう、どこまでも感傷的な物語だったのです。主人公の傷心旅行に付き合っているような、そんな物語が新海誠っぽさだと思っていたのです。

それがここまで爽やかに舵を切ってくるとは思ってなかったのでかつての新海誠を知る人たちはびっくりしたのです。誰だよって。

 

しかしまぁ、エンターテイメントとして非常にわかりやすく、かといって子供騙しにならず、面白い作品でした。

面白いな、と思ったのは性転換モノは「性差」とか「少年の性欲」との向き合い方が焦点になることが多くて(『転校生』でも小林聡美が胸を晒していました、時代が時代とはいえ恐ろしいですね。)、ちょっとエロの要素が見え隠れしてしまうわけですが、この作品はそこをうまく回避しています。トイレに行った後の部分と胸を揉むシーンくらいですね。高校生の男女であれば実際にはもっと色々あるはずなんですが、その辺はうまく誤魔化しています。

 

これが新海誠の仕込んだフックの一つで、中盤で一つ目のループ構造(一回目の「君の名前は!」ですね)を明かし、そこからは糸守村の辿る運命とご神体を用いた二つ目のループ構造(糸守村を救うためにどうするか、というシーンですね)を明かして全体を通してハイテンションの物語を作り上げているわけです。息つく間もなく話が進むテンポの良さはさすがです。

口噛酒を躊躇なく飲み干す瀧くんは素なんですかね。飲み干すの見て変な笑いが出て色々ハラハラしました。

 

にしても上手い作りの作品ですよね。

昭和の原風景を残している田舎から、スマホを操作してるから舞台は現代だなって思わせておいて、実は3年のタイムラグがあるとか、「君の名前は」というキーワードを中盤と最後のシーンで二回使って、それぞれ意味が違っていることとか、何気にユキちゃん先生が出てる所とか、ある意味で新海誠の持つ「時系列性」「過去への悔恨」「主人公達は学校生活ではモブ」というようなエッセンスは残しているところとか。細かいことは縁起が大火で焼失してるからわからん、みたいなとことか。

 

パンフには新海監督のインタビューが寄せられています。

 

秒速5センチメートル』という作品を作って、ある程度の評価や支持もいただいたんですが、自分の思いとはずいぶん違う伝わり方になってしまったという感覚があったんです。自分ではハッピーエンド/バッドエンドという考え方をしたことはなかったんですが、『秒速~』は多くのお客さんにバッドエンドの物語と捉えられてしまったところがあって。それだけに多くの方に響いたという面はあったし、作品の受け止め方はもちろんお客さんの自由だけれど、少なくとも僕としてはバッドエンドを描いたつもりはなかったんです。

 

要するに、新海監督曰く『秒速~』のラストは過去の思い出はそれはそれとして終わりを告げて、今これからを生きていこう 、という前向きな物語だというわけですね。それをデフォルメすると『言の葉の庭』のラスト的な、さっぱりとどちらもそれぞれの道を歩もう、というラストにつながるわけです。そんな風には思えない人にはバッドエンドの物語として全国津々浦々の飲み屋で口伝されてきたわけです。

 

この辺は難しいところですよね。私も過去に好きだった人もいたし、付き合った人もいたし、別々の道を歩んで今何しているのか全く知らない人もいます。それは、もう全く興味がなくなったからどうでもいいという場合もあるし、別れの形が辛すぎたから諸々の未熟だった自分も含めて思い出したくないという場合もあります。

どちらにとっても前向きな別れというのは難しいです。未来永劫、あの時別の選択肢を取っていれば…という悔いを背負って生きたり、誰かの存在を心にシミのように残して生きていくのは辛いことです。

 

 新海誠を支持するボリュームゾーンは「恋愛経験が無い訳ではないけども、青春時代に悔いが残っている人」だと思っていて、一度もモテたことがない、というような層よりも多少は女友達もいて、それなりに付き合った事もあるけどもどこかでこじらせてしまった層のように思います。だからこそ、スクールカースト上位層には響かないだろうな、とも思うし、新海誠私小説的な文脈を読み取れないと思うんです。

自分の事を知っている人がいない土地で暮らそうが、恋人が出来ようが、セックスをしようが、ふとした瞬間に鬱々とした思いで過ごした青春時代の感覚に囚われてしまう瞬間が存在する人にとっては、新海作品というのは劇薬なのです。今の幸せが、過去の後悔や傷を消せるわけではない、ということを突き付けられるからです。

見ていて辛くなってくるのは、新海誠の人生の後悔とかやり遂げられなかった想いを追体験させられるからなんだと思うのです。この辺は村上春樹を読んでオサレなフリーセックス、春樹のリア充っぷりを追体験させられて胸やけしてくる感じとベクトルは逆ですけど同じような感じに思います。

 

