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目を見ればわかるなんて

27歳社会人のブログ。

僕らタイムフライヤー(君の名は。感想)

新海誠 感想

【当記事は『君の名は。』および新海誠作品の核心に触れる内容を含みます】

 

先日『君の名は。』を見てまいりました。新海誠作品は久々の視聴になりました。

新宿や渋谷は混んでいたので都心を外れたシネコンに行ったのですが、いざ座ってみると右に座ってるのが金髪のカズレーザーみたいな兄ちゃん、左に座ってるのがグレート義太夫みたいなおっさんで両サイドの肘置きは占領されて足も広げられて窮屈、ジュースも置けず、これはハズレ席引いたかな…と思ってましたが、終盤二人ともすすり泣いていたのでまぁいいか、と許しの心になりました。

 

さて、ここで私の記憶の整理も兼ねて簡単にこれまでの作品を振り返ってみます。

 

第一作『ほしのこえ』(2002年)

ウラシマ効果セカイ系ですね。

新海誠が監督・脚本・作画から声優までほぼすべて一人で行ったことで有名です。

初期の新海誠は00年台前半に流行したエヴァのフォロワー群、つまり「セカイ系」の作品を作っていて、『イリヤの空、UFOの夏』、『最終兵器彼女』などと一緒にセカイ系の代表作として語られることも多いですね。

セカイ系の典型といわれる作品は多くの場合、戦うことで社会から強力な戦力として認められている少女と、その少女に盲目的に愛される主人公、という構造が認められます。語義の定まっていない概念なので諸説ありますが、多くは「キミ(ヒロイン)とボク(主人公)の関係性が世界の終末と直結する物語」という東浩紀の論調におおむね収まる範囲となっています。

つまり、社会に認められている少女に、認められることで存在価値を得る主人公像がセカイ系の構成要素の一つなのですね。承認欲求に飢えていた時代だったのです。

00年代前半は特別な能力を持つ女の子に盲目的に愛されるダメ主人公、みたいな類型の物語が食傷気味になるほどに流行しました。ダメ主人公は大体が平凡な出自だけど口八丁で立ち回ったり、危なくなったらヒロインが助けてくれたり、という感じですね。

ちょっと前にはヒロインを通り越して物語全体から盲目的に承認されるいわゆる俺TUEEE系も流行しましたね。

少し脱線しました。このほか、新海監督の後の作品にも通じている「好き合っているのに自分たちでは変えられない外的要因により結ばれない二人」という主題や、全体的に漂うダウントーン雰囲気などはセカイ系を出自に持つからと言えなくもないと思います。

 

第二作『雲のむこう、約束の場所』(2004年)

日本が南北に分断された世界の青森を舞台として、やや冴えない主人公の藤沢とモテる親友の白川、憧れの女の子の沢渡さんがカントリーな高校生活を送りながら仲良くなり、ある約束を交わす。その後、アメリカの統治軍との軍事衝突により時が流れ、三人がバラバラになり、けれどもまた戦いの歴史の中で繋がりあって、あの日の約束が…という話。

作品自体はいまだセカイ系の文脈にありますが、前作よりはストーリーに監督の独自性が見られます。個人的にはエヴァ感が強くなっている印象です。

前作もそうなのですが、90年代頃のトレンドで戦時下の少年少女たちを描く作品が数多くありました。大塚英志先生なんかに言わせれば「「戦争を知らない子供」と呼ばれた世代が、「架空の」戦時下にある生活を目一杯「想像した」作品」とでも言いましょうか。敗戦に打ちのめされた世代でもないし、極度の反省主義にも染められてない世代が戦争を描き始めたというんですかね。

まぁなんにせよ、日常パートの平和さが戦争によって切り裂かれ、もう戻ってこないような感じは朝ドラなんかと近しい気がします。新海誠監督の作品には「自分たちでどうにもできない外的要因によって引き裂かれる二人」というのも作中でそこそこ出てくるテーマの一つなのですが、戦争っていうのはその最たるものですよね。前述の朝ドラでも、幼馴染の本命最有力候補が出征して引き裂かれる、みたいなの多いですもんね。

