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目を見ればわかるなんて

27歳社会人のブログ。

SMAPと、カープと、25年という数字。

SMAP ジャニーズ 広島カープ

SMAPカープ、25年。

私にとっての2016年を象徴するものです。

 

まず、SMAP

私の母はSMAPファンでした。母は世代でいえば子供の頃は郷ひろみたのきんトリオ、シブがき隊辺りで育った世代です。それらはほどほどに見ていて、光GENJI男闘呼組、忍者の少年御三家にもハマらなかったけど、SMAPの「がんばりましょう」を聞いてからジャニーズに興味を持ったそうです。

 

三人の子供にお金がかかっていたのでファンクラブに入ったりコンサートに行ったりというのはなかなかできなかったけど、ドラマやバラエティはいつも見ていました。中でも木村くんが好きで、ロングバケーションなんかは私も何回見たかわかりません。

 

もちろん、スマスマも放送開始当初から見ていたし、森君が脱退した時にめざましテレビを見ながら母親と会話したこともよく覚えています。実家を出るまではワッツ(木村くんのやってるラジオ)も時々聞いてたし、朝起きたら母親がSMAP VESTを聞きながら食事の用意をしている光景が当たり前のようにありました。

 

今でこそ、いろんな形のアイドルを見ているけど、私にとってSMAPは最初のアイドルだったんです。原点なんです。

歌もダンスも下手とかってジュリーさんが言ってたような記事が文春で出てましたが、それが魅力じゃないですか。何を言ってるんですか。バラバラなんだけど一人一人の個性が生きてるダンスがいいんじゃないですか。

 

何やってもキムタクって言われながらも、そう言われるだけの圧倒的な立ち位置を築いて、検事とかパイロットとか美容師とか色んなモテる役柄やってきたけど、やっぱりロンバケでのパッとしないピアニスト役の木村くんが好きです。

 

自分を殺した笑いに徹してバラエティ班を貫いて、巨人ファンってキャラから解説やれるようになって、立ち回りのうまさから司会者をやれるまでになって、アイドルが番組の添え物じゃなくて仕切るっていう道を築いた中居くんが好きです。

 

クールな役柄ばっかやってるけど、自分の好きな事を喋ってる時はイキイキしてて、音程怪しいダンスも怪しい、絶叫物は苦手、スマスマのコントではおどけて笑いを取りに行ける稲垣くんが好きです。

 

おっとりしてていじられキャラだけど、一つの事に打ち込めるひたむきさは4人からも本当に一目置かれてて、役者としては人が変わったように鬼気迫る演技ができる草彅くんが好きです。

 

最年少だからこそ4人の懐に入っていけて、変なテンションとか役柄でも気合でがんばってバラエティ班で誰よりも体を張ったネタをやって、絵も描けるしコンサートの構成までできるセンスがある香取くんが好きです。

 

そして、『しようよ』の2TOP背中合わせハイタッチのシーンが好きです。

就活をしていた頃『君は君だよ』に何度も励まされました。

社会人になって『オリジナルスマイル』の「山ほどむかつくこと 毎日あるけど くさってたら もうそこで終わり」というフレーズに何度も生きる気力をもらいました。

 

私にとって、SMAPは無くてはならない存在だったんです。 

 

そして、広島カープ

 

私は広島出身で、もちろんカープファン。野球を本格的に知って好きになったのは今から18年前のことで、松坂大輔を擁する横浜高校が春夏国体の三大会を制し、プロ野球では横浜がマシンガン打線と堅い内野陣、大魔神・佐々木の活躍により日本一。98年は横浜の年でした。

 

一方の広島カープは、91年以来優勝から遠ざかっているとはいえまだ赤ヘル軍団の強さは記憶に新しく、いずれ優勝できるという空気がまだ広島県にはありました。ここから長い長いトンネルが待っているのですが、私がカープを応援し始めたのはそんな暗黒の入り口の年でした。 

 

カープはその後万年Bクラスに甘んじるようになります。

時は折しも逆指名とFAの全盛時代。カープは今でこそ純利益が億単位で出る年もありますが、市民球団ですので当時は採算ギリギリでした。のちに逆指名がほぼ裏金であった事が暴露されましたが、大社の目玉候補やFAの一流選手を獲るためにはお金の要る時代でした。そこで勝負できない広島は純血主義と伝統の猛練習でカバーしようとします。

 

薄い選手層に無理な練習が祟り、キャンプで主力や若手がケガをしてベストメンバーが揃わなかったり、比較的マシな投手が先発から僅差ビハインド、ロングリリーフまでいかなるシチュエーションでも登板して短命に終わり、若手がほぼ出てこない、出てきても数年の輝きで終わる、ということが続き、選手層の薄さをカバーできずに秋口には借金まみれで沈むというのが様式美となっていました。大野やら佐々岡やら往年のレジェンドが丈夫過ぎたから麻痺しちゃったんですね。