また、田舎と都会の描写もいいですよね。

ジブリの『海がきこえる』なんかにも言えることですが、田舎の牧歌的な風景と、それに付随する土着性、狭いコミュニティでの生きづらさと、都会的な街並みや人が多いけれどもその分無関心でいてくれる部分の対比は、どちらも経験した身からしても趣深いです。

 

ちょっと『君の名は。』の話から逸れてしまいました。

私は新海誠私小説シリーズは『秒速5センチメートル』で青春の恨み節としての一つの到達点に達し、『言の葉の庭』で少年の甘酸っぱい夏の日の思い出としての完成形を得たと思っていましたが、こうして強くエンターテイメント性を前面に押し出した作品を世に出してくるとは思ってもいませんでした。

どちらかというと、赤裸々な私小説を描いてそれがニッチな意味で評価される、という感じで行くものと思ってました。だから単館上映の『秒速~』が口コミで流行っていったわけだし、何回も見に行く作品になっていったんだと思います。

 

それが、新海誠の新作がぶっちぎりで国内興行収入1位を取る、なんて(しかも3位が庵野が監督したゴジラなんて)。メディアでこんなに取り上げられるような作品になるなんて。ネットはアニメとの親和性が高いので驚かないですが、テレビで取り上げられるとは思っていませんでした。

興行収入が100億円を超えるようなオリジナルアニメが宮崎駿作品以外で出たということだけでもビックリするのに、それがまさかの新海誠っていうのは、これまで作品を追ってきた人たちにとって驚愕の事実だったのではないでしょうか。セールスはそこそこで世間の話題になったりはしないけれど、アニメを見ている層からは評価を受けて信者が付く、というようなタイプだと思っていたので私もただただ驚いています。

ある意味ジブリとか細田守とかディズニーとか、ああいう世間で評価されてセールスも良いけどアニメ見てる層の間であまり話題にならない作品と対極にある作品で食っていくと思ってたんですけど、口コミやSNSが強い現代において作風に時代が追い付いてきた感じはありますね。

 

君の名は。』ってセカイ系寄りの作品じゃないですか。でもって、セカイ系特有の後味の悪さっていうか、取り返しのつかなさ、みたいな部分を、この作品では回避しているのですよね。かつてセカイ系で世に出た、まさにセカイ系フォロワーであるところの新海誠が、こうやってセカイ系にケリを付けた、というのは評価してもいいんじゃないかと思うんですよね。

 

あと語ることがあるとすればRADWIMPSですね。

私がRADWIMPSを初めて聞いたのは高校生の頃ですが、BUMPのフォロワー的な立ち位置だったように思います。私は受験生でした。ある日TSUTAYAで、

「誰も端っこで泣かないようにと 君は地球を丸くしたんだろう? 

 だから君に会えないと僕は 隅っこを探して泣く 泣く」

というフレーズ(『有心論』です)を聞いてCDを急いで借りたのを覚えています。当時もう期待の若手としてそこそこ売り出されていました。

あれからもう10年くらい経ってるんですよね。そりゃ年も取るわけだ。

 

今回の大ヒットが新海誠監督の今後の作風にどう影響を与えるのかいちファンとして楽しみに思います。この線で行ってもいいと思いますが、エンタテイメントに媚びない作品ももう一度くらい見てみたいというのが本音ですかね。

少年漫画の王道とは?(僕のヒーローアカデミア感想)

少年漫画の話をする。

 

幼稚園か小学校低学年くらいの頃に初めて買った(買ってもらった)漫画は『金田一少年の事件簿』でした。

父親はマガジンとチャンピオンを買っていて、当時はマガジンが発行部数でジャンプを抜いた時期でした。いわゆるマガジン黄金期と、ジャンプ暗黒期というやつですね。

 

金田一のほかにも、サイコメトラーEIJI、カメレオン、はじめの一歩、BOYS BE…、Let'sぬぷぬぷっ、中華一番、コータローまかりとおる、DREAMS、哲也、将太の寿司、湘南純愛組→GTOなどなど連載時期が前後するかもしれませんが、私個人としても充実したラインナップでした。MMRも時々やってましたね。

マイナーなとこではストーンバスターとかMAYAとか釣りに行こうよとか人間凶器カツオとか脳みそプルンとかも好きでした。

 

この時代はヤンキー、スポーツ、エログロの三大柱に、料理ものに恋愛ものがあってバランスが良かった時代でした。企画先行型でやってた、いわゆるキバヤシ時代ですね。カメレオンなんかはコマまんまコピーや使いまわしの話が多すぎて子供ながらにこれって大丈夫なのかなって思った記憶があります。

 

その後、『AIが止まらない』をやってた赤松健が『ラブひな』を描き始めて流行ってきたあたりから、スクールランブルや涼風とかウミショーとか入ってきて、萌え絵が多くなった印象です。Jドリームとかシュートとかハーレムビートもそうですが、同人上がりの女性漫画家のスポーツものがそこそこ人気になり、Get BackersとかSAMURAI DEEPER KYOとかバトル物を書き始めたあたりで一気にオタク化が進んだ印象です。