この辺までは新海監督は明確に過去作のフォロワーとして作品を作っていたように思います。

 

第三作『秒速5センチメートル』(2007年)

たぶん『君の名は。』以前は一番知名度が高かったことでしょう。この辺りから映像美と青春の甘酸っぱさ成分の濃度が非常に上がってきます。エッセンス程度だった監督の実体験っぽいエピソードがふんだんに盛り込まれてくるようになり、作風を確立した感があります。

この作品は三章立てとなっていて、中学生、高校生、社会人という時間を用いた縦軸と東京、栃木、鹿児島、ふたたび東京という地理的な横軸を使って話が進みます。時間の流れは無常だな、と思わせる作品です。振分髪の筒井筒のジュブナイルから分別のある大人になっていく一連の流れを描いて、不可逆で不可塑な状態を最後に持ってくることで喪失感を心に浮かび上がらせる名作だと思います。

作画のクオリティもここから死ぬほど上がります。この作品から新海誠に入ってしまうと、昔のアニメを見ない一般人であれば前二作は作画がしょっぱすぎて見れないかもしれないです。このころがちょうどセル画からデジタルへ完全に転換した時期でもありました。

ストーリー的にも視聴者にリテラシーを要求するSF要素を極力排して、一般向けに急激に舵を切ったともいえるでしょう。観客目線では予備知識がいらないのでとっつきやすくなったともいえます。

実際には「時間と距離と想いの無常さ」を描いていると言えるので『ほしのこえ』と同じことを描いていると言えなくもないのですが、題材の取り方一つでここまで作品が変わるんだな、と思いました。

確かにウラシマ効果とか言われても、普通の人は意味わからないですもんね。あれは庵野秀明がデビュー作『トップをねらえ!』でウラシマ効果を使ったオマージュだと思っています。

ちなみに私が大学に入った頃にこの映画がニコニコ動画の黎明期ともガッツリかぶって山崎まさよしと共に相当流行っていて、こんな高校生活は送ってない、死にたい、という旨の事をしきりに大学で言っていた気がするし、クラナドが流行った時も同じ事を言っていた気がします。

 

その後私は2011年に大学を卒業して社会人となり、引っ越しや研修でアニメを見る暇がなくなりカルチャー方面から離れていたため、ちょうど春頃に上映されていた第四作『星を追う子ども』(2011年)は未視聴です。再びアニメを見るようになったのは社会人になって2年くらい経ってからです。

 

第五作『言の葉の庭』(2013年)

新宿御苑を舞台にした恋愛映画。

舞台は新宿と中央・総武線沿線で、主人公が雨の日に出会う年上の女性との交流を描いた作品です。漫画家の楓牙先生の『教師と生徒と』とかとも通ずるところがありますが、「少年の大人の女性への甘酸っぱい恋心」は近年の作品ではダウントレンドなのでこの題材は意外でした。意外だけども、新海作品のヒロインとしては年上の方が合うような気もします。

この作品を見た時に、ちょっと今までの新海誠と違うな、と思ったのは終盤に主人公が感情を相手にぶつけて泣いたんですよね。子供っぽい逆上ではあったんですが、自分の想いを爆発させることはこれまでの達観した主人公像からは考えられませんでした。

一回りくらい上の相手だから素直に本音を言えた、ということなのかわからないですが、意外だったんですよね。新海誠の軸っていうのが、「言いたいことを言えなかった後悔」にあると思ってたので。

