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目を見ればわかるなんて

27歳社会人のブログ。

関ジャニ’s エイターテインメントに行って、ジャニーズについて思った事

一週間ほど前になりますが、関ジャニ∞のコンサートに東京ドームへ行ってきました。

 

両隣が強火大倉担だったので一瞬怖かったですが、ラストのくだりで手をつないでくれたので安心しました。エイターはとても暖かかったです。

 

オープニング映像として七人がヤクザに扮した映像が流れました。『NOROSHI』がタイアップしているヤクザ映画をイメージしたものですね。『アウトレイジ』みたいな、アウトローな男たちの危険さをプンプンさせるスタイリッシュな映像でとてもかっこよかったです。

 

歓喜に沸く周囲のなか、私はSMAPの『Fly』のPVを思い出しました。和洋の違いはありますが、私個人としてはSMAPの後継グループは関ジャニだと思っているので、もしかしたらあと数日で解散する先輩に向けたオマージュなのかな、と思って感慨深いものがありました。

 

関ジャニのコンサートはいろんな要素のごった煮です。アイドル的な極めてスタンダードな曲もあれば、エイトレンジャーのコントもやり、メインステージでバンドもやり、アコギでアコースティックもやる。 曲調もギンギンなロック調のものもあれば、シンメを強調したダンサブルなナンバー、コンサート向けのノリノリな曲もあったり、バカな歌詞のコミカルな曲もあってバラエティ豊かです。KINGさんの出演もありましてほんと飽きさせない構成でした。

こういうシリアスな所とふざけてる所のギャップが非常にいいです。

 

あと東京初日で東京ディスりまくった曲を歌うのがマジロックでかっこよかったです。

 

〇ジャニーズでバンドをやる、という事 

関ジャニのステージの特徴として、先ほど述べたようにいくつかの構成で分かれている点が挙げられます。毎回恒例となっているのはエイトレンジャーとバンド形式ですね。

 

色んな所でジャニーズで楽器やるのはTOKIOから、とかバンド形式は関ジャニが本格的にやり始めた、とかバラバラな事が言われていますが、事実だけ述べますとジャニーズでグループとしてバンドをやるのは数十年前から伝統的にあります。

 

もちろん私もハイソサエティーの派生バンドやギャングスやANKH、よっちゃんのやっていたTHE GOOD-BYEあたりの数十年前の話になるとCDも入手困難で詳しくは知りませんし、バックバンドをやってる人たちもたくさんいますが、平成生まれの私には時代性含めて詳らかにはわかりません。

 

こういった過去に不勉強な点を承知の上、私の知っている範囲で関ジャニ以前でバンドと言われて思い浮かぶのは男闘呼組です。もちろん、デビューは上記の方々のずーっと後です。

男闘呼組(’88~93)は四人組のバンドで、「ジャニーズの落ちこぼれ」を自称していたちょっとワルな路線のアイドルです。Jrの中で楽器が好きな人たちが集まって結成したといわれています。

 

昭和と平成の狭間、バブル真っ只中の当時に不良とロックは若者のトレンドでした。この時期に発表された非行や暴走族や校内暴力を描いた作品は枚挙に暇がありません。

 

60年代が学生運動の最盛期であり、70年代は学生運動の失敗とオイルショックによる低成長によりしらけ世代と呼ばれ、80年代にはネアカ(⇔ネクラの対義語)とツッパリが生まれました。

基本的に若者の行動や性向は自分より上の世代における失敗を批判する形で決定づけられていきます。以前『ビーバップハイスクール』のレビューを書きましたが、あの作品にもあるように「筋を通さない」ことや「興味を持たないこと」への反抗が感じられる文化でした。

 

また、ロックバンドというのは『三宅裕司いかすバンド天国』、通称いか天なんかのヒットでかなり一般化した感じもありますが、当時のBOφWYやHOUND DOG、Xなんかが流行っていた時代において、「ロックをやる」ということは反体制の象徴だったのです。

 