 

金田一とか今読むと講談社新本格ブームに乗っかっただけのような作品で、今見ればいいかげんなトリックも多いんですけど、当時は犯人の名前や殺されたトリックとかもすごく覚えてたし、飛騨からくり屋敷くらいまでのおどろおどろしい雰囲気、怪人の気持ち悪さは新本格っぽさが出ててよかった。新調した後なら雪影村の雰囲気が好きだった。

 

まぁそんな感じで、私も人並みに少年漫画を読んできていて、大学入って社会人何年目かまではジャンプも毎週買って読んでいました。今まで買った漫画で車が確実に買えたくらいには漫画を読んでいます。

 

で、数年ぶりにジャンプ漫画を買ったのが、『僕のヒーローアカデミア』です。

なぜかっていうと、ここ数年変化球な作品ばかり読んでたから、久々に王道バトル物が読みたくなったからです。アニメ化もあって本屋で平積みになってたので気にはなってたんです。

 

これが読んでみるとほんとに面白くて。

まず何よりキャラクターのデザインがいい。出てくる女の子がみんなかわいいし、デザインがゴチャゴチャしてないから絵がすっきりしている。蛙吹ちゃんとか八百万ちゃん、その他脇キャラみんなかわいいってのは奇跡に近い。すごい。

 

あと設定が良いですよね。最近のジャンプで看板だった長期連載って、結局は主人公の血筋が良いっていう作品ばっかだったじゃないですか。Dの意志持ってるルフィ、火影の息子に、一般人かと思えば護廷十三隊の息子だったり。ぬらりひょんの孫もいたし。そうでないものもありましたが、10巻前後で終わったりして。

 

その中で完全な血筋上の無能力者が、物語上の必然性を以て能力を得て、努力によって能力者と戦っていく、というストーリーには王道を踏まえた王道ものというか、メタっぽい目線を持った王道ものの香りがします。

 

血筋全盛の世の中に飛び込んでいく無能力者っていうのが看板漫画へのアンチテーゼな感じもするし、上条さんやお兄様みたいに「それって結局強いんじゃないんですかね…」みたいなのとも違うし、本来的な意味での無能力者がきっかけと努力と根性で成り上がっていくっていうのはスポーツ物のコンセプトを逆輸入したような感じで面白いです。スポーツ物は血筋関係ない作品のが多いですからね。

 

あとメタっぽさの点でいうと、読者が考えそうな進行上のひずみをいち早く作中で言及する感じがいいですね。世論を踏まえて体裁整えて学校運営しなきゃいけない感じとか、「ヒーロー」という職業がファンタジーであることを踏まえつつ、それを現実世界にどう落とし込むかってことをすごく考えて作られてると思うんですね。

 

私も自分で物を書いたり、話を作ったことが拙いながらもあるのでわかるんですけど、自分の頭にあることや設定をすべて物語や文中に落とし込めないから、表層上に出てきている事実だけ見ると矛盾してたり、違和感を感じたりする部分がわからなくなるんですよね。結構ほかの作品では単なる齟齬やミスと伏線がごちゃごちゃでわからないものが多いんですが、この作品ではあまり気にならないような気がします。それぞれの過去くらいで、複雑な謎は用意されていないのもあるかもしれませんが。

 

あと、世論というか世間の反応の仕方が現代にあっているっていうか、ネット時代の悪意の描き方もうまいなぁって思います。ヒーローの叩かれ方や、悪意が悪意を呼ぶ感じとか、善意で行ったことで何か間違いが起こった時に反感を持った人間が悪意で塗りつぶす感じ、それでもヒーローに憧れる生徒たちと、ヒーロー原理主義者たち。なんとなく前時代的なヒーロー系の連中に対して、ヴィラン側はやや近代っぽいアイデンティティの持ち主っていうか。

 

今の世の中は本当に「何が正義なのか」がわからなくなっていて、たとえファンタジーの世界であっても善悪の二元論が成り立つ世の中ではありません。何をやっても叩く人間がいるし、目立てば誰かの悪意に晒される危険がある。

 

そういう世の中で「ヒーロー」を生業としていくことの難しさが描かれていると思うし、会話をするのもギリギリ成り立ってる感じのヴィラン達を見ていると、作中世界の歪みも見えてきます。それはつまり個性の有る無しや強弱で判断される(これはまんま元の意味での個性とも繋がりますね)ことであったり、ステインが言っていたような一方的に悪を裁くことで個性の使用を許された「ヒーロー」自身の歪みであったりするのだと思います。

 

何にせよ、こんなに一冊一冊心躍りながら読んで、最新刊を早く読みたいと感じるのは少年バトル漫画ならではだし、刊行分読み終わってしまって次出るのがまだ先で歯噛みすることができる作品に出合えるのは幸せだなぁ、と思います。

 