個人的にこの作品は結構好きで、どう考えても監督の過去の女との思い出のアイテムであろうDIANAの靴を何度も出してくるところとか、靴のフィッティングをするシーンの足を触る描写の丹念さとか、個人的な趣味やフェチズムをふんだんに詰め込んだ新海誠私小説を、物語としての体裁を整えて世に出した純文学だと思ったんですよ。短歌を使ったりするのも憎いですね。執拗に雨や水や滴を描くのも何か偏執的なものを感じました。

こういう「核心に触れたら壊れてしまいそうな関係」って結構あるじゃないですか。本当は会える事を期待してるし、もっと相手の事を知りたいんだけど、口に出したらダメになっちゃいそうっていうか。

ユキノさんはトラブルの渦中で信じられる人もおらず立ち止まっており、主人公も複雑な家庭環境にある。二人ともあの場所に救われているんだけれども、相手の境遇には気づいていない。そういうのがいいですよね。

 

で、『君の名は。』を見たわけです。見たあとに新海誠作品が好きな友人にすぐラインを送ったのですが、

 

rosehana「新海に何があったの、こんな話書く人じゃないでしょ」

友人「ほんとそれ」

rosehana「ウジウジした高学歴童貞の恨み節みたいなの見てだんだんつらくなってくるのが新海じゃないの」

友人「主人公が身を持ち崩すラストを想定してたし、たぶん望んでた」

rosehana「正直、今までの新海なら少なくとも最後のシーンなくて、四谷からドコモタワー見つめて君の名前は…で終わってたよね」

友人「歩道橋ですれ違えただけでも救済しすぎた感があった」

 

などと宣っており、新海誠の支持層に重度のバッドエンド中毒患者がいることを感じさせました。

 

写実的な景色だとか、やたらに空を見上げる主人公、「空」に必要以上に物語的な意味を持たせる点、物語の根幹をなす割に現象として以上の説明の無いSF要素、すれ違いの切なさとか描くのは昔から変わってないですが、ちょっと救いの要素が強くなりすぎじゃないかな、というのは私も感じたところです。

 

物語的には大林宣彦の『転校生(原作は「俺があいつであいつが俺で」)』とか『とりかえばや物語』とかを下敷きにした物語で、思春期の男女の入れ替わり、すなわち性転換モノなんだけど、そこにループ要素を加えた意欲作でした。

たくさん詰め込んでいるのに、説明不足になり過ぎず、中編映画の割に中だるみもせず面白かったんです。

 

私の話をさせていただくと、去年から東京に転勤してきて、職場の近くや新宿の風景がわかるようになったのが良かった。もちろんこれまでの作品でも東京の街並みは出ていたんだけども、新宿を見て新宿だとわかって、ドコモタワーや総武線、四谷の駅の外の様子がわかることってこの作品を見るうえでとても大きいですよね。

 

ほしのこえ』から始まって、モテて言い寄ってきた女はそれなりに相手するけど、本命の女がいて、その子とは添い遂げられなくて、ああでもないこうでもないってウジウジしてタイミング逃してしまって、もう取り返しがつかなくなってしまった、悲しいですね、みたいな青春を謳歌できなかった童貞の妄想を限りなく美化したようなストーリーが基本線だったわけです。

大人になってから振り返っているような、すれ違ったタイミングからかなり時が経っている時点での描写があるのが基本なんですね。達観しているような態度を取りながらも、実は後悔の念が強くて、人知れず思い出の風景を見つめて涙する、そんなようなイメージで来ていました。それが『言の葉の庭』からやや変容してきていました。

 

空を基調とした写実的な絵があって、感動を煽る音楽があって、秒速以後はイメージビデオだとかPVだとか揶揄されたりはしましたが、それはそれで煽情的になっていて、感傷に浸るのに効果的でした。そう、どこまでも感傷的な物語だったのです。主人公の傷心旅行に付き合っているような、そんな物語が新海誠っぽさだと思っていたのです。

それがここまで爽やかに舵を切ってくるとは思ってなかったのでかつての新海誠を知る人たちはびっくりしたのです。誰だよって。

 