この辺りは阿久悠さんの著書に詳しいですが、今や高齢者しか聞いてない印象のある「演歌」だって自由民権運動によって生まれた「演説歌」の略だし、非行少年の代名詞であったエレキに端を発するグループサウンズだって、テレビ出演を拒んでいた初期のフォークソングだって、すべて出始めた頃は不良や反体制の象徴であり、何らかの哲学性や主義主張を持って出てきていたわけです。

それが売れることで一般化して、元々の意味が陳腐化してしまった先に世代を超えた流行として残るわけですね。

 

つまり、バブル最盛期の日本において、型にはまらずに社会の管理の外に逃げたはみ出し者が不良となって、反体制のアジを飛ばすための表現方法としてロックを使っていたわけですね。

 

特に、男闘呼組の『不良』という曲は当時の不良を取り巻く環境を歌い上げた名バラードです。

不良というだけで陰口や噂で排除される日々を「死に物狂い」で生きる少年が、街を出ていきたいと思い、自分と一緒にいるだけで同じような偏見を持たれる彼女への申し訳なさと、彼女を連れて逃げるような勇気もないことを後悔する、そういう歌詞です。

 

「若さは 言い訳の 

 繰り返しだったのかと Oh…

 悲しい程…ちっぽけな

 自分がただ 悔しかった」

 

という二番サビを聞くと当時の管理社会ではみ出してしまったツッパリが抱えた悲しさや、もう戻れない不可逆性のようなものが胸に染み入ってくるようで泣けます。成田くんの切ない歌声も素晴らしいです。

 

関ジャニ∞は不良グループという売り出し方をしているわけではありませんが、岡本健一くんに師事していた木村くん擁するSMAPが解散し、当時男闘呼組の後継と言われていたTOKIO兄さんが農業アイドルになってしまった今、系譜的には関ジャニかな、と思います。順当にいけばKAT-TUNがあの路線だったのですが、トンがった人はみんな辞めてしまいましてタメ旅以降は充電期間に入ってしまい、もうそっちの路線には戻れなさそうです。亀梨くんの良い人オーラがすごすぎてびっくりします。

男闘呼組SMAPKAT-TUNもそうですが、素行の悪い人はジャニーズから出てっちゃうし、出されちゃうんですよね。事務所はもう少し寛容になってほしいです。

 

〇同世代性について

 昔You&Jというファンクラブがありました。NEWS、関ジャニ∞KAT-TUNの3グループの合同ファンクラブで、錦戸亮くんと内博貴くんが兼務していたりしたため、この3つは個別のファンクラブが無かったのです。その後、山下くんと錦戸くんの脱退に伴って解体されます。

 

この3グループはバランスが取れていたように思います。

初代ジャニーズから少年隊、光GENJIの伝統を受け継ぐ白馬の王子様イメージの正統派・夢を与える王道アイドルのNEWS。

関西密着アイドルとして関西ジャニーズからデビューする道を切り開き、コミックバンドからコントから体を張って何でもやります!枠のSMAP後継の関ジャニ∞

ちょい悪めの兄ちゃんだったマッチを先鞭として、硬派でゴリゴリな男闘呼組を経て、EXILEに対抗する路線のスタイリッシュ不良グループであったKAT-TUN

今までのジャニーズの先達を網羅するかのようなカテゴリ分け、住み分けです。

特にKAT-TUNファンは当時のジャニーズファンには珍しい層が多くいたように記憶しています。赤西仁くんが渡米した時に教室で泣いていた同級生は、ちょっとワルめの派閥の女の子でした。

 

この3グループはJr.過多の時代を生き抜きデビューを果たすも、不祥事が多かったり、脱退者が多かったりして所属していたメンバーが半分くらいになったりしました。NEWSは手越くんみたいに割と入所間もないメンバーもいましたが。

NEWS、関ジャニKAT-TUNのそれぞれのファンがいろいろな葛藤があり、それを乗り越えてファンを続けてきました。ここに纏わる物語性の話はまた今度したいと思います。

 

さて、この3グループに嵐とタキツバやソロ組を加えた辺りの世代は、ジャニーズJr.人気が非常に高まっていて知名度も高まり、黄金期と呼ばれた世代です。『愛LOVEジュニア』や『8時だJ』なんかはゴールデンでやってたので見たことある人も多いのではないでしょうか。