オールフォーワン編が終わったらヒーローの中での内ゲバとかありそうだなぁ…。拝金主義のヒーローがヴィランと癒着してて、事件起こさせてるとか。悪役がいなくなったらおまんま食い上げっていうのもヒーローの歪みの一つなんでしょうね。災害救助とかもしてるみたいですが。敵を倒すことに特化した能力の人たちって平和になったらなったで困りそうだもんなぁ。

まぁそんなこと言ってると「敵って、誰だよ」って石田彰が言ってそうな感じしますね。

 

 

SMAPと、カープと、25年という数字。

SMAPカープ、25年。

私にとっての2016年を象徴するものです。

 

まず、SMAP

私の母はSMAPファンでした。母は世代でいえば子供の頃は郷ひろみたのきんトリオ、シブがき隊辺りで育った世代です。それらはほどほどに見ていて、光GENJI男闘呼組、忍者の少年御三家にもハマらなかったけど、SMAPの「がんばりましょう」を聞いてからジャニーズに興味を持ったそうです。

 

三人の子供にお金がかかっていたのでファンクラブに入ったりコンサートに行ったりというのはなかなかできなかったけど、ドラマやバラエティはいつも見ていました。中でも木村くんが好きで、ロングバケーションなんかは私も何回見たかわかりません。

 

もちろん、スマスマも放送開始当初から見ていたし、森君が脱退した時にめざましテレビを見ながら母親と会話したこともよく覚えています。実家を出るまではワッツ(木村くんのやってるラジオ)も時々聞いてたし、朝起きたら母親がSMAP VESTを聞きながら食事の用意をしている光景が当たり前のようにありました。

 

今でこそ、いろんな形のアイドルを見ているけど、私にとってSMAPは最初のアイドルだったんです。原点なんです。

歌もダンスも下手とかってジュリーさんが言ってたような記事が文春で出てましたが、それが魅力じゃないですか。何を言ってるんですか。バラバラなんだけど一人一人の個性が生きてるダンスがいいんじゃないですか。

 

何やってもキムタクって言われながらも、そう言われるだけの圧倒的な立ち位置を築いて、検事とかパイロットとか美容師とか色んなモテる役柄やってきたけど、やっぱりロンバケでのパッとしないピアニスト役の木村くんが好きです。

 

自分を殺した笑いに徹してバラエティ班を貫いて、巨人ファンってキャラから解説やれるようになって、立ち回りのうまさから司会者をやれるまでになって、アイドルが番組の添え物じゃなくて仕切るっていう道を築いた中居くんが好きです。

 

クールな役柄ばっかやってるけど、自分の好きな事を喋ってる時はイキイキしてて、音程怪しいダンスも怪しい、絶叫物は苦手、スマスマのコントではおどけて笑いを取りに行ける稲垣くんが好きです。

 

おっとりしてていじられキャラだけど、一つの事に打ち込めるひたむきさは4人からも本当に一目置かれてて、役者としては人が変わったように鬼気迫る演技ができる草彅くんが好きです。

 

最年少だからこそ4人の懐に入っていけて、変なテンションとか役柄でも気合でがんばってバラエティ班で誰よりも体を張ったネタをやって、絵も描けるしコンサートの構成までできるセンスがある香取くんが好きです。

 

そして、『しようよ』の2TOP背中合わせハイタッチのシーンが好きです。

就活をしていた頃『君は君だよ』に何度も励まされました。

社会人になって『オリジナルスマイル』の「山ほどむかつくこと 毎日あるけど くさってたら もうそこで終わり」というフレーズに何度も生きる気力をもらいました。

 

私にとって、SMAPは無くてはならない存在だったんです。 

 

そして、広島カープ

 

私は広島出身で、もちろんカープファン。野球を本格的に知って好きになったのは今から18年前のことで、松坂大輔を擁する横浜高校が春夏国体の三大会を制し、プロ野球では横浜がマシンガン打線と堅い内野陣、大魔神・佐々木の活躍により日本一。98年は横浜の年でした。

 

一方の広島カープは、91年以来優勝から遠ざかっているとはいえまだ赤ヘル軍団の強さは記憶に新しく、いずれ優勝できるという空気がまだ広島県にはありました。ここから長い長いトンネルが待っているのですが、私がカープを応援し始めたのはそんな暗黒の入り口の年でした。 

 

カープはその後万年Bクラスに甘んじるようになります。

時は折しも逆指名とFAの全盛時代。カープは今でこそ純利益が億単位で出る年もありますが、市民球団ですので当時は採算ギリギリでした。のちに逆指名がほぼ裏金であった事が暴露されましたが、大社の目玉候補やFAの一流選手を獲るためにはお金の要る時代でした。そこで勝負できない広島は純血主義と伝統の猛練習でカバーしようとします。

 