しかしまぁ、エンターテイメントとして非常にわかりやすく、かといって子供騙しにならず、面白い作品でした。

面白いな、と思ったのは性転換モノは「性差」とか「少年の性欲」との向き合い方が焦点になることが多くて(『転校生』でも小林聡美が胸を晒していました、時代が時代とはいえ恐ろしいですね。)、ちょっとエロの要素が見え隠れしてしまうわけですが、この作品はそこをうまく回避しています。トイレに行った後の部分と胸を揉むシーンくらいですね。高校生の男女であれば実際にはもっと色々あるはずなんですが、その辺はうまく誤魔化しています。

 

これが新海誠の仕込んだフックの一つで、中盤で一つ目のループ構造(一回目の「君の名前は!」ですね)を明かし、そこからは糸守村の辿る運命とご神体を用いた二つ目のループ構造(糸守村を救うためにどうするか、というシーンですね)を明かして全体を通してハイテンションの物語を作り上げているわけです。息つく間もなく話が進むテンポの良さはさすがです。

口噛酒を躊躇なく飲み干す瀧くんは素なんですかね。飲み干すの見て変な笑いが出て色々ハラハラしました。

 

にしても上手い作りの作品ですよね。

昭和の原風景を残している田舎から、スマホを操作してるから舞台は現代だなって思わせておいて、実は3年のタイムラグがあるとか、「君の名前は」というキーワードを中盤と最後のシーンで二回使って、それぞれ意味が違っていることとか、何気にユキちゃん先生が出てる所とか、ある意味で新海誠の持つ「時系列性」「過去への悔恨」「主人公達は学校生活ではモブ」というようなエッセンスは残しているところとか。細かいことは縁起が大火で焼失してるからわからん、みたいなとことか。

 

パンフには新海監督のインタビューが寄せられています。

 

秒速5センチメートル』という作品を作って、ある程度の評価や支持もいただいたんですが、自分の思いとはずいぶん違う伝わり方になってしまったという感覚があったんです。自分ではハッピーエンド/バッドエンドという考え方をしたことはなかったんですが、『秒速~』は多くのお客さんにバッドエンドの物語と捉えられてしまったところがあって。それだけに多くの方に響いたという面はあったし、作品の受け止め方はもちろんお客さんの自由だけれど、少なくとも僕としてはバッドエンドを描いたつもりはなかったんです。

 

要するに、新海監督曰く『秒速~』のラストは過去の思い出はそれはそれとして終わりを告げて、今これからを生きていこう 、という前向きな物語だというわけですね。それをデフォルメすると『言の葉の庭』のラスト的な、さっぱりとどちらもそれぞれの道を歩もう、というラストにつながるわけです。そんな風には思えない人にはバッドエンドの物語として全国津々浦々の飲み屋で口伝されてきたわけです。

 

この辺は難しいところですよね。私も過去に好きだった人もいたし、付き合った人もいたし、別々の道を歩んで今何しているのか全く知らない人もいます。それは、もう全く興味がなくなったからどうでもいいという場合もあるし、別れの形が辛すぎたから諸々の未熟だった自分も含めて思い出したくないという場合もあります。

どちらにとっても前向きな別れというのは難しいです。未来永劫、あの時別の選択肢を取っていれば…という悔いを背負って生きたり、誰かの存在を心にシミのように残して生きていくのは辛いことです。

 

 新海誠を支持するボリュームゾーンは「恋愛経験が無い訳ではないけども、青春時代に悔いが残っている人」だと思っていて、一度もモテたことがない、というような層よりも多少は女友達もいて、それなりに付き合った事もあるけどもどこかでこじらせてしまった層のように思います。だからこそ、スクールカースト上位層には響かないだろうな、とも思うし、新海誠私小説的な文脈を読み取れないと思うんです。