 

この時期は決定的にジャニーズの世代交代が進まなくなった時代です。

それまでのジャニーズはどれだけ人気があったグループでも、数年経てばセールスが振るわなくなり、20代半ばで解散するのが普通でした。

男性アイドルのトップに上りつめていたたのきんだってシブがき隊だって光GENJIだって解散しました。上がなんやかんやで俳優になったりソロに移行して、自動的に下のグループがせり上がってきて、というのが新陳代謝に繋がっていたのです。少年隊は解散していませんが、90年代中ごろにはアイドル売りは控えて舞台に移行し、後続に道を譲っています。(もっとも、当時は色々あったような噂もありますが…。)

 

前述のとおり、この世代交代を堰き止めたグループがありました。ご存じ解散するSMAPです。

SMAPは遅咲きでデビューから時間が経った90年代中盤頃から爆発的に売れ始め、2016年に解散するまで、あらゆるジャンルで活躍し続けるようになったのです。要するに、これまでのビジネスモデルがまずデビュー近辺でバカ売れしてその後何年続けられるか、みたいな感じだったのに、尻上がりに伸ばしていく手法で売れたわけですね。この一年でかなり知名度の上がったI女史の功績ですね。

 

その結果何が起こったか。本来ならデビュー出来る年代のJr.がデビューできなくなったのです。

数年で新陳代謝することを見越して少年たちをデビューさせていくのがジャニーズの売り方でした。少年御三家SMAPの成功によりJr.に入る子の数も爆発的に増えましたが、上がいなくならないのでつっかえてしまったのです。ただでさえ少年御三家の時代に下の世代が出てこれなくてSMAPTOKIOもV6もデビューが遅れました。たくさんのグループを同時にマネジメントできるほど、昔は業界にジャニ枠が多くなかったのですね。

これは吉本のNSCと構造が似ています。上が売れてしまった事の功罪で、後追いが増えるも、上の世代が君臨している限りデビューやら売り込みが後回しになってしまうわけです。

 

だからこそ、当時のJrは黄金期と言われていました。本来デビューしてもおかしくない人気の子がいっぱいいたわけですから、Jr.の冠番組がゴールデンに放送されていたのも頷けるくらい、多彩なメンバーがいました。

しかし、Jr.として人気が出ているからこそJr.のショービジネスもかなりデカくなってしまい、勢いを保持するためにデビュー出来ないというジレンマもありました。

 

そして、一番人気のある時期にデビューしなかったから伸び悩んだ面もありました。どうしても、Jr.の人気を考えて遅らせていた結果、売り時を逃してしまっていたんですね。

Jrが好きな人はJr全体を見ていますから、絶えず下の世代をチェックしますし、後ろにはすでに4TOPSやらKAT-TUN、KKKityやらJJExpressやら次世代が控えていました。この辺からJr.事情が複雑化していき、色んなユニットが出ては消えたり脱退したり、辞めジュという言葉がネットで一般化したりしました。ユニット乱立に加えて兼務メンバーも多く、かなり熱心なファン以外はJr.を把握することが難しくなってきます。

 

なお、同世代の中でいち早く90年代でデビューしたのは嵐です。

今でこそ嵐は他の追随を許さない大人気グループですが、当時のジュニアの中で一番人気グループだったのはタッキーや今井翼くん、小原裕貴くん辺りで、ちょっと後ろに相葉くんや斗真くん、松本くんや二宮くんがいるようなイメージでした。関西は横山くん、すばるくん、村上くんの三人が安定していました。タキツバはジュニア人気の根幹を成す存在だったので大人の事情によりデビューはかなり後になります。

2015-16のカウコンでたきすばが一夜限りの復活をしたとき、平均年齢30代前半ぐらいの色んな人が絶叫して発狂して号泣したのはこの時代を生きた証なのです。Jr.黄金期を知る人間として、あの二人が歌う『明日に向かって』は特別な意味を持ってるわけです。

 