薄い選手層に無理な練習が祟り、キャンプで主力や若手がケガをしてベストメンバーが揃わなかったり、比較的マシな投手が先発から僅差ビハインド、ロングリリーフまでいかなるシチュエーションでも登板して短命に終わり、若手がほぼ出てこない、出てきても数年の輝きで終わる、ということが続き、選手層の薄さをカバーできずに秋口には借金まみれで沈むというのが様式美となっていました。大野やら佐々岡やら往年のレジェンドが丈夫過ぎたから麻痺しちゃったんですね。

 

主力がFAでチームを去っていき、他球団の二軍呼ばわりされていた日々もありました。90年代後半~00年代前半は、初優勝を果たした75年以降で最も成績も人気も低迷していた時期ではなかったでしょうか。松田オーナーも当時を振り返って言及していますが、当時の市民球場はガラガラでした。

 

黒田が国内FA行使せず残留したあの年、私は高校三年生で、学校で友人が携帯を見て黒田残留をみんなに知らせ、大盛り上がりしたのを今でも覚えています。こんな弱くて未来の見えない球団に残ってくれてありがとう、と。でも、黒田が残っても優勝できないだろうな、と申し訳ない気持ちもあったのです。

 

それからは交流戦で負けが込んでそのまま低空飛行というのが様式美となったり、タイトルを獲る選手が現れてもBクラス、という日々が続きました。大体の場合は投手が四球ないしエラー絡みで失点、打線は単打で貯めたランナーをあと一本が出ず負ける、という試合が多かったと思います。何かの間違いで好投したときには打てない、ということも多かったです。

 

だからこそ、三年前に野村監督の下で16年ぶりにAクラス入りした時は本当に嬉しかった。ちょうど広島市民球場からマツダスタジアムに移ったくらいのころから雰囲気が変わってきた感じはありました。逆指名制度が廃止されて、マエケンみたいな選手が獲れるようになって、それからですね。

 

カープ女子が出てきた要因に、この辺の若手が躍動し始めたことと、マツダ移転がありました。もともと、関東でのゲームでの客の入りは良いって話はあったんです。でもなぜかホームに来ないことで有名だったんですが、市民球場はまぁボロかったんですね。トイレも古くて汚かったし、女子が行きたい球場じゃなかったんです。

 

とにかく、私はカープが好きで応援していたけども、弱かった。春に一瞬だけ一位になったりして、その後泥沼の何連敗を経てBクラス。シーズン前には期待したりもするけれど、夏頃にはAクラスに入れたらいいなぁ、に変わっている。

 

野村政権でAクラスに入ったけども、巨人に肝心なところで負けたり、緒方監督になってBクラスに沈んだり。16年ぶりにAクラスになった、と言って喜んでるところをほかのファンに同情されたり。中日、阪神、巨人に大幅に負け越しているシーズンばかりで、いつも同じ選手に抑えられて、打たれて。

それでも、毎年毎年結果を見てがっかりするのがわかっていても試合結果を見ていた。広島を離れてからも、そうだった。

 

私が物心ついてから2016年まで。

SMAPはキムタク現象から『世界に一つだけの花』で一つのピークを迎えて、日本芸能史上類を見ないオールマイティなアイドルになりました。

広島カープはドン底の悪循環から抜け出せずもがき苦しみ、ようやく微かな光が見え始めていました。

 

 

25年前の9月9日。SMAPは「can’t stop –Loving-」でデビューしました。

25年前の10月13日、カープは6度目のセリーグ優勝を果たしました。

その頃私は2歳で、何も記憶には残っていません。

 

私が物心ついた頃、SMAPは新進気鋭の若手アイドルとして、芸能界のスターダムを登りつめていました。

広島カープは優勝を支えた世代の正田が引退し、打線は円熟期を迎える一方で、16年連続Bクラスの長いトンネルは道半ばでした。

 

27歳になった2016年。私は二つの涙を流しました。

SMAP、25周年をもって解散。広島カープ、25年ぶりの優勝。

 

9月9日、SMAPがデビューして25周年を迎え、9月10日にカープは優勝を果たしました。

カープが弱かった頃を十分知っているからこそ優勝がうれしかった。

SMAPが走ってきた道をずっと近くで見てきたから、解散することが悲しかった。

 

25年という月日は、2歳の子供が社会人6年目になるだけの重みがある。SMAPが活動していたのと同じ年月カープは優勝できなかった。カープであれだけの人数が入れ代わり立ち代わりして低迷していた中、SMAPは森くんは脱退したけど、5人でアイドルの枠を越えて、芸能界に君臨した。

 

低迷期を支え、そして同時に出て行ったエースと四番が様々な経験を経て帰ってきて2000本安打、300号本塁打、200勝を達成して名球会に入った年に優勝する。二人が抱き合って泣く姿を見てカープファンは涙した。

 

森くんが抜け、逮捕者が出たりしたけれど頑張ってきて、不仲説や嵐との確執などあることないことを書かれ、それでも後輩に背中で語り続けてきたSMAPの解散にファンはやるせない気持ちで涙した。

 

この2016年という年は、私にとって25年という月日の重さを感じさせる一年となりました。

 