自分の事を知っている人がいない土地で暮らそうが、恋人が出来ようが、セックスをしようが、ふとした瞬間に鬱々とした思いで過ごした青春時代の感覚に囚われてしまう瞬間が存在する人にとっては、新海作品というのは劇薬なのです。今の幸せが、過去の後悔や傷を消せるわけではない、ということを突き付けられるからです。

見ていて辛くなってくるのは、新海誠の人生の後悔とかやり遂げられなかった想いを追体験させられるからなんだと思うのです。この辺は村上春樹を読んでオサレなフリーセックス、春樹のリア充っぷりを追体験させられて胸やけしてくる感じとベクトルは逆ですけど同じような感じに思います。

 

また、田舎と都会の描写もいいですよね。

ジブリの『海がきこえる』なんかにも言えることですが、田舎の牧歌的な風景と、それに付随する土着性、狭いコミュニティでの生きづらさと、都会的な街並みや人が多いけれどもその分無関心でいてくれる部分の対比は、どちらも経験した身からしても趣深いです。

 

ちょっと『君の名は。』の話から逸れてしまいました。

私は新海誠私小説シリーズは『秒速5センチメートル』で青春の恨み節としての一つの到達点に達し、『言の葉の庭』で少年の甘酸っぱい夏の日の思い出としての完成形を得たと思っていましたが、こうして強くエンターテイメント性を前面に押し出した作品を世に出してくるとは思ってもいませんでした。

どちらかというと、赤裸々な私小説を描いてそれがニッチな意味で評価される、という感じで行くものと思ってました。だから単館上映の『秒速~』が口コミで流行っていったわけだし、何回も見に行く作品になっていったんだと思います。

 

それが、新海誠の新作がぶっちぎりで国内興行収入1位を取る、なんて(しかも3位が庵野が監督したゴジラなんて)。メディアでこんなに取り上げられるような作品になるなんて。ネットはアニメとの親和性が高いので驚かないですが、テレビで取り上げられるとは思っていませんでした。

興行収入が100億円を超えるようなオリジナルアニメが宮崎駿作品以外で出たということだけでもビックリするのに、それがまさかの新海誠っていうのは、これまで作品を追ってきた人たちにとって驚愕の事実だったのではないでしょうか。セールスはそこそこで世間の話題になったりはしないけれど、アニメを見ている層からは評価を受けて信者が付く、というようなタイプだと思っていたので私もただただ驚いています。

ある意味ジブリとか細田守とかディズニーとか、ああいう世間で評価されてセールスも良いけどアニメ見てる層の間であまり話題にならない作品と対極にある作品で食っていくと思ってたんですけど、口コミやSNSが強い現代において作風に時代が追い付いてきた感じはありますね。

 

君の名は。』ってセカイ系寄りの作品じゃないですか。でもって、セカイ系特有の後味の悪さっていうか、取り返しのつかなさ、みたいな部分を、この作品では回避しているのですよね。かつてセカイ系で世に出た、まさにセカイ系フォロワーであるところの新海誠が、こうやってセカイ系にケリを付けた、というのは評価してもいいんじゃないかと思うんですよね。

 

あと語ることがあるとすればRADWIMPSですね。

私がRADWIMPSを初めて聞いたのは高校生の頃ですが、BUMPのフォロワー的な立ち位置だったように思います。私は受験生でした。ある日TSUTAYAで、

「誰も端っこで泣かないようにと 君は地球を丸くしたんだろう? 

 だから君に会えないと僕は 隅っこを探して泣く 泣く」

というフレーズ(『有心論』です)を聞いてCDを急いで借りたのを覚えています。当時もう期待の若手としてそこそこ売り出されていました。

あれからもう10年くらい経ってるんですよね。そりゃ年も取るわけだ。

 

今回の大ヒットが新海誠監督の今後の作風にどう影響を与えるのかいちファンとして楽しみに思います。この線で行ってもいいと思いますが、エンタテイメントに媚びない作品ももう一度くらい見てみたいというのが本音ですかね。