目を見ればわかるなんて

27歳社会人のブログ。

少年漫画の王道とは?(僕のヒーローアカデミア感想)

少年漫画の話をする。

 

幼稚園か小学校低学年くらいの頃に初めて買った(買ってもらった)漫画は『金田一少年の事件簿』でした。

父親はマガジンとチャンピオンを買っていて、当時はマガジンが発行部数でジャンプを抜いた時期でした。いわゆるマガジン黄金期と、ジャンプ暗黒期というやつですね。

 

金田一のほかにも、サイコメトラーEIJI、カメレオン、はじめの一歩、BOYS BE…、Let'sぬぷぬぷっ、中華一番、コータローまかりとおる、DREAMS、哲也、将太の寿司、湘南純愛組→GTOなどなど連載時期が前後するかもしれませんが、私個人としても充実したラインナップでした。MMRも時々やってましたね。

マイナーなとこではストーンバスターとかMAYAとか釣りに行こうよとか人間凶器カツオとか脳みそプルンとかも好きでした。

 

この時代はヤンキー、スポーツ、エログロの三大柱に、料理ものに恋愛ものがあってバランスが良かった時代でした。企画先行型でやってた、いわゆるキバヤシ時代ですね。カメレオンなんかはコマまんまコピーや使いまわしの話が多すぎて子供ながらにこれって大丈夫なのかなって思った記憶があります。

 

その後、『AIが止まらない』をやってた赤松健が『ラブひな』を描き始めて流行ってきたあたりから、スクールランブルや涼風とかウミショーとか入ってきて、萌え絵が多くなった印象です。Jドリームとかシュートとかハーレムビートもそうですが、同人上がりの女性漫画家のスポーツものがそこそこ人気になり、Get BackersとかSAMURAI DEEPER KYOとかバトル物を書き始めたあたりで一気にオタク化が進んだ印象です。

 

金田一とか今読むと講談社新本格ブームに乗っかっただけのような作品で、今見ればいいかげんなトリックも多いんですけど、当時は犯人の名前や殺されたトリックとかもすごく覚えてたし、飛騨からくり屋敷くらいまでのおどろおどろしい雰囲気、怪人の気持ち悪さは新本格っぽさが出ててよかった。新調した後なら雪影村の雰囲気が好きだった。

 

まぁそんな感じで、私も人並みに少年漫画を読んできていて、大学入って社会人何年目かまではジャンプも毎週買って読んでいました。今まで買った漫画で車が確実に買えたくらいには漫画を読んでいます。

 

で、数年ぶりにジャンプ漫画を買ったのが、『僕のヒーローアカデミア』です。

なぜかっていうと、ここ数年変化球な作品ばかり読んでたから、久々に王道バトル物が読みたくなったからです。アニメ化もあって本屋で平積みになってたので気にはなってたんです。

 

これが読んでみるとほんとに面白くて。

まず何よりキャラクターのデザインがいい。出てくる女の子がみんなかわいいし、デザインがゴチャゴチャしてないから絵がすっきりしている。蛙吹ちゃんとか八百万ちゃん、その他脇キャラみんなかわいいってのは奇跡に近い。すごい。

 

あと設定が良いですよね。最近のジャンプで看板だった長期連載って、結局は主人公の血筋が良いっていう作品ばっかだったじゃないですか。Dの意志持ってるルフィ、火影の息子に、一般人かと思えば護廷十三隊の息子だったり。ぬらりひょんの孫もいたし。そうでないものもありましたが、10巻前後で終わったりして。

 

その中で完全な血筋上の無能力者が、物語上の必然性を以て能力を得て、努力によって能力者と戦っていく、というストーリーには王道を踏まえた王道ものというか、メタっぽい目線を持った王道ものの香りがします。

 

血筋全盛の世の中に飛び込んでいく無能力者っていうのが看板漫画へのアンチテーゼな感じもするし、上条さんやお兄様みたいに「それって結局強いんじゃないんですかね…」みたいなのとも違うし、本来的な意味での無能力者がきっかけと努力と根性で成り上がっていくっていうのはスポーツ物のコンセプトを逆輸入したような感じで面白いです。スポーツ物は血筋関係ない作品のが多いですからね。

 

あとメタっぽさの点でいうと、読者が考えそうな進行上のひずみをいち早く作中で言及する感じがいいですね。世論を踏まえて体裁整えて学校運営しなきゃいけない感じとか、「ヒーロー」という職業がファンタジーであることを踏まえつつ、それを現実世界にどう落とし込むかってことをすごく考えて作られてると思うんですね。

 

私も自分で物を書いたり、話を作ったことが拙いながらもあるのでわかるんですけど、自分の頭にあることや設定をすべて物語や文中に落とし込めないから、表層上に出てきている事実だけ見ると矛盾してたり、違和感を感じたりする部分がわからなくなるんですよね。結構ほかの作品では単なる齟齬やミスと伏線がごちゃごちゃでわからないものが多いんですが、この作品ではあまり気にならないような気がします。それぞれの過去くらいで、複雑な謎は用意されていないのもあるかもしれませんが。

 

あと、世論というか世間の反応の仕方が現代にあっているっていうか、ネット時代の悪意の描き方もうまいなぁって思います。ヒーローの叩かれ方や、悪意が悪意を呼ぶ感じとか、善意で行ったことで何か間違いが起こった時に反感を持った人間が悪意で塗りつぶす感じ、それでもヒーローに憧れる生徒たちと、ヒーロー原理主義者たち。なんとなく前時代的なヒーロー系の連中に対して、ヴィラン側はやや近代っぽいアイデンティティの持ち主っていうか。

 

今の世の中は本当に「何が正義なのか」がわからなくなっていて、たとえファンタジーの世界であっても善悪の二元論が成り立つ世の中ではありません。何をやっても叩く人間がいるし、目立てば誰かの悪意に晒される危険がある。

 

そういう世の中で「ヒーロー」を生業としていくことの難しさが描かれていると思うし、会話をするのもギリギリ成り立ってる感じのヴィラン達を見ていると、作中世界の歪みも見えてきます。それはつまり個性の有る無しや強弱で判断される(これはまんま元の意味での個性とも繋がりますね)ことであったり、ステインが言っていたような一方的に悪を裁くことで個性の使用を許された「ヒーロー」自身の歪みであったりするのだと思います。

 

何にせよ、こんなに一冊一冊心躍りながら読んで、最新刊を早く読みたいと感じるのは少年バトル漫画ならではだし、刊行分読み終わってしまって次出るのがまだ先で歯噛みすることができる作品に出合えるのは幸せだなぁ、と思います。

 

オールフォーワン編が終わったらヒーローの中での内ゲバとかありそうだなぁ…。拝金主義のヒーローがヴィランと癒着してて、事件起こさせてるとか。悪役がいなくなったらおまんま食い上げっていうのもヒーローの歪みの一つなんでしょうね。災害救助とかもしてるみたいですが。敵を倒すことに特化した能力の人たちって平和になったらなったで困りそうだもんなぁ。

まぁそんなこと言ってると「敵って、誰だよ」って石田彰が言ってそうな感じしますね。