今年ももうあと三ヶ月を切りました。

嬉しくて泣き、悲しくて泣き、色々ありますが、できれば、もっと嬉しくて泣けるような出来事が起こってほしいな、と思っています。

27歳の未熟DREAMER(サンシャイン9話感想)

さてさて、第9話にて無事成仏させていただいて、アラサーにもなって画面を見て嗚咽を漏らしていたわけですが、恐ろしいくらい三年生回でしたね。まぁ今思えば三年生回以外に考えられなかったわけで私が浅はかでした。

 

三年生の関係性最高過ぎて言葉が出ないくらいに感動して、中断しつつでないと先を見れなかったんですが、なんとか最後まで見終えました。アニメを見て身もだえしながら髪をかきむしったのは久々ですね。日々の仕事に強く影響が出てしまうくらいダメージを受けました。

 

かなまり党の方々が発狂するのもわかりますよ。なんだこれは。

千歌が喧嘩の仲裁してる辺りまでは、果南さんはまぁブチ切れたりしたけど、シリアスと見せかけてコミカルに行くのかな、過去のトラウマみたいなのあっても千歌が笑い飛ばす感じなのかなーとか思っていたんですが、中盤からの畳みかける展開にはアラサーの私も完全にノックアウトされました。

 

前の記事でμ'sになれなかった子たちの物語、という事を書いたんですが、先代Aqoursはことりの留学を止めなかったμ’sの物語だったんですね。非常に得心が行きました。

 

無印一期でことりの留学を引き留めたことについては非常に物議を醸しました。今でこそラブライブは超が付いても足りないくらいの人気アニメとなりましたけど、当時は数あるアニメの中の一つで、終盤の展開は賛否ある感じでした。ことりの将来を考えたら行かせてやるべきだった、という論調も多かったように思います。

高校時代の衝動的な思い付きで、その後の人生を左右するような決断をすべきなのか、ということですよね。将来設計まで考えたアドバイスをするのが友人じゃないのか、と。

 

その批判を真っ向から受け止めたのが今回の展開なわけですね。

まぁ留学に対するモチベーションがことりと鞠莉で違う気もしなくもないですが。

 

「今度は誰も悲しませないことをやりたいな。自分勝手にならずに済んで、でも楽しくて、沢山の人を笑顔にするために頑張ることが出来て。でもそんなもの、あるのかな?(無印最終話・穂乃果)」

 

ライブで失敗して迷惑をかけて、ことりも留学してボロボロの穂乃果が言ったセリフはこれでした。無印のテーマは「やりたい事をやろう」でしたが、この場合はμ's9人の「やりたい事」の方向性が合致していたわけですね。そこに唐突に将来の話が出て、トラブルも重なって、音乃木坂学園の存続も含めて、あくまで在校生の将来まで考えている理事長との見据える方向性の違いが浮き彫りになるのが無印のストーリーなのですが、最終的には、

 

「ことりちゃん、ごめん! 私、スクールアイドルやりたいの! ことりちゃんと一緒にやりたいの!いつか、別の夢に向かう時が来るとしても。行かないで!」

「ううん。私の方こそごめん。私、自分の気持ち、わかってたのに……!」

 

というのが無印の終盤のあらすじでした。穂乃果がごめん!と言いつつも我を通し、なぜかことりサイドも謝罪する、という顛末でハッピーエンド感があるのは穂乃果のすさまじい引力のなせる業ですね。

穂乃果がことりの「今」をくれ、と空港で叫ぶのがOPの「僕らは今の中で」からずっと提言し続けてきた作品のパンチラインを回収する感じでよかったです。究極的に言えば、高校生であるときにやりたいことをやれる、というものに勝るものはないんだ、ここがμ'sのスタートラインなんだ、という制作側のメッセージ性も光る最終話でした。三話と最終話で「START:DASH」に違った意味を持たせているのが憎い演出でした。

 

で、サンシャインの三年生組に関してはそういうことも鑑みて果南さんが身を引いたわけですね。果南さんとダイヤさんは自分の想い(=やりたいことであり「今」)を殺して親友を送り出したわけです。今書いていて「思春期を殺した少年の翼」を思い出しました。

要するに果南さん=穂乃果で鞠莉さん=ことり、ダイヤさん=海未ちゃんの関係性で、果南さんは穂乃果ほど我を通せなかったわけです。鞠莉さん=ことりは本当にやりたい事=自分の気持ちがわかってたんですけど、留学してしまったわけですね。μ'sをモデルケースとして、逆パターンを検証している感じです。

 

「果南さんはずっとあなたの事を見てきたのですよ。あなたの立場も、あなたの気持ちも。そして、あなたの将来も、誰よりも考えている。」

 

この台詞が持つ意味は重いですよね。果南さんがあのまま闇落ちした穂乃果だとすると悲しすぎます。

で、ここからの展開が個人的に興味深いんですけど、無印では穂乃果が亜空間ダッシュでことりを追いかけたわけですが、サンシャインでは果南の気持ちに気付いて、想いを伝えに走るのは鞠莉なんですよ。雨の中走り出す鞠莉さんのシーンは素晴らしかったです。胸の鼓動が君と重なるかと思った。

 

「果南が私の事を想うように、私も果南の事考えているんだから!