この後、嵐はなかなかブレイクしませんでしたが、そのあたりは『嵐 ブレイク前夜』に詳しいのでところどころの信憑性はさておき、そちらをご覧ください。

 

ちなみに昔、SMAPのバックダンサーがまだJr.だった頃に、めちゃイケの企画で岡村がSMAPのコンサートに出演する、という回で当時のJr.が出た時もタキツバや関ジャニの年長三人が出てました。

 

どこに肩入れするわけでもない一般人の立場で言わせていただくと、嵐のブレイクは『花より男子』からだと思っています。が、『ごくせん』でマツジュンが注目されていたことは確かです。ごく出は永遠の新規などと言われるのもわかります。わかりやすいですから。ただ、あの時は主題歌が先輩のV6だった。楽曲面でのヒットはもう一つ足りなかった。嵐としてのムーブメントに繋がらなかった。

 

ジャニーズのグループはデビュー曲、ないしデビューして一年以内の曲が一番知名度が高い、というようなパターンが多いです。特殊な売れ方をしたSMAPは別にして、嵐も当時は『A・RA・SHI』が最も知名度が高かったといえるでしょう。ジャニーズが何組も出る歌番組で歌われる曲がいつまでもデビュー曲というのは、ファンとして寂しい気持ちもあります。

 

ただ、これはジャニーズの独特の売り出しの構造があって、ジュニアで結成したユニットをなかなかデビューさせず、テレビや先輩のコンサートなどで露出を増やしまくって名前を売り、焦らしまくったうえでCDデビューさせる、という手法によるものです。

 

当時鳴り物入りでデビューしたKinki kidsなんかは特にそうですが、かなり周到な準備をしたうえでCDを発売しました。これはかなり成功して、二人はすでに高い知名度と人気を持っていて、二人ともドラマにガンガン出てたし、SMAPの番組にもよく出てたし、実質冠番組の『LOVE LOVEあいしてる』も持ってました。これによってジャニーズとして他に類を見ない程の数のミリオンを飛ばすことになります。

このほか、既にトップスター級の人を主軸にして実力者や新人で固めて世に出すNEWS山下くんや中山優馬くんのような方式もありますね。

 

こうしてデビューにこぎつけると、楽曲も相当力を入れたものを用意するし、大体の場合はグループを代表する一曲になります。だからこそ、デビュー直後の最も注目されている時期を過ぎた後でもう一度大きな波を起こせるかどうかが勝負なわけですね。

 

売上枚数は90年代のCDバブルの時代とそれ以後でちょっと事情が異なりますので何とも言えないですが、嵐は個々の役者としての活動はさておいて、『WISH』『LOVE SO SWEET』の二作で色々な壁を破り、楽曲面においても再度ブレイクを果たします。

 

嵐がもがき苦しみ再ブレイクを果たした時期の2004年に、関ジャニ∞は『浪速いろは節』でCDデビューします。関ジュ出身はみんな関西要素が入ったグループ名ですね。

当初は大倉くんは和太鼓を叩いていたし、すばるくんはこぶしを入れた演歌を歌ったりしていましたが、当時から『大阪ロマネスク』みたいな『雨の御堂筋』を彷彿とするご当地ソングの名曲があったり、関西弁満載の曲があったり、かと思えば『Heavenly phyco』みたいな文句なしの名ポップスがあったりとかなり初期から音楽性の面でもいろいろやってたグループです。それだけ制約が少なかったのでしょう。

 

デビューまでが長かったり、デビュー後に売れなかったり、不祥事による脱退があったり、下からの突き上げに負けてフェードアウトしたりと順風満帆に進んでるグループはあまりいないジャニーズですが、関ジャニも御多分に漏れず苦労しています。でも、彼らはそんな姿は見せません。苦労の押し売りもしないし、あくまで「明るい」「オモロい」というパブリックイメージを前面に押し出します。これは正直、「アイドルだなぁ~」と思うわけですね。

 

とまぁ、関ジャニ∞と直接関係ない部分もありましたが、コンサートを見て、いろいろと思うところがあり6,700字も書いてしまいました。

私は事務所担的な立ち位置なので、今後も事務所の歴史について調べていきたいと思っています。