 

主力がFAでチームを去っていき、他球団の二軍呼ばわりされていた日々もありました。90年代後半~00年代前半は、初優勝を果たした75年以降で最も成績も人気も低迷していた時期ではなかったでしょうか。松田オーナーも当時を振り返って言及していますが、当時の市民球場はガラガラでした。

 

黒田が国内FA行使せず残留したあの年、私は高校三年生で、学校で友人が携帯を見て黒田残留をみんなに知らせ、大盛り上がりしたのを今でも覚えています。こんな弱くて未来の見えない球団に残ってくれてありがとう、と。でも、黒田が残っても優勝できないだろうな、と申し訳ない気持ちもあったのです。

 

それからは交流戦で負けが込んでそのまま低空飛行というのが様式美となったり、タイトルを獲る選手が現れてもBクラス、という日々が続きました。大体の場合は投手が四球ないしエラー絡みで失点、打線は単打で貯めたランナーをあと一本が出ず負ける、という試合が多かったと思います。何かの間違いで好投したときには打てない、ということも多かったです。

 

だからこそ、三年前に野村監督の下で16年ぶりにAクラス入りした時は本当に嬉しかった。ちょうど広島市民球場からマツダスタジアムに移ったくらいのころから雰囲気が変わってきた感じはありました。逆指名制度が廃止されて、マエケンみたいな選手が獲れるようになって、それからですね。

 

カープ女子が出てきた要因に、この辺の若手が躍動し始めたことと、マツダ移転がありました。もともと、関東でのゲームでの客の入りは良いって話はあったんです。でもなぜかホームに来ないことで有名だったんですが、市民球場はまぁボロかったんですね。トイレも古くて汚かったし、女子が行きたい球場じゃなかったんです。

 

とにかく、私はカープが好きで応援していたけども、弱かった。春に一瞬だけ一位になったりして、その後泥沼の何連敗を経てBクラス。シーズン前には期待したりもするけれど、夏頃にはAクラスに入れたらいいなぁ、に変わっている。

 

野村政権でAクラスに入ったけども、巨人に肝心なところで負けたり、緒方監督になってBクラスに沈んだり。16年ぶりにAクラスになった、と言って喜んでるところをほかのファンに同情されたり。中日、阪神、巨人に大幅に負け越しているシーズンばかりで、いつも同じ選手に抑えられて、打たれて。

それでも、毎年毎年結果を見てがっかりするのがわかっていても試合結果を見ていた。広島を離れてからも、そうだった。

 

私が物心ついてから2016年まで。

SMAPはキムタク現象から『世界に一つだけの花』で一つのピークを迎えて、日本芸能史上類を見ないオールマイティなアイドルになりました。

広島カープはドン底の悪循環から抜け出せずもがき苦しみ、ようやく微かな光が見え始めていました。

 

 

25年前の9月9日。SMAPは「can’t stop –Loving-」でデビューしました。

25年前の10月13日、カープは6度目のセリーグ優勝を果たしました。

その頃私は2歳で、何も記憶には残っていません。

 

私が物心ついた頃、SMAPは新進気鋭の若手アイドルとして、芸能界のスターダムを登りつめていました。

広島カープは優勝を支えた世代の正田が引退し、打線は円熟期を迎える一方で、16年連続Bクラスの長いトンネルは道半ばでした。

 

27歳になった2016年。私は二つの涙を流しました。

SMAP、25周年をもって解散。広島カープ、25年ぶりの優勝。

 

9月9日、SMAPがデビューして25周年を迎え、9月10日にカープは優勝を果たしました。

カープが弱かった頃を十分知っているからこそ優勝がうれしかった。

SMAPが走ってきた道をずっと近くで見てきたから、解散することが悲しかった。

 

25年という月日は、2歳の子供が社会人6年目になるだけの重みがある。SMAPが活動していたのと同じ年月カープは優勝できなかった。カープであれだけの人数が入れ代わり立ち代わりして低迷していた中、SMAPは森くんは脱退したけど、5人でアイドルの枠を越えて、芸能界に君臨した。

 

低迷期を支え、そして同時に出て行ったエースと四番が様々な経験を経て帰ってきて2000本安打、300号本塁打、200勝を達成して名球会に入った年に優勝する。二人が抱き合って泣く姿を見てカープファンは涙した。

 

森くんが抜け、逮捕者が出たりしたけれど頑張ってきて、不仲説や嵐との確執などあることないことを書かれ、それでも後輩に背中で語り続けてきたSMAPの解散にファンはやるせない気持ちで涙した。

 

この2016年という年は、私にとって25年という月日の重さを感じさせる一年となりました。

 

今年ももうあと三ヶ月を切りました。

嬉しくて泣き、悲しくて泣き、色々ありますが、できれば、もっと嬉しくて泣けるような出来事が起こってほしいな、と思っています。