 将来なんか今はどーーでもいいの!留学?まったく興味なかった。当たり前じゃない!だって…果南が歌えなかったんだよ…?放っておけるはずない!」

「私が…私が果南を想う気持ちを…甘く見ないで!」

 

このセリフは無印でもし穂乃果が追いかけなかったパターンのことりちゃんのセリフと考えるとかなり心に響くものがあります。

だから結局、二人とも言いたい事を云えずにここまで来てたわけなんです。納得が行ってなかったわけです。 

もう正直この二人の関係ズッブズブですやんってのもあるし、やっぱ決着つけるのはビンタなんですよねぇ。スクールアイドルは肉体言語で解決しろっていう不文律でもあるんですかねぇ。頬を差し出す果南さんからは拳で分かり合おう、みたいな少年ジャンプ的な友情を感じます。むしろスクールアイドルについて調べた果南さんがこの方法で行くしかない、と考えたんでしょうか。

 

ここで言いたいことは、無印でのパンチラインであった「やりたいことをやろう!相手の事情はどうあれ、自分のやりたいことをやり通そう!」ということでμ'sが一つの大団円を迎えたのは、「自分のやりたい事=相手のやりたい事」の図式が成り立っているからであって、だからこそ「今の中で」駆け抜けていったわけです。

みんながやりたいことの向きが合致してるのか、ということと、アイドル以外の道を歩む宿命にある友達の将来をどう考えるのか、ということ。この二点が判断の決め手となっているわけです。矢澤さんみたいに将来もアイドルをやりたそうな人は別としても、結局のところ、高校生の前に立ちはだかるのは進路の問題になってくるわけですね。ここでサンシャインのパンチラインAqoursのライブ前の掛け声がが生きてくるわけです。

 

「今、全力で輝こう!」

 

みんなで今この瞬間に輝こう、ってなわけですね。結局は、今しかできないことをして全力で輝いていこう!というわけです。君のこころは輝いているわけです。だから、文脈は無印の頃からぶれてないんです。

もちろんμ'sの物語がどれくらい世間に伝播しているのかはわからないのですが、μ'sという作中世界でも現実世界でも成功したスクールアイドルをモデルケースとして、色んなアイドルを描くうえで出てくる高校生特有の共通課題を解決する中でも「今やりたい事、今いる集団を大事にする」というのがこの大河ドラマの基本姿勢だということがこの二作で提示されたわけです。

  

そういう姿勢は打ち出しながらも、作中で折に触れて語られるように全国津々浦々にμ'sになれなかったグループが山ほどいるはずで、その一つ一つに物語があるわけです。熱闘甲子園的な、青春を懸けた子たちと、今日で解散、という瞬間と、それからの物語もあるわけです。

 

そういう意味でサンシャイン9話で部室のホワイトボードに書かれていたのは三年生の夢のあとだったわけですね。そしてそこに新しい文字を刻むのは新生Aqoursだったわけです。回想シーンで出てきた時に未完成だった歌詞が、和解を経て三人によって新たに書き加えられて完成していく過程も素晴らしかったですね。三人の体験をきちんとアウトプットした素晴らしい歌詞でした。

三人で果たせなかった夢を、後輩たちの加入で叶える、という落としどころとしても9話の物語は非常によかったです。

 

μ's二年生三人組もズブズブでしたが、この三年生組も結構なズブズブな関係ですからね。ある種、そんぐらいでないと生き残っていけないのがスクールアイドル業界なのでしょう。A-RISEとセイントスノーも深くは語られてないですがただならぬ雰囲気があります。

 

そして今回で誰よりも評価をストップ高に持って行ったのはダイヤさんですね。もうこれは誰もが認めるところかと思います。

果南と鞠莉が教室で揉めているときに横でオロオロしているところは普段の下級生への強気な態度とのギャップがあり、怒り狂う鞠莉さんをなだめたり、二人を一歩引いて見守っている感じ、自分の好きなものを見つめる顔がとてもよくって。善子に捕まったり、果南が過去に歌わなかった内情をひた隠してたのに結局バラしたり、一番最後に加入する時の笑顔といい、微笑む描写がだんだん増えていくのがとてもよかった。号泣する二人の影に隠れてますがダイヤさんが一番嬉しかったんじゃないかな。

 

果南について「鞠莉のことをずっと見てきた」と語ったダイヤさんだけど、ダイヤさんも二人の事をずっと見てきたんだよね。反目する二人の板挟みで辛い思いをしてきたんだよね。

「大好きな人のために、大好きなものを大嫌いって言ってたダイヤさんの気持ちを思うと胸が苦しい」と9話を見た直後に友人が語っておりましたが、この三人の幼馴染がお互いに対して抱いている愛情の強さは見ていて苦しくなるほどでした。

 

ダイヤさんが意図しない形とはいえAqoursという名前を残したことにも大きな意味があると思います。

卒業とか、解散とか、様々な形で名前を残せなかったグループは現実世界でも山ほどあるわけです。にこが穂乃果が抜けてもμ'sの名前を残そうとしたのと同じですよね。そういうグループお取り壊しで消えていったアイドルがたくさんいるなかで穏当な形で新メンバーを取り入れて、かつ過去に一度解散したグループの物語性も取り込めたことに他ならないわけですからね。

 

今回の話で三年生が「ライブで失敗した」という部分に関してはややインパクトが薄れた感はありますが、その分、幼少期のイベント群を補完できた所はあります。鞠莉の家のベランダに向かって懐中電灯の光を投げるシーン、そして、別れの瞬間にそれをなぞる果南。もうね、ほかのアニメだったらこのエピソードだけで一話作れますよ。ロリ鞠莉が転校してきたくだりとかで一話、結成で一話、すれ違いで一話、別れで一話いけますよ、これ。マリみてなら5巻は費やしてますよ。

果南さんがどんどん陰を帯びていく感じとか、ルビィと同じように「ピギィ」とか言ってた幼かったダイヤさんが老成してジト目になっていく過程とか、もうね、一話に詰め込みすぎなんですよ。むしろスピンオフで1クール使ってラブライブサンシャインゼロ、とかでやってもよかったレベルですよ。

第9話は情報量が多すぎて一回見ただけじゃ大抵の人間は色んな情報と色んな感情を整理しきれずにパニックに陥ったはずですが、その分、文脈を読め、という制作側からの薄高本ブーストも感じます。作中に語られていないことはお前らで想像していいんだぞ、みたいな。ありがてぇ。

 

友達の本当にやりたい事がわからずに一方通行な優しさを押し付けて、帰ってきた鞠莉にも冷たく当たってしまった果南。

二人の気持ちをわかっていながら、どちらにも手を差し伸べられなかったダイヤ。

そして、二人の本当の想いに気付けずにいた鞠莉。 

三人の優しさと、女子高生らしい幼さが綯交ぜになって心を打たれます。自分のやりたい事にことりを巻き込む、というのが穂乃果の周りを巻き込める強さであり、幼馴染に甘えてしまう弱さであったように、この三年生組も強さと弱さがあって本当に素晴らしいです。三人がそれぞれの幼かった罪を笑いながら、こんなこともあったね、と懐かしみながら「未熟DREAMER」をリライトして、歌っているとしたら涙を禁じ得ないですよ、私は。

 

あとまぁ避けて通れないのですが、挿入歌が素晴らしすぎた。歌も、衣装も、構成も、振り付けも文句の付けどころがなかった。三年生組の作画の気合の入り方が違った。

まず歌。これまでなかったような重厚なストリングスを効かせたサウンド、抑え気味の歌唱。先代Aqoursの制服モチーフ衣装から現在のAqoursへ変化する演出。「心迷子になる」「すれ違って」「気持ちが止まらなくて」のとこの三人固有の振り付け。

そしてまさかCメロをやると思ってなかった意外さに心を衝かれ、三年生が「やっと一つになれそうな僕たちだから」の後に腕を突き上げるシーン、何回見てもぐっときてしまいます。そのあと、下級生が前に出てきて、「本音ぶつけあうことからはじめよう」の流れが美しすぎて、自分の感情を全く制御できずもうどうにかなってしまいそうです。

 

先代三人の未完成の曲が後輩六人の力でようやく披露できて三人の時間が動き始めた、ということと 、後輩六人の作ったグループに最後のピースである三人が入った、という相互補完によってAqoursの「未熟DREAMER」が完成した、というのがこの回の意味なわけです。

 

見たのが日曜の夜だったんですが、毎日ライブのシーンを繰り返し見ています。中毒性が強いですね。この回は。

全体通してそうなんですが、新人の声優さんが多いですよね。でもそれが今回の泣きのシーンで、ある意味紋切り型に「上手い演技」でなくてよかったように思います。普段泣きそうもない二人が、普段言わないようなことを言う時のたどたどしさが出ているような気がして個人的にはいいなぁ、と思いました。

 

9話を見て以降、「青空Jumping Heart」のCメロの鞠莉さんパート聞くとちょっと涙が出そうになるので通勤中とかに聞けなくて困っています。ていうか挿入歌シングルの発売日遠すぎるよ!早くフルで聞かせてよ!

 

ここまで書いて6,000文字オーバー。特に無理して書いたつもりはないんですが、これもこの作品の持つ魅力で話が尽きることがないってことでしょうかね。

 

今日の夜はこれまでの流れから行けばコミカルな回になると思いますが、「先輩禁止!」とか「ワンダーゾーン」みたいな回だといいですね。